学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

同じ最高裁判所長官とはいっても・・・。

2016-05-13 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月13日(金)13時14分8秒

>筆綾丸さん
>「9条 立憲主義のピース又吉」

石川氏は平和でない方のピースという言葉が結構好きらしくて、例の「7月クーデター説」の説明においても「二〇一四年七月一日、日本の防衛法制にとって最も枢要なピースが破壊され、ひとつのクーデターが起こったのである」などと言っていますね。

「日本の防衛法制にとって最も枢要なピース」─「窮極の旅」を読む(その32)

>藤林の追加反対意見への言及は矢内原忠雄を導くためのただのダシ

そうですね。
藤林について調べ始めたら、ダシとしての品質にもいろいろ問題がありますね。
ウィキペディアを見ると、藤林は1970年7月に最高裁判事に就任、76年5月に長官となるも翌年8月に退官ですから長官在任は僅か1年3か月で、戦後18人いる最高裁長官の中でも最短です。


国会図書館サイトで<著者:藤林益三>を検索すると39件ヒットしますが、最高裁判事就任前の著書を見ると、編著が『貸倒れ対策一問一答』(金融財政事情研究会、1967)、単著が『法律あ・ら・かると : 銀行員のケースによる実務への手引』(近代セールス社、1968)の合計二冊だけですね。
また、『松田判事在職四十年記念 会社と訴訟. 上』(有斐閣、1968)という論文集に「 第二会社について」という論文を寄せているほか、次のような若干の雑誌記事があります。

「私立学校退学処分の法律上の性質とその効力の判定(民事々件)-判例研究」
「会社更生法をめぐる諸問題(座談会)」
「地面師の話」
「貸倒れ対策一問一答」
「会社更生法15年の回顧と改正の問題点」


「地面師の話」を始め、いずれも非常に格調高いタイトルの書籍・雑誌記事ばかりなので、正直言って、よくこれで最高裁判事、そして長官になれたな、という感じがしないでもありません。
退官後、再び弁護士に戻ってからの著書である『法律家の知恵─法・信仰・自伝』(東京布井出版、1982)を見ても、分量的には信仰に関する記述が相当ありますが、失礼ながら独創的な見解は特になく、カール・ヒルティの『幸福論』の引用など、キリスト教の通俗道徳的な側面に終始していますね。
不遜な言い方ですが、同じ最高裁判所長官とはいっても、田中耕太郎などとは教養の水準が全く違いますね。

岩元禎と田中耕太郎
「鷗外の序文を代筆した男」(筆綾丸さん)

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

esoteric な立憲主義 2016/05/13(金) 12:36:01
小太郎さん
遅ればせながら、石川健治氏の寄稿を読んでみました。
----------
日本の立憲主義を支える結界において、憲法9条が重要なピースをなしてきた、という事実を見逃すべきではないのである。・・・こと戦後日本のそれに関する限り、文字通り抜き差しならないピースをなしているのであり、このピースを外すことで、立憲主義を支える構造物がガラガラと崩壊しないかどうかを、考えることが大切である。
----------
「9条 立憲主義のピース」という標題から、はじめ、ピースは peace のことかと思いましたが、piece のことだったのですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/Piece_(%E6%BC%AB%E7%94%BBベストセラー「Piece (漫画)」のテーマは「考えるな、感じろ!」とのことですが、石川氏のピースのテーマは「感じるな、考えろ!」ということですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%B9_(%E3%81%8A%E7%AC%91%E3%81%84%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%93)
コンビ名の英語表記は Peace と Piece のダブル・ミーニングとのことですが(英語表記にして渡米するつもり?)、石川氏の「9条 立憲主義のピース」という標題は、お笑いコンビよろしく、Peace と Piece の double meaning だ、という駄洒落かもしれないですね。

全文を読むと、藤林の追加反対意見への言及は矢内原忠雄を導くためのただのダシ、ということがよくわかりました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E7%95%8C
-------------
結界(Siimaabandha)とは、聖なる領域と俗なる領域を分け、秩序を維持するために区域を限ること。
-------------
スィーマーバンダーの本義からすれば、石川氏の説く「憲法諸条文が織りなす公共空間という結界」は聖なる領域だから、立憲主義がゆくりなくも秘教じみてきて、幽霊屋敷に迷い込んだときのようなドキドキ感があります。石川氏のレトリックはいつも刺激的で良いですね。
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同一性保持権の問題

2016-05-12 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月12日(木)15時33分42秒

>筆綾丸さん
>心血を注いだというわりには、なぜパスティーシュのような塩梅なのか。

そうですね。
確かに「写経」というよりもパスティーシュに近い感じがします。
石川健治氏は、

------
 藤林長官は、ここで引用を止める。しかし、読ませたかったのはその先であろう。そのためにこそ、出典を明示しつつ、あえて他人の文章を「写経」する、という異例の手段を採ったのに相違ない。引用されなかった部分。そこに書かれていたのは、矢内原にとって宿命的な論点だった、植民地主義と軍国主義の論点である。
------

などと書いていますが、全く納得できません。
実際に「引用されなかった部分」を読んでみても、石川氏のような感想を抱く人は少ないのではないですかね。
また、「異例の手段」であることに加え、例えば筆綾丸さんが前回投稿で引用された部分、

