第40回配信です。
二、私は如何なる人間で、如何なる目的のために『キリスト教と日本人』を読むのか。
(1)私は何者か。
キリスト教を含め、特定の「宗教」を「信仰」してはいない。
しかし、キリスト教美術、特に中世の装飾写本や建築に強く惹かれる。
(2)『キリスト教と日本人』を読む目的は何か。
石川著の「あとがき」(p291以下)
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本書の目的は、「はじめに」で述べたとおりである。これはキリスト教の入門書ではなく、日本キリスト教史の解説書でもない。本書は、宗教とは何か、信仰とは何か、ということについての、長々とした「問い」そのものだと言ってもいい。
「キリスト教とはこういう宗教ですよ」と解説した本は多いが、宗教について考えるうえで重要なのは、「答え」を搔き集めてその量と正確さにこだわることだけではない。それも必要なことではあるけれども、まずは、正直に思う存分「問う」ことが大事なのではないだろうか。そんな風に考えながら、書かせていただいた。
【中略】
執筆中は膨大な先行研究から多くを学ばせていただいたのはもちろんだが、これだけのことを調べ上げた人がいる、これだけのものを翻訳した人がいる、ということそれ自体に驚愕し感動することも多かった。私も先輩方を見習い、しっかり腰を据えた研究を積み重ねていかねばならないと改めて思った次第である。
【後略】
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研究者であれば「真の意味での宗教的思索」(「はじめに」)それ自体が目的でよい。
しかし、「戦争」を深く研究された石川氏であれば、その研究成果を「平和」に生かす方法の考究に活用すべく工夫してもよいのではないか。
「キリスト教と日本人」の考察から、キリスト教を活用した「日本人」ならではの平和の構築を構想してもよいのではないか。
本書の目的は、「はじめに」で述べたとおりである。これはキリスト教の入門書ではなく、日本キリスト教史の解説書でもない。本書は、宗教とは何か、信仰とは何か、ということについての、長々とした「問い」そのものだと言ってもいい。
「キリスト教とはこういう宗教ですよ」と解説した本は多いが、宗教について考えるうえで重要なのは、「答え」を搔き集めてその量と正確さにこだわることだけではない。それも必要なことではあるけれども、まずは、正直に思う存分「問う」ことが大事なのではないだろうか。そんな風に考えながら、書かせていただいた。
【中略】
執筆中は膨大な先行研究から多くを学ばせていただいたのはもちろんだが、これだけのことを調べ上げた人がいる、これだけのものを翻訳した人がいる、ということそれ自体に驚愕し感動することも多かった。私も先輩方を見習い、しっかり腰を据えた研究を積み重ねていかねばならないと改めて思った次第である。
【後略】
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研究者であれば「真の意味での宗教的思索」(「はじめに」)それ自体が目的でよい。
しかし、「戦争」を深く研究された石川氏であれば、その研究成果を「平和」に生かす方法の考究に活用すべく工夫してもよいのではないか。
「キリスト教と日本人」の考察から、キリスト教を活用した「日本人」ならではの平和の構築を構想してもよいのではないか。