投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 1月13日(月)20時42分31秒
イサイヤ杉田がニコライから「おまえの知能はごく月並みなものだ」「おまえは学問の人間ではない」「おまえがいまやっている勉強は、単なる時間のむだ遣い」とボコボコに叩かれているのを見ると、「二六歳にもなって居候をしておる」立場とはいえ、杉田がいささか気の毒になってくるような展開ですね。
さて、前回投稿で杉田がユニテリアンの信者では、と書きましたが、「キリストは信じております。ですが至聖三者〔三位一体〕については、わたしにはわたしなりの考えがあります」とのことなので、「自由キリスト教」の他の二派、即ちドイツ普及福音教会またはユニバーサリストの可能性もありそうです。
もちろん杉田は特定宗派に確信を持てた訳ではなく、まだまだ宗教的・思想的な混乱の渦中にあるのでしょうが、「立派な背表紙の本を何冊も机に積み上げている。それが全部ドイツ語の本なのだ!」となると、ドイツ普及福音教会に一番親和的のように思われます。
とすると、同志社に学ぶ中でキリスト教に懐疑的になり、ドイツ普及福音教会を経て、やがて棄教して金融の世界に転じ、最後には日銀総裁にまでなった深井英五(1871-1945)を連想させますね。
「さまざまな真理を研究したいのです、いろいろな問題を解きたいのです」と語る杉田の心境は、宗教的・思想的変遷を重ねた深井英五と共通していそうです。
「ドイツ普及福音伝道会」と深井英五
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/dd168ff37949c37c3fb6e1b1e281018d
「教祖を神とせずとも基督教の信仰は維持されると云ふのが其の主たる主張」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/dba8684a32224ba07f9d5669214ebcee
「マルクスの著作の訓詁」の謎
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d5842d14e9ed0509c11313c5091ba93d
「宗教を信ぜずと言明する人の中に却て宗教家らしい人がある」(by 三並良)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/caa939de572224d0778a282b372bfddf
「マルクスの著作の訓詁」の謎、回答編
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/34b1e7e6eca291c2adcbfaf5fcb38167
『日本に於ける自由基督教と其先駆者』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9b7538250dc17e008116840e7344e915
深井英五と井上準之助
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/514e0313f20fb94a93256f796aa4e1c6
杉田がどのような人生を送ったのかは分かりませんが、深井英五レベルの知性ではなさそうですから、おそらく「哲学の著書」を出すこともなく、歴史の中に消えていったのだろうと思います。
ただ、この種の「高等遊民」的な「煩悶青年」がある程度の層をなしていたからこそ、例えば萩原朔太郎(1886-1942)のような優秀な「高等遊民」も生まれてくる訳で、文化的な観点からは杉田のような存在を必ずしも否定的に捉える必要はないように思います。
『月に吠える』も500部
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c4c8b42f42e6f66175e30dbfabeb57b0
そして、富岡のような地域で、この種の「高等遊民」的な「煩悶青年」がブラブラ生活していることができたのは、結局は生糸のおかげですね。
杉田だって、養蚕で「金持ちの百姓」となった家の婿にでもなって金ヅルをしっかりつかんだら、「二冊も三冊も、いやもっとたくさんの本を出す」ことは充分可能だったはずです。
大雑把に言って生糸の製造原価の8割強は原料繭の購入代金であり、出荷額と比較しても、その8割弱が原料繭の購入代金です。
それだけの金が農村に廻って行きますから、近代製糸業は地域全体を豊かにしてくれる本当に特別な産業だった訳ですね。
「おーい中村君」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/37e1ab65783dc1e9abdf21d4fc00b342
イサイヤ杉田がニコライから「おまえの知能はごく月並みなものだ」「おまえは学問の人間ではない」「おまえがいまやっている勉強は、単なる時間のむだ遣い」とボコボコに叩かれているのを見ると、「二六歳にもなって居候をしておる」立場とはいえ、杉田がいささか気の毒になってくるような展開ですね。
さて、前回投稿で杉田がユニテリアンの信者では、と書きましたが、「キリストは信じております。ですが至聖三者〔三位一体〕については、わたしにはわたしなりの考えがあります」とのことなので、「自由キリスト教」の他の二派、即ちドイツ普及福音教会またはユニバーサリストの可能性もありそうです。
もちろん杉田は特定宗派に確信を持てた訳ではなく、まだまだ宗教的・思想的な混乱の渦中にあるのでしょうが、「立派な背表紙の本を何冊も机に積み上げている。それが全部ドイツ語の本なのだ!」となると、ドイツ普及福音教会に一番親和的のように思われます。
とすると、同志社に学ぶ中でキリスト教に懐疑的になり、ドイツ普及福音教会を経て、やがて棄教して金融の世界に転じ、最後には日銀総裁にまでなった深井英五(1871-1945)を連想させますね。
「さまざまな真理を研究したいのです、いろいろな問題を解きたいのです」と語る杉田の心境は、宗教的・思想的変遷を重ねた深井英五と共通していそうです。
「ドイツ普及福音伝道会」と深井英五
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/dd168ff37949c37c3fb6e1b1e281018d
「教祖を神とせずとも基督教の信仰は維持されると云ふのが其の主たる主張」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/dba8684a32224ba07f9d5669214ebcee
「マルクスの著作の訓詁」の謎
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d5842d14e9ed0509c11313c5091ba93d
「宗教を信ぜずと言明する人の中に却て宗教家らしい人がある」(by 三並良)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/caa939de572224d0778a282b372bfddf
「マルクスの著作の訓詁」の謎、回答編
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/34b1e7e6eca291c2adcbfaf5fcb38167
『日本に於ける自由基督教と其先駆者』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9b7538250dc17e008116840e7344e915
深井英五と井上準之助
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/514e0313f20fb94a93256f796aa4e1c6
杉田がどのような人生を送ったのかは分かりませんが、深井英五レベルの知性ではなさそうですから、おそらく「哲学の著書」を出すこともなく、歴史の中に消えていったのだろうと思います。
ただ、この種の「高等遊民」的な「煩悶青年」がある程度の層をなしていたからこそ、例えば萩原朔太郎(1886-1942)のような優秀な「高等遊民」も生まれてくる訳で、文化的な観点からは杉田のような存在を必ずしも否定的に捉える必要はないように思います。
『月に吠える』も500部
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c4c8b42f42e6f66175e30dbfabeb57b0
そして、富岡のような地域で、この種の「高等遊民」的な「煩悶青年」がブラブラ生活していることができたのは、結局は生糸のおかげですね。
杉田だって、養蚕で「金持ちの百姓」となった家の婿にでもなって金ヅルをしっかりつかんだら、「二冊も三冊も、いやもっとたくさんの本を出す」ことは充分可能だったはずです。
大雑把に言って生糸の製造原価の8割強は原料繭の購入代金であり、出荷額と比較しても、その8割弱が原料繭の購入代金です。
それだけの金が農村に廻って行きますから、近代製糸業は地域全体を豊かにしてくれる本当に特別な産業だった訳ですね。
「おーい中村君」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/37e1ab65783dc1e9abdf21d4fc00b342