------------------
国家の存立は、真理に基づかねばならず、真理は擁護せられなければならない。しかしながら、何が真理であるかを決定するものは国家ではなく、また国民でもない。いかに民主主義の時代にあつても、国民の投票による多数決をもつて真理が決定せられるとは誰も考えないであろう。真理を決定するものは、真理それ自体であり、それは歴史を通して、すなわち人類の長い経験を通して証明せられる。真理は、自証性をもつ。しかし、自ら真理であると主張するだけでは、その真理性は確立せられない。それは、歴史を通してはじめて人類の確認するところとなるのである。宗教に関しても、真理は自証性を有するものであるといわなければならない。したがつて、真の宗教は、国家その他の世俗の力によつて支持されることなくして立つべきものであり、かつ、立つことが可能なのである。そして宗教は、その独立性こそが尊重せられるべきである。
------------------

など、全部が矢内原の文章の「写経」ではなく、「宗教に関しても」以下は藤林が勝手に追加していることが分かり、私もちょっとびっくりしました。
「裁判官藤林益三の追加反対意見」は憲法76条3項「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」の「良心」とは何か、という古典的な論点との関係で若干の議論があるはずですが、ごちゃまぜの引用は著作権法上の問題も孕んでいそうです。
著作権法32条1項で「公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれる」引用は許容されますが、その際には出所の明示が必要です(48条1項1号)。
自分の著作物と他人の著作物を区別しないようなごちゃまぜの引用では出所が明示されているとは言い難いですね。
また、引用と出所の明示は著作財産権の問題ですが、もう一つ、著作者人格権の中の同一性保持権(20条)の問題が生じそうです。
矢内原忠雄(1893-1961)は津地鎮祭判決の16年前に死んでいて、一身専属権である同一性保持権は相続の対象とはなりませんが、著作者死亡後も「著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為」は禁止されていますから(60条。なお116条)、死んじゃったからよいのだ、という話ではありません。
なお、「裁判官の良心」という古典的な論点については、藤林も『法律家の知恵─法・信仰・自伝』(東京布井出版、1982)において、「裁判官と良心」という項目で津地鎮祭訴訟にも触れて縷々述べているので、後で紹介してみます。

>丹波発 ふるさとの君たちへ

ご紹介のサイト、「他の二人の姉は京都市に奉公に行き、結核で早く亡くなりました。姉のことを思うと泣けてきます」には実感が籠もっていますね。
矢内原は愛媛県の豊かな農村の大地主の家に生まれた人ですが、藤林は京都北部の寒村の貧しい家の出身で、出自はかけ離れています。
藤林は自分でも、篤志家の援助がなければせいぜい地方の村長程度で終わった人生だっただろう、と言っていますね。

※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。

余は如何にして基督信徒兼裁判官となりし乎 2016/05/10(火) 13:07:49
小太郎さん
「津地鎮祭訴訟の最高裁判決全文」を精読する気力はないものの、所々拾い読みして、プロテスタント藤林益三の追加反対意見は、訴訟を逸脱しているというか、独善的というか、なかなか面白いものですね。
------------------
国家の存立は、真理に基づかねばならず、真理は擁護せられなければならない。しかしながら、何が真理であるかを決定するものは国家ではなく、また国民でもない。いかに民主主義の時代にあつても、国民の投票による多数決をもつて真理が決定せられるとは誰も考えないであろう。真理を決定するものは、真理それ自体であり、それは歴史を通して、すなわち人類の長い経験を通して証明せられる。真理は、自証性をもつ。しかし、自ら真理であると主張するだけでは、その真理性は確立せられない。それは、歴史を通してはじめて人類の確認するところとなるのである。宗教に関しても、真理は自証性を有するものであるといわなければならない。したがつて、真の宗教は、国家その他の世俗の力によつて支持されることなくして立つべきものであり、かつ、立つことが可能なのである。そして宗教は、その独立性こそが尊重せられるべきである。
------------------
あらずもがなの益体もない「追加反対意見」とはいえ、上告審判決において、「真理の自証性」など何の関係もなく、倒錯以外の何物でもないだろう、と思います。これは、珍奇な反対意見として、我国の裁判史上、画期的なものかもしれず、後世に伝えたい迷文のひとつですね。
そもそも、「真理の自証性」とは何なのか。ゲーデルの不完全性定理によって、そんな寝言が成立しないことは、すでに1930年代に証明済なんですがね。イライラするほど無意味なトートロジーではあります。
また、「宮沢俊義編岩波文庫、世界憲法集訳」とか「清水望、滝沢信彦共訳、「コンヴイツツ・信教の自由と良心」のうち、宗教とは何か、参照」とかあるのですが、なんだこれは、中央公論や岩波書店への寄稿のための大雑把な下書きではないか、という感じすらしてきます。

-------------
けだし、神社神道も仏教も、その教義は多神教もしくは汎神教的であつて、キリスト教のような人格的一神教でなく、個人の人格の観念を刺激し、基本的人権の観念を発達せしめず、したがつて、信教自由の原則の重要性を認識させることも少なかつた。
-------------
これは、プロテスタント藤林益三の問わず語りの信仰告白のようなもので、裁判とは無関係な戯言にすぎず、最高裁大法廷の中に勝手にキリスト教を搬入してはいけない、ただし、基督信徒が裁判官席に座ることは構わない、いわんや、上告人席並びに被上告人席においてをや、と入口に貼紙してみたい感じです。この人がもしイスラム教徒であったなら、どんな狂言綺語を繰り出しただろうか、と聖アントニウスの誘惑のように妄想が膨らんできますね。もっとも、イスラム教徒であれば、憲法第20条は無視されて、任官の段階でそっと篩い落とされるでしょうが。
注)いわんや~をや:田中耕太郎の口吻の継受。

「反対意見」中「本件起工式の性質」にある、「清祓の儀、刈初めの儀、鍬入れの儀」などは、古くは『吾妻鏡』の「土公」や「犯土」に関係する道教的な儀礼ではないか、という感じがしますね。道教からの換骨奪胎だから、神道のみ論ずるのは片手落ちというべきで、反対意見を表明した面々は、返す刀で道教をも斬らねばならん、と考えるのは、たぶん私一人なんだろうなあ。

