学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

添削指導

2011-05-13 | 東日本大震災と研究者
添削指導 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月13日(金)07時05分42秒

誰に頼まれた訳でもありませんが、添削してみました。


神仏混清→混淆
つかぎどる→つかさどる
仏教時代切御神体→仏教時代の御神体
天の真申→真中
層神→総神
「天地初発の時になりませる神」と濁る神→とある神
社伝によれぼ→よれば
およ三千余年前→およそ一千余年前
承平年聞→年間
下絵→下総
七戟勝→七戦勝
源南朝→源頼朝
与えちれ→与えられ
氏の祖七なった→氏の祖となった
下絵→下総
妙見雨→妙見宮or妙見社
奥州下降→下向(?)
遷従→扈従(?)
雨宮→社官(?)
現宮司些二十九代の子孫→現宮司は二十九代の子孫
氏神とLて→として
層定→指定
用材として捧をふんだんに使用→檜
墓股→蟇股
馬の彫刻が属されている→施されている
吉田神道に止る神事→吉田神道による神事
至る聞→至る間
名捜町→名越町


まあ、率直に言って原文自体、たいした文章ではありませんね。
吉田神道による神事(護摩祈祷)というのは、ちょっと面白そうです。

http://blogs.yahoo.co.jp/bao1gua4/53213171.html
http://turumi-jinjya.blog.so-net.ne.jp/2011-04-18

鎌倉市の田代観音(田代寺)はなじみがなかったのですが、重要文化財の宝篋印塔がある安養院のことなんですね。

http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page126anyoin.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%A4%8A%E9%99%A2_(%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B8%82)

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陣頭指揮

2011-05-12 | 東日本大震災と研究者
陣頭指揮 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月12日(木)22時43分44秒

単なる物好きで検索してみたら、「スポーツ報知」(3月21日)に「紀子さまの実弟・川嶋氏が被災地支援陣頭指揮 」という記事が出たそうですね。
転載しているブログの孫引きですが、記念に保存しておきます。
相馬中村神社もいろいろ大変とは思いますが、落ち着いたらウェブサイトは直してほしいですね。


-----------------
紀子さまの実弟・川嶋氏が被災地支援陣頭指揮

 秋篠宮妃紀子さま(44)の実弟で、東農大講師の川嶋舟(しゅう)さん(37)が、震災で被災した妻の地元・福島県相馬市へ支援活動を行っていることが20日、分かった。川嶋さんは帰省途中に被害に遭ったものの無事で、救援物資が被災地に十分に届いていない現状を「報道以上に現地は混乱」などと、ソーシャル・ネットワーキング・サービス「フェイスブック」で報告。トラックで自ら東京入りして物資を調達、配送する作業の陣頭指揮を執っている。
 紀子さまの実弟で、震災で深刻な被害を受けた福島県相馬市に妻子を残している獣医師の川嶋さんが、被災地の支援活動に奔走している。
 川嶋さんはマグニチュード9・0の大地震、津波の被害状況をフェイスブックで「報道以上に現場は混乱」「相馬市には、人口4万人弱のところに原発関連の避難も含め1万以上もの人を受け入れているようです」などと報告した。
 東京に住む学習院高等科時代からの親友で、4月の豊島区議選にみんなの党から出馬予定の関谷二葉氏(37)も全面支援。ブログで「相馬市、南相馬市だけでなく 北隣新地町も津波に遭いました」、必要な物資についても「水 炊き出しのいらないおにぎり 塩 簡易の医薬品…」と、川嶋さんの声を代弁した。
 ブログなどによると、川嶋さんは支援物資が相馬市に十分届いてない現状に「届かないから、取りに行く!市長と相談した」と決意。キャンピングカーと2トントラックを調達し、13日に東京へ。15日に一度、物資を相馬市に持ち帰り、18日に再び東京に向かったという。
 20日夕刻には、紙おむつや下着、毛布などを積んだ第3便のトラックが相馬市に到着。届いた物資を仕分けて市役所の救援物資担当者に預け、市内約10か所の避難所などに分配されている。
 相馬市に住む妻・麻紗美さんの父・田代誠信さん(58)によると、川嶋さんは11日、単身赴任先の東京から麻紗美さんと長女が住む同市に帰省中、被災。仙台駅から常磐線で相馬駅へ向かう途中、1駅手前の駒ケ嶺駅付近で被害に遭ったが無事で、誠信さんが宮司を務める「相馬中村神社」へ徒歩で約2時間かけてたどり着いた。
 同神社は震災で鳥居などが損傷したが、海岸から約5キロ離れているため、津波による大きな被害は免れた。
 川嶋さんは学習院高等科を卒業後、麻布大―東大大学院で獣医学を専攻。2006年に結婚した。現在は東農大農学部バイオセラピー学科で講師を務め、獣医師としても活動している。
 誠信さんによると、川嶋さんは震災後、紀子さまと連絡を取ることができ、自身と家族の無事を伝えたという。

