投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月19日(木)08時44分9秒
昨日、Milton R. Konvitz著、清水望・滝澤信彦訳の『信教の自由と良心』(成文堂、1973)を入手し、パラパラめくってみたら、藤林が引用していたジェファーソンの文章が出ていました。
まず、本書の性格ですが、「訳者あとがき」によれば、
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本書は、Milton R. Konvitz, Religious Liberty and Conscience, A Constitutional Inquiry, 1968 を訳出したものである。
M.R.コンヴィッツは、コーネル大学教授(法学博士、哲学博士)として精力的に研究に従事するかたわら、全米黒人向上協会(N.A.A.C.P)並びにニュージャージー州やニューアーク市の行政部局の法律部門として活躍し、またリベリアの法典編纂に参与してきた。【中略】
本書は、アメリカにおける「信教の自由と良心」について憲法学的に論述したものであるが、同時に国民各層にできるだけひろく問題の所在を明らかにしようとする啓発的な面をもっている。憲法学者としてのすぐれた分析力と明晰な洞察力には定評があるが、本書でもアメリカ社会の変容を鋭くみつめつつあるヒューマニストとしての適度に抑制された情熱が随所にみられ、今日的な問題提起は生き生きとして、示唆的である。
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とのことです。
【中略】とした部分には主要著書が載っていますが、これらはすべてウィキペディアに出ています。
Milton R. Konvitz(1908-2003)
https://en.wikipedia.org/wiki/Milton_R._Konvitz
また、本書の構成は、
一 教会と国家の問題の新しい様相
二 宗教とは何か
三 宗教と世俗主義
四 合衆国憲法改正第一条における良心
というものです。
個人的には第二章の冒頭に出てくるフランス大革命時の「理性の宗教」とかオーギュスト・コントの「人類教」の解説などが興味深いのですが、1968年という発表時期を反映して、良心的兵役拒否などの問題に多くのページを割いていますね。
分量はB6版で164ページですから、普通の新書程度です。
さて、ジェファーソンの引用は第四章に出てきます。(p145以下)
文脈を紹介すると話が長くなるので、取り急ぎ、文言だけを確認すると、
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しかしそれにしてもかような〔1965年の「合衆国対スウィガー事件」の〕裁判過程は不愉快であり、非難すべきものでさえある。というのはここで問題となっているのが良心にかかわる問題だからである。再びトマス・ジェファソンの次のような言葉が想起される。
宗教における強制は他のいかなる事柄における強制とも特に明確に区別される。私がむりに従わされる方法によって私が裕福となるかもしれないし、私が自分の意に反してむりに飲まされた薬で健康を回復することがあるかもしれないが、しかし、自分の信じていない神を崇拝することによって私が救われようはずがないのである(24)。
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となっています。
ジェファーソンの引用は一段下げ、「神を崇拝すること」に傍点を打っていますが、これは原文ではイタリックだそうです。(凡例)
そして注24を見ると、
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(24) "Notes on Locke and Shaftesbury," The Papers of Thomas Jefferson, ed. Julian P.Boyd (Princeton,1960), Vol.Ⅰ,p.547.
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とのことです。
上記引用文と「裁判官藤林益三の追加反対意見」を比較すると、「宗教における強制は」の後に読点があることと、文末が「はずがないのである」から「はずがないからである」になっていることの二点だけが違っていて、「むり」のような普通は漢字にするはずの語句がひらがなになっている点も共通ですから、ま、藤林は清水・滝澤訳を「写経」したのでしょうね。
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/25-3.html#tsuika-hantai-iken
これで私はジェファーソンの全著作を総当たりするという「奴隷的拘束」ないし「苦役」(憲法18条)からは解放されたのですが、何で藤林は出典を明示しないのだろうか、という疑念は深まるばかりです。
昨日、Milton R. Konvitz著、清水望・滝澤信彦訳の『信教の自由と良心』(成文堂、1973)を入手し、パラパラめくってみたら、藤林が引用していたジェファーソンの文章が出ていました。
まず、本書の性格ですが、「訳者あとがき」によれば、
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本書は、Milton R. Konvitz, Religious Liberty and Conscience, A Constitutional Inquiry, 1968 を訳出したものである。
M.R.コンヴィッツは、コーネル大学教授(法学博士、哲学博士)として精力的に研究に従事するかたわら、全米黒人向上協会(N.A.A.C.P)並びにニュージャージー州やニューアーク市の行政部局の法律部門として活躍し、またリベリアの法典編纂に参与してきた。【中略】
本書は、アメリカにおける「信教の自由と良心」について憲法学的に論述したものであるが、同時に国民各層にできるだけひろく問題の所在を明らかにしようとする啓発的な面をもっている。憲法学者としてのすぐれた分析力と明晰な洞察力には定評があるが、本書でもアメリカ社会の変容を鋭くみつめつつあるヒューマニストとしての適度に抑制された情熱が随所にみられ、今日的な問題提起は生き生きとして、示唆的である。
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とのことです。
【中略】とした部分には主要著書が載っていますが、これらはすべてウィキペディアに出ています。
Milton R. Konvitz(1908-2003)
https://en.wikipedia.org/wiki/Milton_R._Konvitz
また、本書の構成は、
一 教会と国家の問題の新しい様相
二 宗教とは何か
三 宗教と世俗主義
四 合衆国憲法改正第一条における良心
というものです。
個人的には第二章の冒頭に出てくるフランス大革命時の「理性の宗教」とかオーギュスト・コントの「人類教」の解説などが興味深いのですが、1968年という発表時期を反映して、良心的兵役拒否などの問題に多くのページを割いていますね。
分量はB6版で164ページですから、普通の新書程度です。
さて、ジェファーソンの引用は第四章に出てきます。(p145以下)
文脈を紹介すると話が長くなるので、取り急ぎ、文言だけを確認すると、
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しかしそれにしてもかような〔1965年の「合衆国対スウィガー事件」の〕裁判過程は不愉快であり、非難すべきものでさえある。というのはここで問題となっているのが良心にかかわる問題だからである。再びトマス・ジェファソンの次のような言葉が想起される。
宗教における強制は他のいかなる事柄における強制とも特に明確に区別される。私がむりに従わされる方法によって私が裕福となるかもしれないし、私が自分の意に反してむりに飲まされた薬で健康を回復することがあるかもしれないが、しかし、自分の信じていない神を崇拝することによって私が救われようはずがないのである(24)。
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となっています。
ジェファーソンの引用は一段下げ、「神を崇拝すること」に傍点を打っていますが、これは原文ではイタリックだそうです。(凡例)
そして注24を見ると、
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(24) "Notes on Locke and Shaftesbury," The Papers of Thomas Jefferson, ed. Julian P.Boyd (Princeton,1960), Vol.Ⅰ,p.547.
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とのことです。
上記引用文と「裁判官藤林益三の追加反対意見」を比較すると、「宗教における強制は」の後に読点があることと、文末が「はずがないのである」から「はずがないからである」になっていることの二点だけが違っていて、「むり」のような普通は漢字にするはずの語句がひらがなになっている点も共通ですから、ま、藤林は清水・滝澤訳を「写経」したのでしょうね。
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/25-3.html#tsuika-hantai-iken
これで私はジェファーソンの全著作を総当たりするという「奴隷的拘束」ないし「苦役」(憲法18条)からは解放されたのですが、何で藤林は出典を明示しないのだろうか、という疑念は深まるばかりです。