追記
http://mainichi.jp/articles/20160508/ddm/002/030/084000c
イスラム教徒のロンドン市長誕生に対して、トッドの感想を聞いてみたいですね。イスラム教徒のパリ市長は、当分ありえないでしょう。フランスでは最近、イスラム教徒が大統領になるというウエルベックの『服従』(未読)が、ベストセラーになったようですが。エジプトやサウジアラビアやイランの大統領がキリスト教徒などという時代は、「ゴドーを待ちながら」ではありませんが、永遠に来ないでしょう。
http://www.bbc.com/news/world-us-canada-36240523
お馬鹿なご婦人には、微分方程式がアラビア文字に見えたのではあるまいか。

丹波離れ80年、募る郷愁 2016/05/12(木) 14:36:22
小太郎さん
あまり腕の良くない中世装飾写本の修道僧のような藤林益三からは、死せる孔明生ける仲達を走らす、という故事を連想してしまいました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%9E%97%E7%9B%8A%E4%B8%89
--------------
後に、彼は、「自らの法律家としての人生は、まさに、この判決のためにあったようなもの」と述懐しているほど、この判決の執筆に力を入れたと言われる。
--------------
とウィキにありますが、心血を注いだというわりには、なぜパスティーシュのような塩梅なのか。武蔵国の大法廷に飛び込んできた伊勢国の珍しい窮鳥(津地鎮祭訴訟)を奇貨として、やや敬意は欠きながらも、死せる(矢内原)忠雄へのオマージュを献呈してみた、というのが実相だったのではあるまいか。

http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/tanba/21.html
------------
裁判官の粒がそろわなければ、国民が迷惑するのです。また、現在の司法制度が被害者をないがしろにし、裁判結果の通知すらないのはいかがなものでしょう。
------------
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「近代日本における宗教と民主主義」を読んでみた。(その4)

2016-05-12 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月12日(木)11時08分44秒

ということで、「Ⅰ 国家と宗教」に関しては、石川健治氏の<ほぼ一字一句「写経」>との紹介と異なり、藤林は矢内原の文章にけっこう好き勝手な修正を加えているばかりか、矢内原が全く書いていない独自の文章を付け加えていますね。
さて、「裁判官藤林益三の追加反対意見」の「二 宗教の民主主義化」を見てみると、これは四節に分かれた矢内原の「Ⅲ 宗教の民主主義化」の第二節(p375以下)に対応しています。
冒頭、矢内原は、

------
 国家神道若しくは神社神道に関する連合軍最高司令部の覚書は三つの重要なる点を含んでゐる。
 第一は、神社を宗教と認めたことである。これが日本国民の国民的感情に完全に合致するや否やは若干疑問の余地がないではない。神社は宗教としての思想的体系としては貧弱であり、むしろ素朴なる民族的生活感情の表現たる点が多いからである。併しながら神社の行事ならびに神官の行為には宗教的行事と認められるものがあり、殊に近年の神社参拝の強要政策に鑑み、これを宗教とする事は、宗教とせざる事よりも事実に近いであらう。
------

と書いていますが、藤林は、

------
 国家神道又は神社神道に関する連合国最高司令官総司令部からのいわゆる神道指令は、3つの重要な点を含んでいる。そして、これが憲法20条の基礎をなしているのである。
(一) 神社を宗教と認めたことである。これが日本国民の国民的感情に完全に合致するや否やは、若干疑問の余地がないではない。神社は、宗教として思想的体系が貧弱であり、むしろ素朴な民族的生活感情の表現たる点が多いからである。しかし、神社の行事並びに神職の行為には、宗教的行事と認められるものがあり、これが本件の問題である。

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/25-3.html#tsuika-hantai-iken

としていて、矢内原の「国家神道若しくは神社神道」を「国家神道又は神社神道」に変更し、また「連合軍最高司令部の覚書」を「連合国最高司令官総司令部からのいわゆる神道指令」に変更し、矢内原が書いていない「そして、これが憲法20条の基礎をなしているのである」を追加していますね。
また、矢内原の「殊に近年の神社参拝の強要政策に鑑み、これを宗教とする事は、宗教とせざる事よりも事実に近いであらう」は削除し、代わりに「これが本件の問題である」を加えています。
更にその少し後、矢内原は、

------
 第三に、かく国家より分離せられたる神社を宗教として信仰することは、国民の自由であると為された。これは信教自由の原則上、神社神道の信奉者にも他の宗教と同様なる地位を認められたのであり、連合軍最高司令部の指令が神社を廃止する趣旨でなきことを明らかにしたのである。但し神社神道は軍国主義的乃至過激なる国家主義的イデオロギーのいかなる宣伝弘布をも禁ぜられたが、これはひとり神社神道に限らず、敗戦国たる日本のすべての言論、すべての思想に対して課せられた至上命令であり、しかしてそれは正当なる命令と言はねばならない。思想および信教の自由と言つても、それが政治上の原則たる限り、与へられたる状況における政治上の必要に照して、決して形式的に無制限たるを得ないのである。
 前にも述べた通り、明治維新当初、政府は新日本を開くに当り、制度及び文化は西洋より輸入したが、精神的根柢としては日本古来の神ながらの道によることとし・・・
-------

と書いていますが(p376)、藤林は、

------
(三) このように国家より分離された神社を、宗教として信仰することは、国民の自由であるとされたことである。
 明治維新後、政府は、新日本を建設するに当たり、制度及び文化は西洋より輸入したが精神的根底としては日本古来の神ながらの道によることとし・・・
------