http://blog.goo.ne.jp/officek2010/e/cd6f8deb75eb3b300034835767e69569

川嶋舟氏は風貌りりしく、なかなかの偉丈夫ですね。

http://ameblo.jp/fami10/day-20110321.html


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「源南朝」

2011-05-12 | 東日本大震災と研究者
「源南朝」 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月12日(木)22時17分9秒

>筆綾丸さん
原因は印刷物をOCRソフトで読み込んだときの認識ミスですね。
相馬中村神社のウェブサイト作成を請け負った業者が、渡された資料をOCRソフトで読み込んだ後、全く校正作業をせず、そのままアップしてしまい、それを神社関係者も見逃しているんでしょうね。
数えてみたら、28か所間違っているようです。
一部、原文がおかしいのではないかと思えるところもあるので、OCRミスだけなのかは分かりませんが。
一番下に

(C)Copyright 2005 Soma Nakamura Jinja. All Rights Reserved.

とあるので、2005年にウェブサイトを開設して以降、6年間以上ずっと誤字だらけの由緒書を世界に発信していたのでしょうね。
「田代左衛門大夫信盛」の「実に二十九代目の子孫にあたる」現在の宮司、田代誠信氏の一人娘が秋篠宮妃の弟、川嶋舟氏と結婚しているそうなので、それこそ宮内庁関係者だって、このウェブサイトを見ていると思いますが、誰も気づかなかったんですかね。


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相馬中村神社公式ウェブサイトの間違い探し

2011-05-12 | 東日本大震災と研究者
相馬中村神社公式ウェブサイトの間違い探し 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月12日(木)08時00分46秒

相馬市の相馬中村神社に行こうかなと思って同神社の公式サイトを見たのですが、なかなか衝撃的な体験でした。

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相馬中村神社は、神道の上からは天之御中主神を祀る。
明治以前のずっと古い神仏混清の時代から「相馬のミョウケンサマ」として親しまれてきたが、妙見とは仏教でいえば北辰妙見菩薩のことであり、北辰とは本来北極星を指し、北方鎮護をつかぎどる星の信仰がもとになっている。
仏教時代切御神体は亀に乗った菩薩像で周囲に七つの北斗星すなわち七曜をあしらっていることの多いのはそのためである。
明治になってから、神と仏は分離され、妙見様は相馬中村神社と改め、祭神も天之御中主神としたのである。

この神称は日本の国土がはじめて出来た時、すべての神の中でもっとも早く、天の真申に出現された神として、層神の先祖にあたるわが国最古の神である。
「古事記」に「天地初発の時になりませる神」と濁る神で初発神社とも呼ばれるゆえんである。

相馬中村神社のはじまりは、社伝によれぼ今からおよ三千余年前の承平年聞(九三一~九三七)相馬家の先祖平将門が下絵の国猿島郡という所に妙見社を創建し七戟勝を祈願併せて国家安泰、国民諸業の繁栄を祈念したことにはじまり、後孫師常公(平泉征伐の功により源南朝から奥州相馬の地を与えちれ、奥州相馬氏の祖七なったが、この時はまだ奥州には来ていない)がやはり下絵の相馬郡に社殿を建てたと伝えるのち元亨三年(一三二三)になって、師常より六世の孫相馬孫五郎重胤公が鎌倉からはじめて奥州行方郡に移るや同時に妙見雨を太田にうつし(奥州下降のとき鎮守妙見の神輿に遷従し相馬公と同行した雨宮は田代左衛門大夫信盛にて現宮司些二十九代の子孫にあたる)正慶元年(一三三二)小高に築城してうつる時、また神社も小高にうつしさらに慶長十六年(一六一一)相馬利胤公相馬中村に城をうつした時妙見社も中村城の城内にうつした。
これが今の相馬中村神社である。

