第38回配信です。
石川明人(1974生、桃山学院大学社会学部教授)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E6%98%8E%E4%BA%BA
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『キリスト教と日本人 宣教史から信仰の本質を問う』
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はじめに
第1章 キリスト教を知らずに死んだ日本人に「救い」はない?
第2章 戦争協力、人身売買、そしてキリシタン迫害
第3章 禁教高札を撤去した日本
第4章 「本当のキリスト教」は日本に根付かないのか
第5章 「キリスト教」ではなく「キリスト道」?
第6章 疑う者も、救われる
あとがき
第1章 キリスト教を知らずに死んだ日本人に「救い」はない?
第2章 戦争協力、人身売買、そしてキリシタン迫害
第3章 禁教高札を撤去した日本
第4章 「本当のキリスト教」は日本に根付かないのか
第5章 「キリスト教」ではなく「キリスト道」?
第6章 疑う者も、救われる
あとがき
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はじめに
キリスト教の矛盾を見つめる
そもそもキリスト教の歴史は「長い」のか
キリスト教は「新しい」?
世界に最も大きな影響を与えた人物は誰か
信仰があるのかないのか、という問い
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キリスト教の矛盾を見つめる
日本人の九九%は、キリスト教を信じていない。
本書では、その九九%の「信じない日本人」の方々に、今までどおり信じないままで構わないので、日本人とキリスト教との関わりについて考えていただきたいと思う。
ただし、それは決してキリスト教の素晴らしさをわかってほしいとか、逆にキリスト教のダークサイドを知ってほしいとか、そういう狙いからではない。
本書の目的は、これまでの日本人のキリスト教に対する眼差しや、来日した宣教師たちの言動を糸口にして、そもそも宗教とは何か、いったい人間とは何か、という大きな問いに向かうきっかけを提供することにある。
【中略】
ならば、神の「沈黙」はこれまで少なくとも二種類あったと言わざるをえない。すなわち、迫害に苦しめられたキリスト教徒に対する「沈黙」と、残忍なキリスト教徒に苦しめられた人々に対する「沈黙」である。
【中略】
キリスト教は、全体として見るならば、人間というもののいかんともしがたい現実を示す壮大な実例だとも言える。
キリスト教の信仰を持たない九九%の日本人にとっては、複雑でわかりにくいその教義や思想よりも、むしろキリスト教徒のなまなましい矛盾と限界それ自体の方が、真の意味での宗教的思索のきっかけになるのではないだろうか。
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