と大胆に圧縮していますね。
まあ、こんな具合に大胆な削除や細かい変更は多いのですが、藤林が引用している部分に限れば、「一字一句」とまでは言えないにしても、全体的には「パクリ」、失敬、「写経」に近いような利用の仕方になっていますね。
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「近代日本における宗教と民主主義」を読んでみた。(その3)

2016-05-11 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月11日(水)17時24分9秒

さて、続きを矢内原は次のように書いているのですが(p358)、藤林は段落ごと丸々削除していますね。

-------
 国家権力の起源を宗教的に説明することは、古来しばしば行はれて来たところである。あらゆる権威は神によりて立てられたるものであるから、すべての人、上にある権威に従ふべしとは、使徒パウロの教である。然るに地上の事物はすべてサタンによりて侵されやすきものであり、国家権力といへどもその例外を為すものではない。ヨハネ黙示録では、ロマ帝国は「獣」になぞらへられ、その権力は明白にサタン的なるものとして描写せられてゐる。ロマ皇帝は自己を神格化し、自己を祀る神殿を建てさせ、自己を現人神として礼拝することを国民に強要した。而して正にその事の故に、ヨハネ黙示録の記者はロマ皇帝の権力をサタンより出でたるものと称したのである。
-------

まあ、「使徒パウロの教」やサタンがどうしたこうしたという部分は、信仰面では重要であっても、さすがに判決文には引用しづらい感じはしますね。
続けます。

-------
 国家は真理に基かねばならず、真理を擁護せねばならない。併しながら何が真理であるかを決定するものは国家ではなく、また人民でもない。いかに民主主義の時代にありても、人民の投票による多数決を以て真理が決定せられるとは、誰も考へないであらう。真理を決定するものは真理それ自体であり、それは歴史を通して、即ち人類の長き経験を通して証明せられる。真理は自証性をもつ。併し自ら真理であると主張するだけでは、その真理性は確立せられない。それは歴史を通してはじめて人類の確認するところとなるのである。
-------

これと「裁判官藤林益三の追加反対意見」を比較すると、ちょっとイライラするくらい細かい変更が多いのですが、ま、それはともかくとして、

-------
宗教に関しても、真理は自証性を有するものであるといわなければならない。したがつて、真の宗教は、国家その他の世俗の力によつて支持されることなくして立つべきものであり、かつ、立つことが可能なのである。そして宗教は、その独立性こそが尊重せられるべきである。

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/25-3.html#tsuika-hantai-iken

は矢内原の方には対応する文章が全くなく、藤林の独自見解のようですね。
まあ、独自見解を述べること自体は結構ですが、矢内原を大幅に引用しているにもかかわらず、それと区別できない形で自分の見解を忍び込ませるという手法はかなり問題がありそうです。
さて、矢内原は更に次の文章を加えて「Ⅰ 国家と宗教」を締めくくるのですが、藤林は全部削除していますね。

-------
 日本は過去においてすぐれた宗教家と道徳教師をもつた。中にも第十三世紀に現はれた一仏僧日蓮は国家と宗教との関係について、国家は正しき宗教を認め、邪教を禁ずることによりて興隆するのであり、国家が維持せられることによりて宗教が顕れるのでなきことを痛論した。彼の言にはイスラエルの預言者的な響があつた。併しながら日本が信教自由の原則を学び始めたのは、遥か後代のことであつたのである。
-------

まあ、日蓮にならって「国家は正しき宗教を認め、邪教を禁ずることによりて興隆する」と主張してしまったら、政教分離原則と正面からぶつかりますから、この部分はちょっと引用できないでしょうね。
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「近代日本における宗教と民主主義」を読んでみた。(その2)

2016-05-11 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月11日(水)16時55分40秒

それでは「Ⅰ 国家と宗教」の冒頭を見てみます。(p357)

-------
 1

 国家と宗教の分離は近世民主主義国家の一大原則であつて、これは数世紀に亙る政治的及び学問的闘争の結果かち得たる寛容の精神の結晶である。この原則は次の二つの主要点を含むものである。
(一) 国家はいかなる宗教に対しても特別の財政的もしくは制度的援助を与へず、または特別の制限を加へない。すなはち国家はすべての宗教に対して同一にして中立的なる態度を取るべきである。
(二) 国家は国民各自がいかなる宗教を信ずるかについて何らの干渉を加ふべきでない。信教は各個人の自由に放任すべきであり、宗教を信ずるや否や、信ずるとすればいかなる宗教を選ぶかは、国民各自の私事である。
------

これと「裁判官藤林益三の追加反対意見」を比較すると、藤林は、

------
 信教の自由は、近世民主主義国家の一大原則であつて、これは数世紀にわたる政治的及び学問的闘争の結果、かちえた寛容の精神の結晶である。政教分離原則は、信教の自由の確立の歴史の過程で、その保障に不可欠の前提をなすものと考えられるに至つているが、次の2つの主要点を含む。
(一) 国家は、いかなる宗教に対しても、特別の財政的もしくは制度的援助を与えず、又は特別の制限を加えない。すなわち国家は、すべての宗教に対して、同一にして中立的な態度をとるべきである。
(二) 国家は、国民各自がいかなる宗教を信ずるかについて、何らの干渉を加えるべきではない。信教は、各個人の自由に放任されるべきものであり、宗教を信ずるや否や、信ずるとすればいかなる宗教を選ぶかは、国民各自の私事である。

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/25-3.html#tsuika-hantai-iken

としていて、藤林は主語を「国家と宗教の分離」から「信教の自由」に変え、更に「政教分離原則は、信教の自由の確立の歴史の過程で、その保障に不可欠の前提をなすものと考えられるに至つている」を加えていますね。
「一字一句」とは言い難い変更ですが、検討は後回しにして続きを見ると、矢内原は、