したがって相馬中村神社は、相馬家代々の氏神とLて崇敬とくに厚かったばかりでなく、相馬の総鎮守として今にいたっている理由である。

現在の本社建築である相馬中村神社本殿・幣殿・拝殿は寛永二十年(一六四三)に建立されたもので、相馬地方の代表的古建築として国の重要文化財に層定されている。
建築様式は用材として捧をふんだんに使用した権現造りであり、本殿および拝殿正面の墓股と呼ばれる部材は神社由緒を象徴するかのように、馬の彫刻が属されている。

ところで、現在建物の外観は白木造りの様相を呈しているが、本殿は本来、木部全体に漆塗り(摺漆)を施したものであった。
建立後の三五〇年という歳月により、建物は一見、真の姿を隠しているが、内部に施された漆塗り、彩色は良く残り、当時の装飾美を今に伝えている。

また元禄の頃相馬藩中興の藩主といわれる昌胤公は、とくに吉田神道に帰依されたためもあって、吉田神道に止る神事が今に伝わり、ことに吉田流の護摩祈祷に昔の名残りをとどめていると言われて居る。(現在正月元旦より十五日に至る聞相馬中村神社において社家代々直伝による護摩行事を執り行い各々の家業の繁栄は言う迄も無く無病息災の祈願を御奉仕している)
宮司の田代家も重胤公の時に妙見に供奉してきた古い社家にして現在の宮司田代誠信は実に二十九代目の子孫にあたる。
又祖田代冠者信綱を祀る田代観音(田代寺)は鎌倉市の名捜町にある。

http://www.somanakamurajinjya.or.jp/yuisho.html


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Santiago de Compostela

2011-05-11 | 東日本大震災と研究者
Santiago de Compostela 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月11日(水)00時36分58秒

朝日新聞の「ニッポン前へ委員会」で募集していた論文の締め切りが5月10日だったので、私もちょこっと文章を書いて、応募してみました。
タイトルは「東北に『サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路』を─歴史的建造物の復元による復興計画─」というもので、1か月前に考えていた内容なのですが、締め切り真近にならないとなかなか書かない性格のため、提出は結構ギリギリでしたね。
ま、落選したらこちらに載せます。

Santiago de Compostela
http://en.wikipedia.org/wiki/Santiago_de_Compostela

スペイン・サンチアゴ巡礼の道
http://geo-g.com/04essay/contents/europe/tada/index.htm


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虎捕山・山津見神社のガハハおばさん

2011-05-08 | 東日本大震災と研究者
虎捕山・山津見神社のガハハおばさん 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月 8日(日)10時10分36秒

4月30日(土)に訪問した飯舘村虎捕(とらとり)の虎捕山・山津見(やまつみ)神社は、狛犬の代わりに狼が迎えてくれる面白い神社ですね。
のどかな山村の飯舘村の中でも、格別に奥深い感じがする場所に非常に立派な社殿が建っていて、驚きました。
参拝後、500円の御札を求めようとすると、割烹着を来たおばさんがレジ操作にとまどって、なかなかお釣りをもらえませんでした。
何とか操作終了後、「いつもは若い巫女さんがやってくれるんだけど、逃げちゃってねえー」と豪快に笑っていました。
「この御札は神棚に置く必要はなくて、玄関口とかに適当に貼っておけばいいのよ」てなことを方言で言われていました。

「@丸森の巨石伝説!」というサイトに神社の詳しい紹介が載っています。
今回は拝殿だけでしたが、山上の本殿にも行ってみたいですね。

------------
御一條帝の御代(約九百年前)真野の里に生まれ育ったといわれる橘墨虎という悪者がおりました。
墨虎はひとなみはずれて大きく、神通にたけた豪の者で常に部下をひき連れて村落を行き来し民家を襲って財物を強奪し、「墨虎の通る時は駅民皆縮みあがり逃げ惑う」状態となり良民は大いに難渋しておりました。
墨虎は霊山に物見台を設けて遠近を一望(物見台から大張と連絡を取っていたものと思われます。詳しくは旗立て石を参照)するなど、勢力益々強大となり、当時の豪族たち皆墨虎に服従して朝命に従わず、まさに猛虎の如き勢いとなりました。
御冷泉帝の御代永承六年、源頼義公奥境鎮守のため下向し掛田に陣したとき、人々達悩みを訴えて墨虎を退治して難を除き給えとお願いしましたので頼義公は部下に命じ墨虎を討たせる事になりました。

http://zuiunzi.net/igu/bsrisuto.g1/4.html
http://zuiunzi.net/igu/index.htm

飯舘村観光ガイドマップ
http://kankou.vill.iitate.fukushima.jp/kankou/kanko/guidemap/index.html

