投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 4月24日(木)21時08分25秒
少し前に「石母田氏の戦前の論文をパラパラ見たところ、明らかにウェーバーの研究を前提にしているのにウェーバーに触れていないものがあり・・・」と書きましたが、これはもちろん剽窃とか無断引用といった話ではありません。
実際、ウェーバーの「古代文化没落の社会的諸原因」と石母田氏の「宇津保物語についての覚書」を読み比べても、普通は両者の間に特別の関係があるとは気づかないですね。
先に述べたことは、石母田氏がウェーバーの考え方を自己の発想のヒントとしたであろう程度のつもりだったのですが、いかにも書き方がまずかったですね。
小保方騒動の時節柄、妙な方向に誤解されても困るので、念のため書いておきます。
今日は牧野雅彦氏の『マックス・ウェーバーの政治理論』(日本評論社、1993)を読み始めたのですが、1955年生まれの牧野氏が論文を発表し始めてから10年間ほどのものをまとめた論文集で、どれも気合が入っていますね。
マックス・ウェーバー熱は当分冷めそうもありませんが、さすがに宗教社会学方面、特に『古代ユダヤ教』あたりに入り込むと数年間は戻って来れなくなりそうな予感がするので、何とか踏みとどまっています。
『マックス・ウェーバーの政治理論』
>筆綾丸さん
南川高志氏は京大教授ですか。
ローマ帝国も面白そうですが、当面は手が出せないですね。
>小谷野敦氏
小谷野氏は変人仲間の呉智英氏に対してはそれなりに敬意を持たれているはずですが、佐伯順子氏は宿敵?じゃないですかね。
本郷和人氏の位置づけは全然分かりませんが、三人だけ「さん」というのは妙な感じですね。
※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。
感傷的なメロドラマ 2014/04/23(水) 13:34:16
小太郎さん
南川氏が紹介する学説に倣えば、鎌倉幕府の衰亡というようなことは(平家の滅亡同様)感傷的なメロドラマにすぎないから、歴史学の表舞台から引きずり下ろし(というより、歴史学の表舞台に立ったことのないテーマ、というべきか)、衰亡(Untergang・Verfall)ではなく変容(Metamorphose・Verwandlung)を語るという方法論もありうる、というようなことになるでしょうか。
-------------------------
十八世紀、啓蒙主義の時代に生きたイギリス人のギボンはその『ローマ帝国衰亡史』の中で、ローマ帝国を衰亡させ滅亡に至らしめた原因をゲルマン人とキリスト教に求めた。そして、ギボンと異なる衰亡原因論を述べる論者は多いものの、ローマ帝国の衰亡がすなわち古代の終わりに等しいと見られ、様々な議論の前提とされてきたことは間違いない。五世紀の西ローマ帝国の消滅と並行して、西ヨーロッパでは新しい中世世界の政治秩序が形成されたと考えられてきたものである。
ところが、一九七〇年代以降、歴史学界では新しい解釈の傾向が生じて、一九九〇年代にはそれが有力となった。古代の終焉期に関する新しい研究においては、ローマ帝国の「衰亡」や西ローマ帝国の「滅亡」を重視しないのである。「変化」よりも「継続」が、政治よりも社会や宗教が重視されるようになり、「ローマ帝国の衰亡」を語るのではなく、「「ローマ帝国の変容」が問題とされるようになった。そして、帝国の最盛期とされる二世紀に始まり、八世紀のフランク王国カール大帝の時代まで継続する、古代でも中世でもない独自の価値を持つ時代、「古代末期」が提唱されるようになって、この考えに沿った研究が盛んにおこなわれた。そこでは、ギリシア・ローマ文明を高く評価する伝統的な姿勢は希薄化し、また政治・軍事よりも宗教生活やその時代を生きた人々の「心のありよう」(心性)に研究の重心が置かれた。そのため、ローマ帝国の衰亡は感傷的なメロドラマとして歴史学の表舞台から引きずり下ろされたのである。
こうした新しい研究傾向と並行して、ゲルマン民族の大移動の破壊的な性格を低く見積もり、移動した人々の「順応」を強調する学説が提唱されるとともに、ギリシア人、ローマ人以外の古代世界住民の歴史と文化をより重視しようとする動きも見られた。研究の新傾向は特にアメリカやイギリスなど英語圏の学界に特徴的で、その背景には、二〇世紀後半の多文化主義的な傾向やポスト植民地主義の影響、そしてヨーロッパ連合(EU)の統合進展などがあると指摘されている。ローマ帝国の衰亡の理解、扱いもまた、時代の子なのである。(南川高志氏『新・ローマ帝国衰亡史』3頁~)
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ローマ帝国は僅か三〇年で崩壊したとありますが(201頁)、鎌倉幕府などは僅か数日で、淡白すぎるというか、未練がなさすぎるというか・・・逝く者は斯くの如きか昼夜を舎かず、といったようなものですね。鎌倉幕府の研究者には、この見事な滅びっぷりがネコにマタタビのような aphrodisiac(媚薬)になっているのかもしれませんね。
閑話ー喜連瓜破駅 2014/04/24(木) 17:12:16
http://www.shinchosha.co.jp/book/610568/
小谷野敦氏『頭の悪い日本語』を読んで、自分も間違って使っていたものがあり(恥ずかしいので言わない)、とても勉強になりました。
①「ユナイテッド・ステーツ・オヴ・アメリカ」を、世間的には「アメリカ合衆国」という」(107頁)
昨日、羽田に着陸したエア・フォース・ワンに「PRESIDENT of the UNITED STATES」とあるように、「ジ(ザ)・ユナイテッド・・・」と定冠詞を入れないと間違いですね。the が落ちていると、大統領専用機は墜落するような気がします。
②「犀はライノセラスだが、京都の西院駅近くに「リノホテル」というビジネスホテルがあって、数回泊まったことがある。「さいいん」なので「リノ」犀とつけたのである」(198頁)
「西院」駅は、阪急京都線では「さいいん」、京福線では「さい」、「リノホテル京都」の西には佐井通と佐井東通があることからすれば、「さいいん」なので「リノ」犀としたのではなく、「さい」なので「リノ」犀とした、と解したほうがシャレになりますね。『洛中洛外図屏風(上杉本)』には、うろ覚えですが、「さゐ」という表記があったと思います。
③「なおフランスの南海岸の保養地コートダジュールは、「Côte d'Azur」で、青空海岸という意味である」(220頁)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB
この場合の Azur は、白鳥は哀しからずや空の青うみのあをにも染まらずただよふ、と牧水が詠いましたが、空の青ではなくおそらく海の青だから、青空海岸という訳では、小谷野氏の常套句のように、バカっぽい感じがしてしまいます。
④「そこから東京へ出る途中に我孫子があり、関西人はこれが読めず「がそんし」などと読むが、「あびこ」である」(221頁)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91%E5%AD%AB%E5%AD%90_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82)
大阪市住吉区にも「我孫子」があり、「中世には鋳物師集団が居住していた」らしく、戦国期には、琵琶湖東岸の国友鉄砲と並んで、その名が出てきたように記憶しています。関西人は読めないとするのは早合点で、関東人の小谷野氏(水海道市出身)は関西には詳しくないということなんでしょうね。
⑤本書に登場する呉智英、佐伯順子、本郷和人の三氏は「さん」付けですが、他の人はおおかた敬称が省略されていて、これでは、この三氏は小谷野氏にとって理由は不明ながら特別の人で、他の連中はまあどうでもいいや、というようにも読めてしまうので、『頭の悪い日本語』と銘打つ以上、なぜ区別するのか、基準を明示したほうがいいですね。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120412/wlf12041211010007-n1.htm
大阪には「喜連瓜破」という駅があって「きれうりわり」と読むそうですが、はじめて知りました。
小太郎さん
南川氏が紹介する学説に倣えば、鎌倉幕府の衰亡というようなことは(平家の滅亡同様)感傷的なメロドラマにすぎないから、歴史学の表舞台から引きずり下ろし(というより、歴史学の表舞台に立ったことのないテーマ、というべきか)、衰亡(Untergang・Verfall)ではなく変容(Metamorphose・Verwandlung)を語るという方法論もありうる、というようなことになるでしょうか。
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十八世紀、啓蒙主義の時代に生きたイギリス人のギボンはその『ローマ帝国衰亡史』の中で、ローマ帝国を衰亡させ滅亡に至らしめた原因をゲルマン人とキリスト教に求めた。そして、ギボンと異なる衰亡原因論を述べる論者は多いものの、ローマ帝国の衰亡がすなわち古代の終わりに等しいと見られ、様々な議論の前提とされてきたことは間違いない。五世紀の西ローマ帝国の消滅と並行して、西ヨーロッパでは新しい中世世界の政治秩序が形成されたと考えられてきたものである。
ところが、一九七〇年代以降、歴史学界では新しい解釈の傾向が生じて、一九九〇年代にはそれが有力となった。古代の終焉期に関する新しい研究においては、ローマ帝国の「衰亡」や西ローマ帝国の「滅亡」を重視しないのである。「変化」よりも「継続」が、政治よりも社会や宗教が重視されるようになり、「ローマ帝国の衰亡」を語るのではなく、「「ローマ帝国の変容」が問題とされるようになった。そして、帝国の最盛期とされる二世紀に始まり、八世紀のフランク王国カール大帝の時代まで継続する、古代でも中世でもない独自の価値を持つ時代、「古代末期」が提唱されるようになって、この考えに沿った研究が盛んにおこなわれた。そこでは、ギリシア・ローマ文明を高く評価する伝統的な姿勢は希薄化し、また政治・軍事よりも宗教生活やその時代を生きた人々の「心のありよう」(心性)に研究の重心が置かれた。そのため、ローマ帝国の衰亡は感傷的なメロドラマとして歴史学の表舞台から引きずり下ろされたのである。
こうした新しい研究傾向と並行して、ゲルマン民族の大移動の破壊的な性格を低く見積もり、移動した人々の「順応」を強調する学説が提唱されるとともに、ギリシア人、ローマ人以外の古代世界住民の歴史と文化をより重視しようとする動きも見られた。研究の新傾向は特にアメリカやイギリスなど英語圏の学界に特徴的で、その背景には、二〇世紀後半の多文化主義的な傾向やポスト植民地主義の影響、そしてヨーロッパ連合(EU)の統合進展などがあると指摘されている。ローマ帝国の衰亡の理解、扱いもまた、時代の子なのである。(南川高志氏『新・ローマ帝国衰亡史』3頁~)
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ローマ帝国は僅か三〇年で崩壊したとありますが(201頁)、鎌倉幕府などは僅か数日で、淡白すぎるというか、未練がなさすぎるというか・・・逝く者は斯くの如きか昼夜を舎かず、といったようなものですね。鎌倉幕府の研究者には、この見事な滅びっぷりがネコにマタタビのような aphrodisiac(媚薬)になっているのかもしれませんね。
閑話ー喜連瓜破駅 2014/04/24(木) 17:12:16
http://www.shinchosha.co.jp/book/610568/
小谷野敦氏『頭の悪い日本語』を読んで、自分も間違って使っていたものがあり(恥ずかしいので言わない)、とても勉強になりました。
①「ユナイテッド・ステーツ・オヴ・アメリカ」を、世間的には「アメリカ合衆国」という」(107頁)
昨日、羽田に着陸したエア・フォース・ワンに「PRESIDENT of the UNITED STATES」とあるように、「ジ(ザ)・ユナイテッド・・・」と定冠詞を入れないと間違いですね。the が落ちていると、大統領専用機は墜落するような気がします。
②「犀はライノセラスだが、京都の西院駅近くに「リノホテル」というビジネスホテルがあって、数回泊まったことがある。「さいいん」なので「リノ」犀とつけたのである」(198頁)
「西院」駅は、阪急京都線では「さいいん」、京福線では「さい」、「リノホテル京都」の西には佐井通と佐井東通があることからすれば、「さいいん」なので「リノ」犀としたのではなく、「さい」なので「リノ」犀とした、と解したほうがシャレになりますね。『洛中洛外図屏風(上杉本)』には、うろ覚えですが、「さゐ」という表記があったと思います。
③「なおフランスの南海岸の保養地コートダジュールは、「Côte d'Azur」で、青空海岸という意味である」(220頁)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB
この場合の Azur は、白鳥は哀しからずや空の青うみのあをにも染まらずただよふ、と牧水が詠いましたが、空の青ではなくおそらく海の青だから、青空海岸という訳では、小谷野氏の常套句のように、バカっぽい感じがしてしまいます。
④「そこから東京へ出る途中に我孫子があり、関西人はこれが読めず「がそんし」などと読むが、「あびこ」である」(221頁)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91%E5%AD%AB%E5%AD%90_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82)
大阪市住吉区にも「我孫子」があり、「中世には鋳物師集団が居住していた」らしく、戦国期には、琵琶湖東岸の国友鉄砲と並んで、その名が出てきたように記憶しています。関西人は読めないとするのは早合点で、関東人の小谷野氏(水海道市出身)は関西には詳しくないということなんでしょうね。
⑤本書に登場する呉智英、佐伯順子、本郷和人の三氏は「さん」付けですが、他の人はおおかた敬称が省略されていて、これでは、この三氏は小谷野氏にとって理由は不明ながら特別の人で、他の連中はまあどうでもいいや、というようにも読めてしまうので、『頭の悪い日本語』と銘打つ以上、なぜ区別するのか、基準を明示したほうがいいですね。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120412/wlf12041211010007-n1.htm
大阪には「喜連瓜破」という駅があって「きれうりわり」と読むそうですが、はじめて知りました。