------
 かくして国家の特定宗教への結びつきは原則的に否定せられ、国民の信教の自由は原則的に確立せられ、国家は世俗化せられたのであるが、併しながらこれによつて国家と宗教の問題が全く消滅したのではない。何となればすべての国家はその存立の精神的又は観念的基礎を有ち、特定の思想の宣伝ならびに教育を重要国策の一つとして数へる。多くの基督教国が今なほ国立教会の制度をもつて居る。ソ連にとりてのマルクス主義、或ひは米国にとりてのデモクラシーは、いづれも国家公認の宗教教義に近いものではなからうか。国家は決して国民の思想に対して無関心な中立的態度をもつことは出来ず、またもつべきではない。宗教も人類の観念形態〔イデオロギー〕の一つである限り、国家は信教自由の原則を認めると同時に、国家自身が宗教に対して無関心無感覚であつてはならない。信教自由の原則は国家の宗教に対する冷淡の標識ではなく、却つて宗教尊重の結果でなければならない。
-------

としていますが、藤林は「特定の思想の宣伝ならびに教育を重要国策の一つとして数へる」以下、「国家は決して国民の思想に対して無関心な中立的態度をもつことは出来ず、またもつべきではない」までをすっぱり削った上で、矢内原の「宗教も人類の観念形態〔イデオロギー〕の一つである限り」を「宗教もまた人類の精神の所産であるから」に変更しています。
矢内原がわざわざ「イデオロギー」とルビを振っている「観念形態」を「精神」としてしまうことも、「一字一句」で済ませるのはどうかな、という感じはします。
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「近代日本における宗教と民主主義」を読んでみた。(その1)

2016-05-11 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月11日(水)16時09分21秒

石川健治氏が藤林益三の「追加反対意見の前半は、内村鑑三が創始した無教会主義のキリスト者・矢内原忠雄の文章を、ほぼ一字一句「写経」することで成立している」と書いていたので、判決文でそんなことをしていいのかな、と思って「近代日本における宗教と民主主義」(『矢内原忠雄全集』第18巻、岩波書店、1964)を読んでみました。
同書巻末の「編集後記」によれば、

-------
三、『近代日本における宗教と民主主義』─本論文は日本太平洋問題調査会編『日本社会の基本問題』(一九四九<昭和二十四>年四月十五日、世界評論社刊)に収められたものである。同会副理事長大内兵衛氏の「序」によると、同書は、戦後新たに発足した日本太平洋問題調査会の最初の論文集で、「そのうち一部はすでに英語に翻訳され、小冊子の形をもつてI・P・R〔Institute of Pacific Relations〕の各国加盟団体をはじめ海外の調査機関、大学等に送られ」、「戦後における日本人の最初の直接の声として研究者および識者の高い評価」を受けた。本論文もその一つであって、同書発行に先立って、英語版が"Religion and Democracy in Modern Japan"の題下に"Pacific Studies Series"の一冊として一九四八年五月二十五日に国際出版株式会社から発行された。
 なお、同書の寄稿者は著者のほか、大内兵衛(「戦後における日本財政金融の民主化」)、羽仁説子(「日本の家族制度─日本の女性から見た─」)、宮本百合子(「今日の日本の文化問題」)、羽仁五郎(「日本人民の歴史」)の諸氏であった。
-------

とのことですが(p747)、大内兵衛(1888-1980)は東大経済学部での矢内原の同僚で労農派の経済学者、羽仁説子(1903-87)は教育評論家で五郎(旧姓森)の妻、宮本百合子(1899-1951)はプロレタリア作家で宮本顕治(1908-2007)の妻、羽仁五郎(1901-83)は当掲示板でも何度か取り上げた著名な左翼の歴史学者で、全体的にマルクス主義者の割合が高い、というか矢内原を除く残りは程度の差はあれみんなその系統ですね。
なお、日本太平洋問題調査会の当時の理事長は高野岩三郎で、大内・矢内原とも縁の深い人ですね。

太平洋問題調査会

さて、「近代日本における宗教と民主主義」の構成は、

Ⅰ 国家と宗教
Ⅱ 近代日本における国家と宗教の問題
Ⅲ 宗教の民主主義化
Ⅳ 宗教による民主主義化

となっていて、全体で35ページあります。
そしてⅠとⅢが「裁判官藤林益三の追加反対意見」に大幅に引用されていますね。
ただし、その引用の仕方は石川氏の言う「ほぼ一字一句「写経」する」といった具合でもないですね。

>筆綾丸さん
『矢内原忠雄全集』18巻を図書館から借りてきて読み始めたところなので、ちょっとレスが遅れます。
すみませぬ。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

无寿国繍帳? 2016/05/10(火) 18:50:16
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b219812.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%AF%BF%E5%9B%BD%E7%B9%8D%E5%B8%B3
小原仁氏『慶滋保胤』をパラパラ捲ると、次のような個所があって、ハッとしました。
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よく知られた「天寿国」が「无寿国」の誤りであり、无寿国は無量寿国(極楽浄土)の略称・・・(148頁)
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「天寿国」なる奇妙な国土が仏教上あるはずがなく、たしかに「无寿国」の誤読なのでしょうね。仏教研究者には自明のことかもしれませんが、なぜ今だに「天寿国繍帳」でまかり通っているのか、しかも国宝として。不思議な話ではありますね。聖徳太子が往生したのは、「天寿国」ではなく「无寿国」だというのは、教理上、自然な発想ですね。日本史の教科書で、ずいぶん好い加減なことを我々は習わされてきたのかもしれません。
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神職の「特権的地位」の実情