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5854

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武田邦彦博士の告白

2011-05-08 | 東日本大震災と研究者
武田邦彦博士の告白 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月 8日(日)00時00分1秒

武田邦彦氏の今日の日記より。

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社会を混乱させる放射線医学・防御の専門家

福島原発の事故が起こって、わたくしがびっくりしたことの一つに、放射線医学もしくは防御の専門家が、これ程大きくその考え(および発言)を変えるとは思っていなかったことです。
わたくしは、原子力の燃料を研究し始めた若い頃、放射線の仕事をする限りは、放射線と身体のことをよく勉強しておかなければいけないと思い、第1種放射線取扱主任者という試験を受け、免状をもらいました。
この資格は、放射線を取り扱う専門家にとっては、最もレベルの高い資格で放射線を取り扱うところは、必ずこの資格を持った人がいなければいけないことになっています。
でもわたくしは、放射線と人体の関係を「研究する」という意味では、専門家ではありません。わたくしはあくまでも原子力関係の専門家であり、その仕事をするに必要なものとして放射線取扱主任者の試験を受けたのです。
わたくしは、福島原発事故が起こってから「1年に100ミリシーベルトまでは大丈夫だ」と言っている「その人たち」に、長い間、真逆のこと、つまり「1年に1ミリシーベルト以上は危ない」と教えられてきたのです。
放射線医学の専門家は、自信を持って次のように話してくれました。
「放射線による人体の障害は2種類あって、100ミリシーベルト以上では、放射線に被爆した人に何らかの障害が出る。明らかに出るのは250ミリシーベルト程度である。
これに対して100ミリシーベルト以下の被爆では、確率論的に患者が発生する。確率論的とは1人の人が被爆したから、その人が発症するというのではなく、10万人の集団が被曝すると、その中から確率的にある数の患者が出るということである。
確率論的に患者が出るかどうかということについては、長く議論されてきたが、1990年の ICRP の勧告以来、国際的には確立しており、日本の法律もすべてそれに準拠している。
放射線では確率論的に患者が発生するということを頭に叩きこんでおかなければならない。」
わたくしにこのように教えてくれた先生がたは、福島原発の事故が起こると突然、態度を翻し、
「武田は専門家でもないのに、いい加減なこと言って人心を惑わしている」
と言い出したのです。
わたくしは年でもあるので、わたくし自身が批判されることについては全く気にしていませんが、とにかくビックリしました。
そして、この発言が多くの人を惑わし、また政府の政策を狂わせた原因にもなっています。
もしも放射線の専門家が20年間にわたってわたくしに教えてくれたことをそのまま社会に発信していたならば、政府は「1年に1ミリ以上は危険である」という国際基準と国内法を守る政策を採ったでしょう。
それはとてもすっきりしているので、1年1ミリ以上になる可能性のあるところには、政府が数1000台のバスを手配して(ソ連がそうだった)避難することができたでしょうし、多くの人は一つの基準を守って安全な生活をすることができたと思うからです。
(後略)

http://takedanet.com/


1943年生まれの武田邦彦氏は「原子力の燃料を研究し始めた若い頃」に「第1種放射線取扱主任者という試験を受け、免状をもら」っただけで、放射線と人体の関係を研究する専門家ではなく、過去数十年の放射線医学の学問的進展を全くフォローしていないにもかかわらず、放射線医学に関する分野で積極的な発言を続けているのですね。
ちょっと凄いですね。


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牛飼いと刑法第37条(その2)

2011-05-07 | 東日本大震災と研究者
牛飼いと刑法第37条(その2) 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月 7日(土)17時56分58秒

