第42回配信です。
一、前回配信の補足
「殉教する宗教─孤独な自我の萌芽」(by 山崎正和)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/32e8ff61dbd1d8aabb64b10c224d7a54
「ツルの寒ざらし」(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/81ad91fc84fa8ba75fd3ea2edefa1b86
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/659f002957310aee5dc16faa866de613
「殉教者」の光と影
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6edf2a4067094ea7d17ee0b8da79e73a
「今後の予定」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6a917e8022447306f57b7dcf2d1d45fc
「殉教者は何に対して命を捧げたのか」(by 宮崎賢太郎氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/33f9018e38ad83b887f1c692a311cc25
「殉教者」の光と影
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6edf2a4067094ea7d17ee0b8da79e73a
「今後の予定」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6a917e8022447306f57b7dcf2d1d45fc
「殉教者は何に対して命を捧げたのか」(by 宮崎賢太郎氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/33f9018e38ad83b887f1c692a311cc25
「外海(そとめ)」
二、宮崎賢太郎説への批判
(4)「カクレキリシタン」について(p119以下)
宮崎賢太郎氏の用語は独特。
従来、禁教令が出されて以降のすべての信徒のことを指して「隠れキリシタン」と呼んでいた。
しかし、宮崎は、
1644年(小西マンショの死)~1873年(高札撤去)までを「潜伏時代」
その間は「潜伏キリシタン」
禁教高札が撤去されてから神父たちの許に戻ったものたちは「復活キリシタン」
戻らなかったものたちは「カクレキリシタン」
宮崎賢太郎氏の用語は独特。
従来、禁教令が出されて以降のすべての信徒のことを指して「隠れキリシタン」と呼んでいた。
しかし、宮崎は、
1644年(小西マンショの死)~1873年(高札撤去)までを「潜伏時代」
その間は「潜伏キリシタン」
禁教高札が撤去されてから神父たちの許に戻ったものたちは「復活キリシタン」
戻らなかったものたちは「カクレキリシタン」
とする。
宮崎は「カクレキリシタン」の信仰は「キリスト教的雰囲気を醸し出す衣をまとった典型的な日本の民俗宗教の一つ」とする。
(5)キリシタンは「変容」などしていない?(p121以下)
「禁教期変容説」への批判
「信仰の価値 次代に伝える 平戸市生月町博物館・島の館館長 中園成生さん(60)」
https://www.yomiuri.co.jp/local/nagasaki/news/20230430-OYTNT50025/
宮崎は「カクレキリシタン」の信仰は「キリスト教的雰囲気を醸し出す衣をまとった典型的な日本の民俗宗教の一つ」とする。
(5)キリシタンは「変容」などしていない?(p121以下)
「禁教期変容説」への批判
「信仰の価値 次代に伝える 平戸市生月町博物館・島の館館長 中園成生さん(60)」
https://www.yomiuri.co.jp/local/nagasaki/news/20230430-OYTNT50025/
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『かくれキリシタンの起源 信仰と信者の実相』(弦書房、2018)
現在も継承される、かくれキリシタン信仰の全容を明らかにする。「信仰を変容させた信者」という従来のイメージをくつがえし、長年の「かくれキリシタン」論争に終止符を打つ。
20年におよぶ多角的な研究から見えてきたのは、400年前の宣教師たちが日本人の精神と暮らしを理解して創出した「日本人のキリスト教」と、それを禁教の時代にも守り続けるために信者が選択した「信仰並存」という形だった。
250年にわたる禁教時代を越え、400年間変わらず継承された信仰の実像に迫る。
https://genshobo.com/archives/7653
(6)「キリスト教とは何か」という根本的な問題へ(p122以下)
宮崎は「真正なキリスト教」という表現を用いて議論する。
しかし、キリスト教における「真正さ」とは何か。
どこまでが「キリスト教」なのか?
キリスト教を「信じる」とはどういうことか?