2016-05-10 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月10日(火)09時01分8秒

石川健治氏の「(憲法を考える)9条、立憲主義のピース又吉」をきっかけに、久しぶりに津地鎮祭訴訟の最高裁判決全文を読んでみたのですが、「裁判官藤林益三、同吉田豊、同団藤重光、同服部高顕、同環昌一の反対意見」の前提となっている「国家神道」の認識は、1977年当時の戦後歴史学の、より正確に言えば当時のマルクス主義的な歴史学者の研究水準をそのまま反映していますね。

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すなわち、明治元年(1868年)、新政府は、祭政一致を布告し、神祇官を再興し、全国の神社・神職を新政府の直接支配下に組み入れる神道国教化の構想を明示したうえ、一連のいわゆる神仏判然令をもつて神仏分離を命じ、神道を純化・独立させ、仏教に打撃を与え、他方、キリスト教に対しては、幕府の方針をほとんどそのまま受け継ぎ、これを禁圧した。明治3年(1870年)、大教宣布の詔によつて神ながらの道が宣布され、同5年(1872年)、教部省は、教導職に対し三条の教則(「第1条 敬神愛国ノ旨ヲ体スヘキ事 第2条 天理人道ヲ明ニスヘキ事 第3条 皇上ヲ奉戴シ朝旨ヲ遵守セシムヘキ事」)を達し、天皇崇拝と神社信仰を主軸とする宗教的政治思想の基本を示し、これにより、国民を教化しようとした。また、明治4年(1871年)、政府は、神社は国家の宗祀であり一人一家の私有にすべきでないとし(太政官布告第234号)、更に、「官社以下定額及神官職員規則等」(太政官布告第235号)により、伊勢神宮を別として、神社を官社(官幣社、国幣社)、諸社(府社、藩社、県社、郷社)に分ける社格制度を定め、神職には官公吏の地位を与えて、他の宗教と異なる特権的地位を認めた。明治8年(1875年)、政府は、神仏各宗合同の布教を差し止め各自布教するよう達し、神仏各宗に信仰の自由を容認する旨を口達しながら、明治15年(1882年)、神官の教導職の兼補を廃し葬儀に関与しないものとする旨の達(内務省達乙第4号、丁第1号)を発し、神社神道を祭祀に専念させることによつて宗教でないとする建前をとり、これを事実上国教化する国家神道の体制を固めた。

http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/25-3.html#hantai-iken

こうして年表風に事実だけを並べると、「国家神道」確立に向けられた強固な一貫した方針があったように感じられるのですが、実際には様々な思惑を持った人々の離合集散・右往左往の結果にすぎません。
例えば明治維新直後、岩倉具視と結んで神仏判然を主導した玉松操など、その頑迷さゆえに間もなく岩倉との溝が深まり、京都で憤死する有様で、その一派の影響力は雲散霧消しています。
また、浄土真宗を中心とする仏教側の巻き返しも強烈で、「神官の教導職の兼補を廃し葬儀に関与しないものとする旨の達」などは神官の地位強化どころか、神道側の重要な財源となりえた神葬祭の普及を断ち切り、仏教側の巨大な葬祭利権を確保した点で、仏教側の圧倒的勝利ですね。
葬儀とそれ以外の宗教的儀礼に要する費用は桁違いですから、仮に明治政府が神葬祭の普及に積極的に加担していたら神道側に顧客を奪われた弱小寺院の廃絶が激増し、神道と仏教の力関係は激変したはずですが、実際にはそうなりませんでした。
形式的には「神職には官公吏の地位を与えて、他の宗教と異なる特権的地位を認めた」としても、給与が僅少な上に、給与以外の有望な財源を断ち切られてしまった結果、「特権的地位」は有名無実だったのが実情です。
そのあたりの史実は、「国家神道」憎しの左翼的な歴史学者たちは知っていても書かないので、左翼的な思想に縁のない裁判官たちでも誤解している人が多いですね。

(追記)
「国家神道」の実像について現在の研究水準を知りたい人には阪本是丸氏(国学院大学教授、1950生)の著書、例えば『国家神道形成過程の研究』(岩波書店、1994)、『近代の神社神道』(弘文堂、2005)、『近世・近代神道論考』 (弘文堂、2007)などがお奨めです。
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藤林益三による矢内原忠雄の「写経」

2016-05-09 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月 9日(月)12時04分9秒

石川健治氏が朝日新聞に寄稿した「(憲法を考える)9条、立憲主義のピース」は、宗教的観点から一部に興味深い内容が含まれていたので、少し検討してみます。


石川氏は、

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 改憲を唱える人たちは、憲法を軽視するスタイルが身についている。加えて、本来まともだったはずの論者からも、いかにも「軽い」改憲発言が繰り出される傾向も目立つ。実際には全く論点にもなっていない、9条削除論を提唱してかきまわしてみたりするのは、その一例である。日本で憲法論の空間を生きるのは、もっと容易ならぬことだったはずである。
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と法哲学者の井上達夫氏にイヤミを言った後、逆に<「重さ」を感じさせる一例>として1977年に出された津地鎮祭訴訟での最高裁長官・藤林益三の反対意見について薀蓄を傾けます。

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 しかし、この事件を「法律家人生をかけてとりくんだ」とのちに振り返る藤林は、裁判長ながら「違憲」の反対意見に回る。しかも、「違憲」派5人の共通の反対意見に加えて、さらに1人で追加反対意見を書いた。藤林が明記して断っているように、追加反対意見の前半は、内村鑑三が創始した無教会主義のキリスト者・矢内原忠雄の文章を、ほぼ一字一句「写経」することで成立している。
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石川氏も後半で書いていますが、藤林益三(えきぞう、1907-2007)も無教会主義のプロテスタントですね。
その著書『法律家の知恵』(東京布井出版、1982)をパラパラめくってみたところ、藤林の夫人(巌谷小波の娘)が内村鑑三の高弟・塚本虎二の聖書研究会に参加していて、藤林も一緒に出るようになり、塚本の死後はその集会を藤林が承継するような形になったのだそうです。
ま、それはともかく、プロテスタントなのに「写経」はないだろうと思って「裁判官藤林益三の追加反対意見」を見てみると、

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六 以上が、反対意見に追加する私の意見であるが、その一及び二項において、私は矢内原忠雄全集18巻357頁以下「近代日本における宗教と民主主義」の文章から多くの引用をしたことを、本判決の有する意義にかんがみ、付記するものである。


ということで、「多くの引用をした」というのが藤林自身の表現ですね。
私自身の関心は石川氏とは違うので、例えば「過去一千年以上にわたつて実行せられて来た仏教と神社との二重生活」といった表現に興味を惹かれますが、その点はひとまず置いて、石川氏の文章の最後の方を少し引用してみます。

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ただし、ここには、一つの問題がある。新しい結界のもとで再編された「公共」は、立憲主義が想定する「無色透明」なそれであるが、そうした「公共」に対して、国民の情熱や献身を調達することは難しい。ありていにいえば、そうした無色透明なものに対して命は懸けられないのである。この点は立憲主義の、それ自体としてのアピール力の弱さを示している。
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まあ、個人的には「公共」が「無色透明」であって何が悪いのだ、それ以上の「公共」など誰が欲しがっているのだ、そのどこに「立憲主義」の弱さがあるのだ、と思う訳ですが、それもひとまず置いて続きを読むと、

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この点、矢内原は、政教分離原則は「国家の宗教に対する冷淡の標識」ではなく、「宗教尊重の結果」であることを強調し、むしろ「国家は宗教による精神的、観念的な基礎を持たなければ維持できない」ことを強調した。当然ながら、最もふさわしいのはキリスト教、というのが矢内原の立場だ。近代立憲主義国家は、実はキリスト教による精神的基礎なしには成り立たないという。実は藤林も無教会主義の敬虔な信者であった。
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ということで、ここで石川氏はやっと藤林が無教会主義のプロテスタントであることを明らかにします。
そして、石川氏は「欧米の憲法史にそっていえば、矢内原らの見方は、かなりあたっている」と言うのですが、これは本当ですかね。
フランス革命を主導した思想家、そして革命派の民衆はカトリックの王党派と闘っていたことの一事をとっても「近代立憲主義国家は、実はキリスト教による精神的基礎なしには成り立たない」は歴史的事実に反しており、むしろそれは矢内原忠雄・藤林益三らの願望にすぎないのではないですかね。
また、石川氏の「欧米の憲法史にそっていえば、矢内原らの見方は、かなりあたっている」との評価は、キリスト教徒の「欧米の憲法史」研究者の見方であって、一般的な評価とは異なるのではないですかね。
石川氏の文章は相変わらず荘重ですが、私には賛同できかねる点が多い、というか大半に賛同できないですね。

>筆綾丸さん
>どういう了見か不明ですが、アクサン記号が一切なく、

ちょっとびっくりしましたが、本当にありませんね。


アクサン記号がない「仏文」というのは随分のっぺりしていて気持ちの悪いものですね。
おそらく翻訳業者に依頼したのでしょうが、ここまでひどい手抜き仕事を注意しない日本法律家協会側の担当者も雑な仕事をしていますね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

法曹界の高踏派 2016/05/08(日) 13:14:28
小太郎さん
http://jpnba.or.jp/
ご紹介の「一般財団法人 日本法律家協会」には、なぜか英語と仏語の説明文もあるので(法継受的には重恩のはずの独文はない)、試しに仏文を眺めてみると、どういう了見か不明ですが、アクサン記号が一切なく、誠に奇妙な表現であることがわかります。
たとえば、 la cour supreme(la cour surême=最高裁、アクサンシルコンフレクスの欠落)、 l'Universite de Tokyo(l'Université de Tokyo=東大、アクサンテギュの欠落)、a la Haye(à la Haye=ハーグ所在の、アクサングラーヴの欠落)・・・といった具合で、枚挙に遑がありません。つまり、こんな不完全なものは仏文とはいえない。日本の法曹界はこの程度か、とフランス人に舐められるのは必定で、もう一方の英文は大丈夫なんだろうか、と心配になります。
そして、肝心の日本文には、「・・・しかし、60年余年の時を経て、社会は文明化し・・・」という一文があるのですが、「散切り頭を叩いて見れば文明開化の音がする」という表現があるごとく、日本社会はもっと早くから法的に「文明化」していたのではないか、と思いました。
法曹界の高踏派のエリートたちには、当然のことながら、こんなホームページ、何の関心もないのだろうな、ということがよくわかって面白いですね。この関心のなさの程度は日本国民への関心のなさの程度に、もしかすると、似ているのかもしれません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E8%B8%8F%E6%B4%BE
日本の Mont Parnasse は、愛宕山(標高25.7m)ではなく、三宅坂上一帯を指しますね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E4%BA%95%E8%A3%95%E4%B8%80
http://www.nikkei.com/article/DGKKZO02023830X00C16A5MY5000/
本日の日経朝刊で、田中素香氏『ユーロ危機とギリシャ反乱』(岩波新書)と三好範英氏『ドイツリスク』(光文社新書)を中心に、森井裕一氏が現代ドイツを論じていますが、トッドへの言及はないですね。前段における森井氏の言説は、トッド説によく似ているのですが。
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藤田宙靖氏の怒り

