いやや人権親切か。
1882年 加藤弘之『人権新説』
(人権新説)(加藤弘之(ひろゆき)・社会進化論)
[point]
1.加藤弘之は天賦人権論を否認し、社会進化論を唱え『人権新説』を著した。
[解説]
1.加藤弘之(1836~1916)は、但馬出石(いずし)藩(兵庫県)出身。維新後、天賦人権論を説く啓蒙思想家としてスタート。しかし普選運動には時期尚早と批判し、やがて国家主義思想へと転向。1877年東京大学初代総理、1890年帝国大学(のちの東京帝国大学)総長。
2.『人権新説』は、加藤弘之の著書。1882年刊。社会進化論の旗手としてダーウィンの生物進化論思想を社会的に解釈し、適者生存の競争社会を是とし、天賦人権論を否認。国家利益を優先する国権論をとり、国民の利益を優位におく民権論を否定する立場をとった。
〈2015立命館大・全学部
(r)下線部8明六社に関連して、「明六社」の創設者の一人で、当初は天賦人権論の立場であったが、のちに社会進化論の立場から天賦人権論を否定するに至った『人権新説』の著者として知られる人物は誰か。もっとも適当な名を下から一つ選べ。
あ森有礼 い西村茂樹
う加藤弘之 え植木枝盛
(答:う)〉西村 茂樹(にしむら しげき、1828年4月26日(文政11年3月13日) - 1902年(明治35年)8月18日)は明治時代の日本の啓蒙思想家、教育者。文学博士。道徳振興団体「日本弘道会」創設者。号は泊翁。
〈2015関西大・済文社会など2/1:「
(A)維新後、新政府に仕え、明六社にも参加した(1)【ア)加藤弘之 イ)森有礼 ウ)中村正直】は、『国体新論』などで天賦人権論を紹介したが、1882年刊の『人権新説』では、天賦人権論を否認し、自由民権運動に反対の立場をとった。」
(答:ア))
〈2012早大・政経
問8.下線部(6)の論旨とは別に、この史料と同様に、『明六雑誌』で民撰議院の設立に時期尚早を唱え、『国体新論』などを著した人物は誰か。
ア加藤弘之 イ津田真道
ウ中村正直 エ西村茂樹
オ西周」
(答:ア)〉
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます