投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月11日(水)17時24分9秒
さて、続きを矢内原は次のように書いているのですが(p358)、藤林は段落ごと丸々削除していますね。
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国家権力の起源を宗教的に説明することは、古来しばしば行はれて来たところである。あらゆる権威は神によりて立てられたるものであるから、すべての人、上にある権威に従ふべしとは、使徒パウロの教である。然るに地上の事物はすべてサタンによりて侵されやすきものであり、国家権力といへどもその例外を為すものではない。ヨハネ黙示録では、ロマ帝国は「獣」になぞらへられ、その権力は明白にサタン的なるものとして描写せられてゐる。ロマ皇帝は自己を神格化し、自己を祀る神殿を建てさせ、自己を現人神として礼拝することを国民に強要した。而して正にその事の故に、ヨハネ黙示録の記者はロマ皇帝の権力をサタンより出でたるものと称したのである。
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まあ、「使徒パウロの教」やサタンがどうしたこうしたという部分は、信仰面では重要であっても、さすがに判決文には引用しづらい感じはしますね。
続けます。
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国家は真理に基かねばならず、真理を擁護せねばならない。併しながら何が真理であるかを決定するものは国家ではなく、また人民でもない。いかに民主主義の時代にありても、人民の投票による多数決を以て真理が決定せられるとは、誰も考へないであらう。真理を決定するものは真理それ自体であり、それは歴史を通して、即ち人類の長き経験を通して証明せられる。真理は自証性をもつ。併し自ら真理であると主張するだけでは、その真理性は確立せられない。それは歴史を通してはじめて人類の確認するところとなるのである。
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これと「裁判官藤林益三の追加反対意見」を比較すると、ちょっとイライラするくらい細かい変更が多いのですが、ま、それはともかくとして、
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宗教に関しても、真理は自証性を有するものであるといわなければならない。したがつて、真の宗教は、国家その他の世俗の力によつて支持されることなくして立つべきものであり、かつ、立つことが可能なのである。そして宗教は、その独立性こそが尊重せられるべきである。
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/25-3.html#tsuika-hantai-iken
は矢内原の方には対応する文章が全くなく、藤林の独自見解のようですね。
まあ、独自見解を述べること自体は結構ですが、矢内原を大幅に引用しているにもかかわらず、それと区別できない形で自分の見解を忍び込ませるという手法はかなり問題がありそうです。
さて、矢内原は更に次の文章を加えて「Ⅰ 国家と宗教」を締めくくるのですが、藤林は全部削除していますね。
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日本は過去においてすぐれた宗教家と道徳教師をもつた。中にも第十三世紀に現はれた一仏僧日蓮は国家と宗教との関係について、国家は正しき宗教を認め、邪教を禁ずることによりて興隆するのであり、国家が維持せられることによりて宗教が顕れるのでなきことを痛論した。彼の言にはイスラエルの預言者的な響があつた。併しながら日本が信教自由の原則を学び始めたのは、遥か後代のことであつたのである。
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まあ、日蓮にならって「国家は正しき宗教を認め、邪教を禁ずることによりて興隆する」と主張してしまったら、政教分離原則と正面からぶつかりますから、この部分はちょっと引用できないでしょうね。
さて、続きを矢内原は次のように書いているのですが(p358)、藤林は段落ごと丸々削除していますね。
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国家権力の起源を宗教的に説明することは、古来しばしば行はれて来たところである。あらゆる権威は神によりて立てられたるものであるから、すべての人、上にある権威に従ふべしとは、使徒パウロの教である。然るに地上の事物はすべてサタンによりて侵されやすきものであり、国家権力といへどもその例外を為すものではない。ヨハネ黙示録では、ロマ帝国は「獣」になぞらへられ、その権力は明白にサタン的なるものとして描写せられてゐる。ロマ皇帝は自己を神格化し、自己を祀る神殿を建てさせ、自己を現人神として礼拝することを国民に強要した。而して正にその事の故に、ヨハネ黙示録の記者はロマ皇帝の権力をサタンより出でたるものと称したのである。
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まあ、「使徒パウロの教」やサタンがどうしたこうしたという部分は、信仰面では重要であっても、さすがに判決文には引用しづらい感じはしますね。
続けます。
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国家は真理に基かねばならず、真理を擁護せねばならない。併しながら何が真理であるかを決定するものは国家ではなく、また人民でもない。いかに民主主義の時代にありても、人民の投票による多数決を以て真理が決定せられるとは、誰も考へないであらう。真理を決定するものは真理それ自体であり、それは歴史を通して、即ち人類の長き経験を通して証明せられる。真理は自証性をもつ。併し自ら真理であると主張するだけでは、その真理性は確立せられない。それは歴史を通してはじめて人類の確認するところとなるのである。
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これと「裁判官藤林益三の追加反対意見」を比較すると、ちょっとイライラするくらい細かい変更が多いのですが、ま、それはともかくとして、
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宗教に関しても、真理は自証性を有するものであるといわなければならない。したがつて、真の宗教は、国家その他の世俗の力によつて支持されることなくして立つべきものであり、かつ、立つことが可能なのである。そして宗教は、その独立性こそが尊重せられるべきである。
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/25-3.html#tsuika-hantai-iken
は矢内原の方には対応する文章が全くなく、藤林の独自見解のようですね。
まあ、独自見解を述べること自体は結構ですが、矢内原を大幅に引用しているにもかかわらず、それと区別できない形で自分の見解を忍び込ませるという手法はかなり問題がありそうです。
さて、矢内原は更に次の文章を加えて「Ⅰ 国家と宗教」を締めくくるのですが、藤林は全部削除していますね。
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日本は過去においてすぐれた宗教家と道徳教師をもつた。中にも第十三世紀に現はれた一仏僧日蓮は国家と宗教との関係について、国家は正しき宗教を認め、邪教を禁ずることによりて興隆するのであり、国家が維持せられることによりて宗教が顕れるのでなきことを痛論した。彼の言にはイスラエルの預言者的な響があつた。併しながら日本が信教自由の原則を学び始めたのは、遥か後代のことであつたのである。
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まあ、日蓮にならって「国家は正しき宗教を認め、邪教を禁ずることによりて興隆する」と主張してしまったら、政教分離原則と正面からぶつかりますから、この部分はちょっと引用できないでしょうね。