2016-05-08 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 5月 8日(日)11時10分0秒

掲示板もちょっと休むと休みグセがついてしまって、随分間隔が空いてしまいましたが、ボチボチ再開します。
さて、私の憲法論議に関する興味は、去年、石川健治氏の「7月クーデター説」の論理を検討したことで殆ど消えてしまって、5月3日の憲法記念日前後にメディアを賑わせた改憲論議も大半が古くさい議論の蒸し返しのような感じがして冷ややかに眺めていたのですが、世間的には全然騒がれていないけれども、ちょっと気になった出来事がありました。
それは藤田宙靖氏(元最高裁判所判事・東北大学名誉教授)の新安保法制に関する論文が、日本法律家協会の『法の支配』に掲載を拒否された、という地味な一件です。
神田憲行氏(ノンフィクションライター、1963生)の「憲法巡る重鎮たちの『殴り合い』 その激しく熱い内幕」という記事には、

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 集団的自衛権について昨年までは違憲派の押せ押せムードだったが、今年に入り、違憲派に疑問を突きつける動きが広まっている。
 きっかけは元最高裁判事の藤田宙靖・東北大名誉教授が雑誌「自治研究」2月号に掲載した論文「覚え書き-集団的自衛権の行使容認を巡る違憲論議について」だ。藤田氏はこの中で違憲論議が「必ずしも、一貫した精緻な議論が展開されているようには感じられない」として、違憲説を検証して疑問を指摘している。

http://www.news-postseven.com/archives/20160501_408079.html

とありますが、私は未読だったので、時々利用している大学図書館でこの論文を確認したところ、行政法の大家であり、かつ最高裁で長く実務にも携わった藤田宙靖氏らしい、ごく穏当な論文でした。
しかし、この論文の一番最後に次のような記述があります。(p29、注16)

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(16)本稿は、当初、本文に述べたような意を伝えるのに差し当たり最も適当な場であろうとの私の判断に基づき、私も会員である日本法律家協会の機関誌『法の支配』誌上への掲載を希望したものであるが、編集委員会における審議の結果、「直近号ないし比較的近い号に載せることはできない」という結論が出されるところとなった。編集委員会内部での審議が如何様なものであったのかについての詳細は、知る由も無いが、結果を伝達された際の編集委員長の説明によれば、「学問的に優れたものであることは、多くの編集委員が認めつつ、賛成論、反対論、慎重論に分かれ」このような結論となったということである。そしてこれは、「多数の現職の裁判官・検察官を会員とする日本法律家協会の機関誌という性格、及び、(筆者の)元最高裁判所判事という地位に伴う影響力の強さが考慮された結果」であるという。私には、実のところ、この掲載拒否理由の正確な意味は理解不能であるが、(その内容がどのようなものであれ、ともかくも、元最高裁判事が新安保法制を素材として書いた論稿を現職の裁判官・検察官に読ませることはできない、と言うことであろうか?)、仮に本稿の内容を十分に理解された上でのことであるとすれば(あるいは、充分に理解されないままでのことであれば、それはそれで尚更のこと)、「日本法律家協会」そして「法の支配」の名が泣く、真に情けない話であると言わざるを得ない。それはともあれ、このようないわくつきの原稿を快く登載して頂いた『自治研究』の寛容さと出版者としての良心とに、改めて深く感謝する次第である。
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最後の方、「日本法律家協会」の「法律家」の部分には傍点まで振ってあって、日本法律家協会と『法の支配』の「寛容さと出版者としての良心」の欠如に対する藤田氏の怒りがジワジワと伝わってきます。
日本法律家協会は「新憲法が制定され、司法の独立と民主化の黎明を迎えた昭和27年、裁判所、検察庁、弁護士会、法学界の4者が、それぞれの立場を貫きながら相互に理解と協調の精神を以て民主的な司法を構築すべく創立され」た財団法人で、歴代会長・役員は法曹界の重鎮ぞろいであり、最高裁判事も多数含まれていますね。
機関誌『法の支配』も高い権威を誇る雑誌ですが、東北大学名誉教授・元最高裁判所判事であって、おまけに日本学士院会員でもある藤田氏クラスの寄稿であれば、まあ、普通は掲載されるはずですね。
この編集委員長は誰だろうと思って、日本法律家協会の「役員名簿」を見てみると、青山善充氏(東大名誉教授、民事訴訟法)ですね。

http://jpnba.or.jp/
http://www.jpnba.or.jp/pdf/document_05new.pdf

ふーむ。
事情はよく分かりませんが、藤田氏の説明を読む限り、編集委員会のメンバーは「元最高裁判所判事という地位に伴う影響力の強さ」を持つ藤田氏の論文が「多数の現職の裁判官・検察官」に悪い影響を与えることを恐れたように思われます。
個人的には藤田氏の論文にそのような悪しき影響力があるとはとても思えませんが、仮にそうした影響力があるとしても、幼稚園児や小・中学校の児童・生徒が読むわけではなくて、読者は「現職の裁判官・検察官」ですからねー。
究極のパターナリズムと言うべきでしょうか。


※追記
藤田宙靖氏、日本学士院の「会員個人情報」欄で、「主要な著書・論文」の二つしかない論文に「覚え書き-集団的自衛権行使の容認を巡る違憲論議について」を挙げてますね。
公法学界の客観的評価としては他に重要な論文が山ほどありそうですが、藤田氏の主観的評価としてはこの論文は絶対に譲れないようで、ここにも藤田氏の怒りが地味に反映しているような感じがします。

http://www.japan-acad.go.jp/japanese/members/2/fujita_tokiyasu.html
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