村田淳氏をはじめとする「エム牧場」関係者は市町村長の許可を得ずに警戒区域に入っていますので、ごく形式的に考えれば、原子力災害対策特別措置法第20条第3項に基づく平成23年4月21日付内閣総理大臣指示に違反し、「十万円以下の罰金又は拘留」(原子力災害対策特別措置法第28条第1項により読み替えられる災害対策基本法第116条)の処罰に値する犯罪者のように見えます。

では、本当に犯罪が成立するのか。
直感的には犯罪成立との結論には違和感があり、警察も今のところ逮捕等はしていないですね。
論理的には当該内閣総理大臣指示が国民の居住・移転の自由(憲法第22条)を侵害する憲法違反の行為であり、違法・無効だから犯罪は成立しない、というのが一番素直ですが、この理屈を裁判所に認めてもらうためには大変な苦労が必要です。
ただ、刑法の解釈論でも、

----------------
刑法第37条
 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
----------------

に該当するものとして違法性が阻却され、犯罪不成立と考えることは十分に可能ではないかと思います。
この条文は「緊急避難」といって、日常用語の語感とは若干のずれがありますが、正当防衛(刑法第36条、「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。」)が不正の侵害に対する反撃なので、広く防衛行為を認めるのに対し、不正ではない侵害に対する対処が正当化される条件として、「やむを得ずにした行為」であり、かつ「生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合」、即ち、法益権衡が必要とされます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8A%E6%80%A5%E9%81%BF%E9%9B%A3

自分たちの財産である牛に、今、直ちに飼料を与えなかったら死んでしまうのですから、「現在の危難を避けるため」であり、また、方法も検問を強行突破するといった危険な行為はせず、細い山道を地味に越えて行くだけですから、相当性があります。
問題は法益の権衡があるといえるかですが、「避けようとした害」が明らかであるのに対し、「生じた害」はいったい何なのかは意外と分かりにくい話です。
そこで、そもそも本件内閣総理大臣指示がどのような法益を守ろうとして出されたのかを調べると、原子力対策本部の平成23年4月21日付「警戒区域の設定」には、次の記述があります。

------------------
1 警戒区域の設定の考え方
(1)警戒区域
①方針
避難のための立退きを指示された区域内の現状として、同区域内に残留したり、立ち入ったりする居住者等が確認されている。
これらの者の安全を確保することが困難であるほか、同区域外への影響も懸念されることから、新たに同区域を警戒区域として設定し、居住者等の生命または身体に対する危険を防止することとする。

http://www.kantei.go.jp/saigai/pdf/20110421110001shiji.pdf

「居住者等の生命または身体に対する危険を防止する」とありますが、国に保護してもらいたいと思う人はともかく、国に保護してもらう必要などない、国が自分の権利・財産を守ってくれない以上、自分の権利・財産は自分で守る、という意思を明確にしている人に対して、いやいや、それでも国はあなた方を守ります、ということは、パターナリズムそのものですね。
こんなことが保護されるべき法益なのか。
そもそも、判断能力の乏しい人ではなく、普通の国民に対して、そんなお節介が許されるのか。

ところで、表面的には「居住者等の生命または身体に対する危険を防止」とありますが、「同区域外への影響も懸念される」との部分、その意図が気になります。
これは要するに、「居住者等」が自由に立ち入ると放射性物質を警戒区域外にばら撒くから、それを防止したいということですかね。
そうだとすると、この方針の考え方は、福島県ナンバーの車に乗った避難者の宿泊や飲食を拒否した馬鹿ホテルや馬鹿飲食店の馬鹿経営者、福島県からの避難者の小学生を「放射線がうつる」といじめた馬鹿ガキらの思考と五十歩百歩のような感じもします。
ま、それはともかく、刑法第37条の解釈としては「生じた害」はあまりたいしたものではないことが明らかなので、法益の権衡は十分に認められることになりそうです。
そこで、緊急避難として違法性が阻却され犯罪不成立という考え方は、法律論として十分成り立ちそうですね。


パターナリズム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

農業生産法人有限会社エム牧場
http://www.jfc.go.jp/a/information/manage/livestock/081111.html

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牛飼いと刑法第37条(その1)

2011-05-07 | 東日本大震災と研究者
牛飼いと刑法第37条(その1) 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月 7日(土)17時55分35秒

