学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

「ミネルヴァの梟は夕暮れ時に飛翔する」

2014-02-18 | 石母田正の父とその周辺
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 2月17日(月)21時13分36秒

>筆綾丸さん
石母田氏は「頽廃」という言葉をけっこう気楽に使うので、ドキッとすることがありますね。
「宇津保物語についての覚書」では、「平安京における大部分の人間は、歴史的に不要な人間の集団であって、この世界に組み入れられた者は、その出身と階級を問わず、頽廃の運命を背負わされていた」「古代ローマと同じように外部からの力で破砕されるまではともに身を腐朽させる以外にはなかった」てなことを言って、数十年後に井上章一氏を激怒させていますね。(『日本に古代はあったのか』)

「東帝疫」

石母田氏は丸山真男と非常に親しかったそうですが、水林彪氏によれば、丸山真男は「原型(古層)論」を宿命論と片付ける立場への反論として、次のように考えていたそうです。(大隈和雄・平石直昭編『丸山真男論』所収、原型(古層)論と古代政治思想論」p13)
この発想は石母田氏にも影響を与えたのかもしれませんね。

-----
 このような議論は、宿命論のように響きます。宿命論だから展望が開けない、与しえない議論だというような感想を漏らされる方は、結構多いように思います。しかし、当の丸山は、宿命論とは考えていませんでした。「過去をトータルな構造として認識することそれ自体が変革の第一歩」である。「日本の過去の思考様式の構造をトータルに解明すれば、それがまさに、basso ostinato を突破するきっかけになる」というのが丸山の考えでありました。丸山はこのことを、ヘーゲルとマルクスの関係についてのカール・シュミットの解説から学んだと言っています。ヘーゲルは、哲学というものは、ある時代が終幕に近づいた頃に遅れて登場してその時代を把握するものである、という趣旨のことを述べました(「ミネルヴァの梟は夕暮れ時に飛翔する」)。マルクスはこの論理を反転させて、ある時代をトータルに認識することに成功すれば、それ自体その時代が終焉に近づいている兆候を示すというように読み替え、資本制社会の学的な解剖に情熱を傾けたというのです。原型(古層)的伝統を克服する第一歩は、原型(古層)それ自体の全的解明にあるというわけです。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

歴史学の頽廃性と統治者の頽廃 2014/02/17(月) 14:32:33
小太郎さん
いまではかすかな余韻しかないのですが、兼子一『実体法と訴訟法』は法学者の中で別格の文体のような気がしたものです。

--------------------------------
歴史学のみならず學あるいは思想そのものの性格についてもっとも深刻な考察をしたものはおそらくヘーゲルであろうが、彼がその『歴史哲学』や『法哲学』において考察しているところによれば、学や思想はかならず歴史における一定の時をまって出現する、それらは民族がその行動と事業の建設に忙しい時代には出現せず、かえってその行動が完了し、民族の人倫生活が解体し頽廃しはじめるような危機の時において出現するものである。かかる学の成立の運命的といってよい性格は、学そのものが存在から乖離し、また現実の世界への情熱を喪失し、自己の概念の世界にとじこもることであり、そのために学にはつねに観念性とともに頽廃性が固有の性格とならざるを得ない。ヘーゲルのいう学や思想のもつ固有の観念性と頽廃性がもっとも典型的なあるいは鋭いかたちをとって現われるのは、その学問としての性質上歴史学においてであろう。完了した事態の反省と観想としての歴史学が成立する時期は、現実が既に矛盾をはげしくし、解体と頽廃にとらえられている時であり、かかる時に成立する歴史学は必然的にヘーゲルのいう頽廃性を多かれ少かれ固有の性格とせざるを得ない。古いドイツの危機と頽廃のなかから生まれたランケの歴史学はこの歴史学の頽廃性の古典的表現であった。彼が概念や思弁や法則から解放して、擁護し救済しようとした「事実」や「存在」は彼のいうごとく生命的具体的な現実でなければならないが・・・」(平凡社ライブラリー『歴史と民族の発見』「歴史家について」123頁)
--------------------------------
歴史的に与えられた社会的機能をすでに果たし終えた一箇の統治形態が存続しようとする場合、その統治手段は頽廃的となり、統治者は道徳的に腐敗するということは歴史の教える必然的現象であるが、しかしこの現象は単に統治者の内部の問題にとどまらないのである。庄園の政治は興福寺のみで行うのではない。領主とともに庄民がその統治を承認せざるを得ないが故に、それは具体的に政治として機能するのであるから、庄民は統治者の頽廃を多かれ少なかれ分かち持たねばならない。政治の頽廃とはその世界全体の頽廃として現象せざるを得ないので、庄民のみ独り清潔であることは出来ない。庄民はその頽廃を彼らの政治的敗北の結果として、すなわち遺産として背負わされるのであるが・・・(岩波文庫版『中世的世界の形成』「第4章 黒田悪党」290頁~)

石母田氏の中で、歴史学の頽廃性と統治者の頽廃はどのような関係になっているのか、どうもよくわからないですね。「統治者は道徳的に腐敗するということは歴史の教える必然的現象」とあるけれども、歴史学が「必然的にヘーゲルのいう頽廃性を多かれ少かれ固有の性格」を有するならば、頽廃的な学から導かれる教訓は所詮頽廃的なものにならざるをえぬだろうから、「統治者は道徳的に腐敗する」とは「歴史学の頽廃性の古典的表現」にすぎぬのではなかろうか、というような疑問が湧いてきますね。歴史学を学ぶ統治者は二重に頽廃的で、もはや擁護しようもなく救済しようもない・・・と?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする