学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

「近代日本における宗教と民主主義」を読んでみた。(その3)

2016-05-11 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月11日(水)17時24分9秒

さて、続きを矢内原は次のように書いているのですが(p358)、藤林は段落ごと丸々削除していますね。

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 国家権力の起源を宗教的に説明することは、古来しばしば行はれて来たところである。あらゆる権威は神によりて立てられたるものであるから、すべての人、上にある権威に従ふべしとは、使徒パウロの教である。然るに地上の事物はすべてサタンによりて侵されやすきものであり、国家権力といへどもその例外を為すものではない。ヨハネ黙示録では、ロマ帝国は「獣」になぞらへられ、その権力は明白にサタン的なるものとして描写せられてゐる。ロマ皇帝は自己を神格化し、自己を祀る神殿を建てさせ、自己を現人神として礼拝することを国民に強要した。而して正にその事の故に、ヨハネ黙示録の記者はロマ皇帝の権力をサタンより出でたるものと称したのである。
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まあ、「使徒パウロの教」やサタンがどうしたこうしたという部分は、信仰面では重要であっても、さすがに判決文には引用しづらい感じはしますね。
続けます。

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 国家は真理に基かねばならず、真理を擁護せねばならない。併しながら何が真理であるかを決定するものは国家ではなく、また人民でもない。いかに民主主義の時代にありても、人民の投票による多数決を以て真理が決定せられるとは、誰も考へないであらう。真理を決定するものは真理それ自体であり、それは歴史を通して、即ち人類の長き経験を通して証明せられる。真理は自証性をもつ。併し自ら真理であると主張するだけでは、その真理性は確立せられない。それは歴史を通してはじめて人類の確認するところとなるのである。
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これと「裁判官藤林益三の追加反対意見」を比較すると、ちょっとイライラするくらい細かい変更が多いのですが、ま、それはともかくとして、

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宗教に関しても、真理は自証性を有するものであるといわなければならない。したがつて、真の宗教は、国家その他の世俗の力によつて支持されることなくして立つべきものであり、かつ、立つことが可能なのである。そして宗教は、その独立性こそが尊重せられるべきである。

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/25-3.html#tsuika-hantai-iken

は矢内原の方には対応する文章が全くなく、藤林の独自見解のようですね。
まあ、独自見解を述べること自体は結構ですが、矢内原を大幅に引用しているにもかかわらず、それと区別できない形で自分の見解を忍び込ませるという手法はかなり問題がありそうです。
さて、矢内原は更に次の文章を加えて「Ⅰ 国家と宗教」を締めくくるのですが、藤林は全部削除していますね。

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 日本は過去においてすぐれた宗教家と道徳教師をもつた。中にも第十三世紀に現はれた一仏僧日蓮は国家と宗教との関係について、国家は正しき宗教を認め、邪教を禁ずることによりて興隆するのであり、国家が維持せられることによりて宗教が顕れるのでなきことを痛論した。彼の言にはイスラエルの預言者的な響があつた。併しながら日本が信教自由の原則を学び始めたのは、遥か後代のことであつたのである。
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まあ、日蓮にならって「国家は正しき宗教を認め、邪教を禁ずることによりて興隆する」と主張してしまったら、政教分離原則と正面からぶつかりますから、この部分はちょっと引用できないでしょうね。
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「近代日本における宗教と民主主義」を読んでみた。(その2)

2016-05-11 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月11日(水)16時55分40秒

それでは「Ⅰ 国家と宗教」の冒頭を見てみます。(p357)

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 1

 国家と宗教の分離は近世民主主義国家の一大原則であつて、これは数世紀に亙る政治的及び学問的闘争の結果かち得たる寛容の精神の結晶である。この原則は次の二つの主要点を含むものである。
(一) 国家はいかなる宗教に対しても特別の財政的もしくは制度的援助を与へず、または特別の制限を加へない。すなはち国家はすべての宗教に対して同一にして中立的なる態度を取るべきである。
(二) 国家は国民各自がいかなる宗教を信ずるかについて何らの干渉を加ふべきでない。信教は各個人の自由に放任すべきであり、宗教を信ずるや否や、信ずるとすればいかなる宗教を選ぶかは、国民各自の私事である。
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これと「裁判官藤林益三の追加反対意見」を比較すると、藤林は、

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 信教の自由は、近世民主主義国家の一大原則であつて、これは数世紀にわたる政治的及び学問的闘争の結果、かちえた寛容の精神の結晶である。政教分離原則は、信教の自由の確立の歴史の過程で、その保障に不可欠の前提をなすものと考えられるに至つているが、次の2つの主要点を含む。
(一) 国家は、いかなる宗教に対しても、特別の財政的もしくは制度的援助を与えず、又は特別の制限を加えない。すなわち国家は、すべての宗教に対して、同一にして中立的な態度をとるべきである。
(二) 国家は、国民各自がいかなる宗教を信ずるかについて、何らの干渉を加えるべきではない。信教は、各個人の自由に放任されるべきものであり、宗教を信ずるや否や、信ずるとすればいかなる宗教を選ぶかは、国民各自の私事である。

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/25-3.html#tsuika-hantai-iken

としていて、藤林は主語を「国家と宗教の分離」から「信教の自由」に変え、更に「政教分離原則は、信教の自由の確立の歴史の過程で、その保障に不可欠の前提をなすものと考えられるに至つている」を加えていますね。
「一字一句」とは言い難い変更ですが、検討は後回しにして続きを見ると、矢内原は、

------
 かくして国家の特定宗教への結びつきは原則的に否定せられ、国民の信教の自由は原則的に確立せられ、国家は世俗化せられたのであるが、併しながらこれによつて国家と宗教の問題が全く消滅したのではない。何となればすべての国家はその存立の精神的又は観念的基礎を有ち、特定の思想の宣伝ならびに教育を重要国策の一つとして数へる。多くの基督教国が今なほ国立教会の制度をもつて居る。ソ連にとりてのマルクス主義、或ひは米国にとりてのデモクラシーは、いづれも国家公認の宗教教義に近いものではなからうか。国家は決して国民の思想に対して無関心な中立的態度をもつことは出来ず、またもつべきではない。宗教も人類の観念形態〔イデオロギー〕の一つである限り、国家は信教自由の原則を認めると同時に、国家自身が宗教に対して無関心無感覚であつてはならない。信教自由の原則は国家の宗教に対する冷淡の標識ではなく、却つて宗教尊重の結果でなければならない。
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としていますが、藤林は「特定の思想の宣伝ならびに教育を重要国策の一つとして数へる」以下、「国家は決して国民の思想に対して無関心な中立的態度をもつことは出来ず、またもつべきではない」までをすっぱり削った上で、矢内原の「宗教も人類の観念形態〔イデオロギー〕の一つである限り」を「宗教もまた人類の精神の所産であるから」に変更しています。
矢内原がわざわざ「イデオロギー」とルビを振っている「観念形態」を「精神」としてしまうことも、「一字一句」で済ませるのはどうかな、という感じはします。
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「近代日本における宗教と民主主義」を読んでみた。(その1)

2016-05-11 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月11日(水)16時09分21秒

石川健治氏が藤林益三の「追加反対意見の前半は、内村鑑三が創始した無教会主義のキリスト者・矢内原忠雄の文章を、ほぼ一字一句「写経」することで成立している」と書いていたので、判決文でそんなことをしていいのかな、と思って「近代日本における宗教と民主主義」(『矢内原忠雄全集』第18巻、岩波書店、1964)を読んでみました。
同書巻末の「編集後記」によれば、

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三、『近代日本における宗教と民主主義』─本論文は日本太平洋問題調査会編『日本社会の基本問題』(一九四九<昭和二十四>年四月十五日、世界評論社刊)に収められたものである。同会副理事長大内兵衛氏の「序」によると、同書は、戦後新たに発足した日本太平洋問題調査会の最初の論文集で、「そのうち一部はすでに英語に翻訳され、小冊子の形をもつてI・P・R〔Institute of Pacific Relations〕の各国加盟団体をはじめ海外の調査機関、大学等に送られ」、「戦後における日本人の最初の直接の声として研究者および識者の高い評価」を受けた。本論文もその一つであって、同書発行に先立って、英語版が"Religion and Democracy in Modern Japan"の題下に"Pacific Studies Series"の一冊として一九四八年五月二十五日に国際出版株式会社から発行された。
 なお、同書の寄稿者は著者のほか、大内兵衛(「戦後における日本財政金融の民主化」)、羽仁説子(「日本の家族制度─日本の女性から見た─」)、宮本百合子(「今日の日本の文化問題」)、羽仁五郎(「日本人民の歴史」)の諸氏であった。
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とのことですが(p747)、大内兵衛(1888-1980)は東大経済学部での矢内原の同僚で労農派の経済学者、羽仁説子(1903-87)は教育評論家で五郎(旧姓森)の妻、宮本百合子(1899-1951)はプロレタリア作家で宮本顕治(1908-2007)の妻、羽仁五郎(1901-83)は当掲示板でも何度か取り上げた著名な左翼の歴史学者で、全体的にマルクス主義者の割合が高い、というか矢内原を除く残りは程度の差はあれみんなその系統ですね。
なお、日本太平洋問題調査会の当時の理事長は高野岩三郎で、大内・矢内原とも縁の深い人ですね。

太平洋問題調査会

さて、「近代日本における宗教と民主主義」の構成は、

Ⅰ 国家と宗教
Ⅱ 近代日本における国家と宗教の問題
Ⅲ 宗教の民主主義化
Ⅳ 宗教による民主主義化

となっていて、全体で35ページあります。
そしてⅠとⅢが「裁判官藤林益三の追加反対意見」に大幅に引用されていますね。
ただし、その引用の仕方は石川氏の言う「ほぼ一字一句「写経」する」といった具合でもないですね。

>筆綾丸さん
『矢内原忠雄全集』18巻を図書館から借りてきて読み始めたところなので、ちょっとレスが遅れます。
すみませぬ。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

无寿国繍帳? 2016/05/10(火) 18:50:16
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b219812.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%AF%BF%E5%9B%BD%E7%B9%8D%E5%B8%B3
小原仁氏『慶滋保胤』をパラパラ捲ると、次のような個所があって、ハッとしました。
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よく知られた「天寿国」が「无寿国」の誤りであり、无寿国は無量寿国(極楽浄土)の略称・・・(148頁)
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「天寿国」なる奇妙な国土が仏教上あるはずがなく、たしかに「无寿国」の誤読なのでしょうね。仏教研究者には自明のことかもしれませんが、なぜ今だに「天寿国繍帳」でまかり通っているのか、しかも国宝として。不思議な話ではありますね。聖徳太子が往生したのは、「天寿国」ではなく「无寿国」だというのは、教理上、自然な発想ですね。日本史の教科書で、ずいぶん好い加減なことを我々は習わされてきたのかもしれません。
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