『河北新報』に次のような記事が出ていました。
『河北新報』のネットの記事は2週間程度で削除されてしまうようなので、念のため転載しておきます。

---------------
「牛を見捨てられぬ」餌運び続ける 原発事故警戒区域

「300頭以上の牛が腹をすかせて待っている。行かなければ死んでしまう」。福島第1原発事故で立ち入りが禁じられた20キロ圏内の警戒区域に、今も牛の餌を運び続ける畜産農家がいる。丹精込めて育ててきた牛への愛情と、日々の営みを突然奪った東京電力や国への怒りが、農家を突き動かしている。

<重なり倒れる>
 「人が行かなくなった畜舎は悲惨。成牛も子牛も折り重なるように倒れてる。生き残った牛もがりがりにやせて、力のない目でこっちを見る。もう、いたたまれない」
 20キロ圏内の牧場の様子を切なげに話すのは、二本松市の農業生産法人「エム牧場」の村田淳社長(56)。同社は県内7カ所に牧場があり、和牛約1200頭を飼う。原発事故で職員が避難した後も数日おきに、原発から14キロの浪江町の牧場にトラックで餌を運んできた。
 浪江農場は敷地約30ヘクタールと広大な主力牧場で、震災前は328頭を飼育。畜舎を増設するなど規模を拡大中で、近く600頭まで増やす計画だった。
 場長の吉沢正己さん(57)は国が3月12日、20キロ圏内に避難を指示した後も踏みとどまった。しかし、原発の状況が悪化したため17日に退避した。「原発が爆発するたびに、どーんと重い音が響いた。双眼鏡で見ると白い煙が立ち上って、もうこれまでかと泣く泣く牛を置いてきた」と振り返る。
 その翌日には必死の思いで農場に戻り、畜舎の牛を放牧場に放した。浪江農場の牛をどうするか、社内で激論が交わされた。出荷できない牛に経費をかけて維持し、何の意味があるのか。国の指示に従わず、危険を冒す必要はあるのか―。
 「結論は命を見捨てて、同じ生き物として恥ずかしくないのかということ。できる限りのことはしたい」。率先して浪江に餌を運ぶ村田社長は語る。吉沢さんも「東電が事故を起こし、国が住民の意見を聞かずに立ち入り禁止の線を引いた。牛や農家は何も悪くない。ひるんで逃げるのは嫌だ」と強調する。

<細い山道抜け>
 通り道の浪江町と南相馬市には立ち入り許可を何度も求めてきたが、認められていない。「なぜ駄目なんだ」と村田社長は憤る。やむを得ず、検問を避け、細い山道を抜けていく。帰りは必ず被ばくの有無を確認するスクリーニングを受けるが、異常値が出たことはないという。
 今、20キロ圏内では春の日差しの中、放された牛や豚がのどかに草をはみ、その脇の畜舎では逃げられなかった家畜が無残な姿をさらす。「まさに天国と地獄だ。本当は家畜を放すのも良くない。でも仕方がなかった。畜舎を閉じたまま避難した農家にも事情がある。正解なんかない」と村田社長。
 餌を積んだ車が到着すると、放牧場に散っていた牛たちは甘えた声を上げ、集まってくる。中には生まれたばかりの子牛も。「牛飼いをやってて良かった、餌運んで良かったって実感する」と村田社長は言う。

2011年05月05日木曜日

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110505t63025.htm



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避難後の死者

2011-05-07 | 東日本大震災と研究者
避難後の死者 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月 7日(土)11時57分30秒

医師の坂本泰樹氏は4月30日に、

--------------------
放射能自体では誰一人死んでいません。
なのに、悲観した農家の人が自殺したり、ノイローゼになったり、体育館などの劣悪な避難所で高齢者が体調をくずして死んだりで百人くらい死んでいるかもしれません。

http://ameblo.jp/yazzsakamoto/

と書かれていますが、今日の朝日新聞の記事によると、やはり「避難後に死亡した高齢者らは少なくとも60人以上」だそうですね。

--------------------
避難中・避難後の死亡に弔慰金 原発事故で厚労省見解

 東京電力福島第一原発事故で避難中や避難後に体調を崩し死亡した人の遺族について、厚生労働省が「災害弔慰金」の支給対象とする見解を福島県に伝えたことがわかった。災害弔慰金は自然災害で死亡した人の遺族に支給すると定められているが、地震などに発した原子力災害に適用される初のケースとなる。(中略)
 第一原発周辺の市町村によると、避難後に死亡した高齢者らは少なくとも60人以上いるという。今後、市町村が死亡届の記載内容などから因果関係を判断し、支給の可否を決める。
 政府は原発事故の起きた3月11日、第一原発から半径3キロ以内の住民に避難指示を出した。12日に半径20キロ圏内と、福島第二原発から半径10キロ圏内に拡大。4月22日には第一原発の半径20キロ圏内を警戒区域に設定し、原則として立ち入りを禁じた。
 避難を余儀なくされた住民の中には、移動を繰り返し、衰弱したり持病が悪化したりして死亡した人がいる。県や市町村には、遺族から、原発事故に伴う避難でも弔慰金が支給されるか問い合わせがあるという。

http://www.asahi.com/politics/update/0506/TKY201105060448.html

私も、原発事故発生直後のパニック状態の中で起きた高齢者の死亡についてまで、菅政権を批判しようとは思いません。
特定の状況においてはパニックに陥るのはやむを得ないし、津波の被災地ではパニックに陥らずに落ち着いて対処したために津波に巻き込まれて死んでしまった人が大勢います。
児童の7割が死亡・行方不明となった石巻市の大川小学校の場合、隊列を組んで整然と避難せずに、誰かがパニックに陥って早めに裏山に逃げ込んでいたら、ある程度は助かったかもしれません。
問題は事故発生直後と異なり、放射性物質の放出が少なくなった現在において、なお避難を強制すべきなのか、ということですね。
強制すれば、高齢者の死者が更に増え続けるのは明らかです。
弔慰金を払えばよい、損害賠償すればよい、という問題ではないですね。

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津島稲荷神社とDASH村(浪江町)

2011-05-07 | 東日本大震災と研究者
津島稲荷神社とDASH村(浪江町) 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月 7日(土)11時22分47秒

>筆綾丸さん
相馬太田神社は鳥居や主要な建物はしっかりしていたので、比較的軽微な被害で済んだと言ってよいと思います。
同神社から南に1㎞ほど行くと20㎞ラインに入りますが、南相馬市は放射性物質の濃度がそれほど高くないことが分かって、かなり人が戻ってきている様子でした。
写真の白い車もおそらく神社関係者の車だと思います。

私が参詣した神社の中では、浪江町の津島稲荷神社は相当荒れていました。
浪江町津島は放射性物質の濃度が特に高い地域のひとつだそうで、大半の人が避難したようですね。
津島稲荷神社の改修記念碑には、

-------
稲荷神社の由緒を按ずれば、古、出羽国由利郡白岩城の守護神として
祀られておりましたが、養和元年(一、一八一)安徳天皇の御代、戦乱を
避け、城主逸見冠者義清が三男安田三郎義定及び弟志摩四郎義忠が
ご神体(当時のご神体現存)を捧持し来たり、下津島は石鼻の地を相し社殿を
造営し、対馬大明神と称し、津島・下津島・羽附・水境・芹沢・赤宇木・昼曽根七ヶ村の
総鎮守と定められ、相馬高胤公より神紋七曜星及び五三の桐、下馬の制札を賜る。
此の時より神前十五町(千五百米)の間、乗馬許されず、世に「下馬※大明神」と
称された由緒深きお社であります。

応永七年(一、四〇〇)当所稲荷の森に遷座され、
宝永五年(一、七〇八)稲荷神社と改称し奉り現在にいたる。
-------

とあり、史実をどこまで反映しているのかは分かりませんが、登場人物はなかなか面白いですね。
恥ずかしながら、「下馬※大明神」の※の字が読めません。

神社から3㎞ほど離れた下津島地区内には、日本テレビ系列で放映されている番組の舞台、DASH村があるそうです。
DASH村の村民は津島稲荷神社の氏子ですね。

DASH村
http://www.ntv.co.jp/dash/village/index.html

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5849

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ドナドナ

2011-05-05 | 東日本大震災と研究者
ドナドナ 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月 5日(木)22時50分8秒

『河北新報』によると、飯舘村の名産、飯舘牛は全頭処分されるようですね。

---------
飯舘牛、全頭出荷へ 村公社「移動は肉質に影響」

福島第1原発事故の影響で、全域が計画的避難区域となっている福島県飯舘村の村振興公社(理事長・門馬伸市副村長)は、村畜産技術センターで肥育している飯舘牛約270頭を全頭手放す方針を固めた。
公社は生後10カ月の子牛を19カ月間肥育し、市場に出荷している。公社の方針によると、肥育開始後間もない子牛は、県内外の畜産農家に買い取ってもらう。その他の子牛も市場に順次出荷するという。30日の理事会で正式に決める。
門馬理事長は「(住民の避難に伴い)牛を移動させたりすると、ストレスがかかって肉質に影響する。ブランドの維持は困難だ」と説明した。
飯舘牛1頭当たりの価格は50万円程度にまで落ち込み、利益を出すのが難しくなっていることも理由という。
村は1988年に公社を設立し、年間平均300頭を生産。このうち肉質が最高級のA4、5の牛だけを「飯舘牛」のブランドで販売してきた。

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110505t62024.htm


4月30日(土)は福島市内の信夫山公園に寄った後、再び飯舘村に行き、山津見神社・綿津見神社などの神社巡りをしました。
たまたま通りかかった牧場では牛がのんびり草を食んでいましたが、この写真の牛も処分されることになるのか、それとも畜産技術センターの牛とは別枠の個人の牧場の牛であって、暫くは生きていられるのかが気になります。

ドナドナ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%89%E3%83%8A

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5847
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相馬太田神社(その2)

2011-05-05 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月 5日(木)22時15分22秒

「相双地域の総合的な地域情報ウェブサイト 相双ビューロー」には、同神社の案内板が引用されているのですが、私が撮ってきた案内版の表記とは若干の違いがあります。
改行を含め、案内板の通り記述すると、

-----------
当社は今を去る六百八十余年前元亨
三年四月二十二日茨城県守谷城より相
馬孫五郎重胤公が御国換えの際、氏神と
して持ち来たり祀られたもので相馬の発
祥地なり、霊験あらたかにして生とし生
ける物は其の御分霊受けて居り神人、万
物の生死栄枯はことごとく、其の司宰に
ももるる事なく福祉を万民にたれ拾い
信仰なければ富貴延命を保ち長く子
孫繁栄し牛馬家畜の守護神でもある。
-----------

となっていて、「其の司宰にももるる事なく福祉を万民にたれ拾い信仰なければ」の部分、文意が取りにくい、というか訳が分からないのですが、「其の司宰に洩るる事なく福祉を万民に垂れ給う信仰なれば」の誤りでしょうか。

http://yumesoso.jp/item.php?itemid=211

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5846
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相馬太田神社(その1)

2011-05-05 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月 5日(木)21時56分14秒

4月29日(金)夕方に訪問した南相馬市の相馬太田神社の様子です。
地震で蔵の上部が壊れ、石段を登ると石灯篭がかなり破損しており、木製の白馬も倒れていました。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5845
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教育者として

2011-05-05 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 5月 5日(木)20時37分35秒

>文教日本史さん
私があなたのブログを批判した理由は、あなたが教育者だからです。
あなたは学生にとっては権威的、場合によっては権力的な存在です。
そのあなたが原発事故に関して、きちんとした裏付けのない意見を述べた場合、学生はそれを無批判に受け取り、拡散させる可能性があります。
武田邦彦氏の見解には卓見もあるでしょうが、素人でもすぐに気づく誤りが多く、同氏は非常に軽率でそそっかしい人と言わざるをえないと思います。
こうした人のブログを、何の留保もつけずに紹介するようなことは、教育者がすべきことではありません。
あなたは様々な条件・留保をつけたうえで学生に自分の見解を述べているつもりでしょうが、あなたのブログを読む限り、それは学生には全く伝わらず、ひたすら放射能は怖い、という印象を与えるだけになっていると思います。
放射能の雨を浴びた野菜は食べられない、東北の野菜はとにかく危ない、給食に出してはダメだ、という人が増えれば、東北の経済は息の根を止められます。
それは大川小学校で亡くなったあなたの教え子も悲しむに違いない事態でしょう。
多くの歴史学者が「紅旗征戎吾が事に非ず」を決め込む中、原発について活発に発言するあなたは、それなりの信念をお持ちでしょう。
しかし、きちんとした根拠に基づかない見解は、結局は風説の流布にならざるをえないと思います。
個別論点については話がかみ合わないことが明らかなので、書きません。
なお、あなたのブログにコメントを書き込むことは、今後は控えます。


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