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入試 列強の接近 3

2014-11-04 | 入試問題+ゴロ合わせ


■次の文中の空欄に、下記の語群からもっとも適当と思われる語を選び、その番号を記入しなさい。
16 世紀末に全世界に植民地をひろげていたイスパニアとポルトガルにかわって、17 世紀にはオランダが活躍し、つづいてイギリスやフランスが海外に進出しはじめた。

一方、ロシアは東方への進出に力を入れ、18 世紀初めころにはシベリアをへて日本の近海にあらわれた。1778(安永 7)年にはロシア船が厚岸に来航し、( A )に交易をもとめてきた。

ついで 1792(寛政4)年には( B )、の使節ラックスマンが根室に来航したが、幕府は鎖国の祖法を理由に退去させた。

さらに 1804(文化元)年にはレザノフが長崎に来航して日本との通商をもとめたが、幕府はこれも拒否したので、それ以後北方での緊張が強まった。

こうした事態を重視した幕府は、1798(寛政10)年に( C )を派遣して北方の探検にあたらしめた。彼は( D )のロシア人がたてた標識を撤去して、「大日本恵登呂府」の標柱をたてた。

また、1808(文化 5)年には間宮林蔵が樺太から大陸の黒竜江河口を探検し、樺太と大陸のあいだに海峡のあることを発見した。

この海峡は( E )によって間宮海峡と名づけられた。

また幕府は、北方防備のため 1799(寛政 11)年に東蝦夷地を、1807(文化 4)年には西蝦夷地を幕府の直轄領とし、警備をきびしくした。

他方、工藤平助は( F )をあらわし、林子平は( G )を出版して、それぞれ海外事情を説き、通商や海防の必要を訴えた。

このころ、南からもイギリスやアメリカが接近しており、イギリスの軍艦( H )がオランダ船を追って長崎に侵入し、その後もイギリス・アメリカの捕鯨船が日本の近海にあらわれたため、幕府は、1816(文化 3)年に出していた( I )を改め、1825(文政8)年には異国船打払令を出し、オランダと清国を除く異国船は理由のいかんを問わず打ち払うことを命じた。

このため、1837(天保 8)年には、漂流した日本人の送還と、日本との通商開始を交渉するために江戸湾入口に来航したアメリカの商船( J )を撃退する事件がおこった。

しかし、1842(天保 13)年に清国がアヘン戦争で敗れたことが伝えられると、幕府はこれに衝撃をうけて異国船打払令を緩和し、ふたたび( I )を発した。

それでも幕府は、1844(弘化元)年にオランダが国王の親書で開国を勧告してきても応じようとはしなかった。


〔語群〕
1.蒲生君平  2.薪水給与令  3.アロー号  4.桂川甫周  5.最上徳内  6.仙台藩  7.松前藩  8.エカチェリーナ2 世  9.モリソン号  10.ニコライ1 世  11.『赤蝦夷風説考』  12.ピョートル3 世  13.『北槎聞略』  14.リーフデ号  15.『戊戌夢物語』  16.フェートン号  17.国後島  18.近藤重蔵  19.ゴローウニン  20.シーボルト  21.得撫島  22.択捉島  23.サン=フェリペ号  24.ケンペル  25.『海国兵談』  26.高田屋嘉兵衛  27.寄港地制限令


[解 答]
(A) 一 7 (B)一 8 (C)一 18 (D)一 22 (E)一 2 0 (F)一 11 (G)一 25 (H)-16 (1)一 2 (J)一 9


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