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これってやはり化石? 私のライフスタイル!

ひともすなるブログなるものを、われもしてみむとてするなり

腸閉塞からの生還 … 主治医に ありがとうございます と言われる

2011-01-19 | 腸閉塞
9日
朝から食事が始まった。

この病院では 重湯 → 三分粥 → 五分粥 → 7分粥 → 全粥 → 腸用普通食 という流れを二日間ずつ繰り返すと効かされていた。

重湯は飲めない人が多いけど、がんばって少しずつよく噛んで食べてくださいと 昨夜看護婦さんから言われていた。

最初の食事は 重湯 実のない味噌汁 りんごジュース 甘い飲み物 加工乳製品の飲みもの 200ccだった。

トトの監督のもと ゆっくりと噛みながら 上の朝食を30分かけて食べきった。

途中で苦しくなり 汗まで出るほどのきつい食事になった。

食べることに疲れて 横になりたかったが、食後10分は 絶対に横にならずに せめて30分は起きておくようにとの注意をされていた。

しかし もうこれ以上アルブミンの点滴をしたくなかった私は 味がどうこうなどいっておられず必死だった。

朝食が終わったころ もう一度顔を出した主治医の先生は 『どうでしたか。 食べれましたか?』 と 心配そうに聞かれた。

私が『全部食べました』 と答えると なんと 深々と一礼されながら 『ありがとうございます』 と 言われた。

ほかにも この主治医の先生は びっくりすることが色々とあった。

どの先生よりも 早く病室に顔を出すし、 その時には 私の一晩の看護記録に目を通してあったこと。

言葉づかいがとても丁寧だったこと。

私のレントゲン検査の結果がよかったり、血液検査の結果で 改善がみられると プリントした用紙を持って ほんとに自分の事のように喜んで報告にいらしたこと。

何よりも 優しさがすべての動作ににじみ出ていた。

その後も先生の口から たびたび 『ありがとうございました』 と言われ 私も『こちらこそ ありがとうございました』と 交わす日々が続いた。

私は順調に回復し始めた。
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腸閉塞からの生還 … 術後から4日間

2011-01-19 | 腸閉塞
ICUでの一夜は 傷の痛みは感じたものの 快適だった。

術前にお願いしてあった腰痛対策のために 何回も何回も体位を変えてもらえたし、持ち込んだテンピュールのマットは腰の絶妙な位置に常に置いてもらえ 体位を変えるたびにテンピュールのネックピローをどちらかの膝あたりに挟んでもらえた。

しかも1日の朝 トトはテンピュールのマイピローを持ってきてくれていたが、それもICUのベッドの上で私の頭を支えてくれていた。

人工呼吸器を外された後の喉のイガイガ感がひどかったが、これも何回もうがいをさせてもらえた。

口と唇が乾燥して辛かったので お湿りが欲しいと言ったら、ガーゼを濡らして口と鼻を覆ってもらえたのもよかった。

なんと朝が来ると 歯磨きもしてもらえ 体も拭いてもらえた。

これは救急救命病棟ではやってもらえなかったことだったので、感激だった。
( 31日に嘔吐を繰り返した私の口をすすいで 歯磨きをしてくれたのは 一般病棟に移ってから しかも午後のことで それもプーさんがしてくれたのだった )

5日
朝になると トトとプーさんと妹が面会に来てくれてた。

私の苦痛のない顔をみて みんなどんなにほっとしてくれたことか。

昼には 鼻のチューブをはずしてもらえ 体を全部清拭してもらった後、術後のガウンも着替えて 一般病棟に戻ることができた。

主治医も何回も顔を出してくれたし、痛みどめの点滴を術前に使用したものから 傷に効くものに変えるので 効果を確かめてくださいと言われたが、術後の痛みどめは硬膜外麻酔もまだ効いていたし 痛いと騒ぐほどのものではなかった。

この日のうちにベッドから立ち上がって 歩かなければならないと覚悟していたが 5日はひたすらベッドの中で寝てすごせばいいようだった。


6日
朝、目が覚めると 左の指も手首も肘もぱんぱんに腫れあがり、どの関節も曲げることもできないほどになっていた。

数人の看護婦さんがやってきて 『さあ、ベッドから起き上がりますよ』 と言われたので、『わかっています。 私は昨日のうちに起き上がらなければならないと覚悟していたので がんばります』 と 答えた。

ベッドのリクライニングが起こされた。 まず体を横にしてもらい 膝をまげて足を下ろすように言われる。

痛い! さすがに傷が痛む。 ベッドの柵を両手で掴んで 足を床につけなさいと言われるが 体に力がはいらない。 しかも左の手が曲がらずに思うように使えない。

両脇を支えてもらい やっと立ち上がった。

私は 『大丈夫です。 歩きます』 と 言ったが、 看護婦さんに 『顔中脂汗かいているわよ。 午前中は ここまでにして 歩くのは午後にしましょう。 あせらなくていいから』 と 歩行については 延期を言われた。

立ち上がった動作の逆をやって ベッドに倒れると 息が激しく上がっている。

随分と体力がなくなったことを いやっというほど感じた。

左腕の腫れあがりを 看護婦さんに訴えると 主治医と相談して 圧縮ホータイを指から二の腕まで巻かれた。

午後もう一度 同じようにベッドから起き ベッドサイドに立った。

病院は古く 病室にはトイレの設備はなく、共有トイレまで10メートルほどを歩かなければならなかった。

点滴用のバーを支えに もう片方の腕を看護婦さんに支えてもらいながら トイレまで歩く。

トイレで導尿の管を外してもらった。 用を済ませたら ナースコールを押し もう一度看護婦さんに支えられて ベッドまで戻った。

『導尿も外されたし、これからは がんばってトイレに歩いていきますよ。 歩けば 腸もよく動きます』 と 言われたが ベッドから起きたり寝たりしたときに傷が痛み 繰り返すだろう痛みを考えると 憂鬱になってしまった。

しかし そんなこと言っていられなかった。 プーさんに支えられてトイレに行き、用を済ませ 病室に戻ろうとすると プーさんは私を方向転換させて 病院の回廊を歩かせて病室へ戻るルートをとるのだ。

腸閉塞の痛みとは違うが 痛さをこらえてのリハビリが始まっていた。

この日も姪っ子が来てくれて 左の腕を指先から腕にかけてずーっとリンパマッサージをしてくれた。

1時間ほどマッサージしてもらうと 腫れも半分ほどに減ったようにみえた。

7日 
この日も午前中姪っ子とプーさんが 左腕と両足 背中 お尻のマッサージをしてくれたが、マッサージの効果は表れるものの、時間が経過すると腫れてくる。

主治医がきて 血液検査の結果から まだ低蛋白血症の状態が続いていると言われる。

食べ物を口にできない状態が1週間続いている。 アルブミンの点滴を使えば改善されるが 100%安全といえないので 躊躇しているとの説明だった。

食べれるようになれば 浮腫みは改善されるからということだった。

しかし 回復も見られていた。 この日術後三日目にして 元気のあるおならが出たのだ。

夜から朝にかけてコップ1杯の水を飲んでいいと言われた。 

ところが 一口飲むと おなかが痛くなった。

背中の硬膜外麻酔を入れてある部分も痛みだした。

背中の痛みは 麻酔がなくなったことにあった。 外科の先生は たまたま出払っていて 内科の先生が 背中に刺した針を抜いてくれたが、痛みはひどくなるばかり。

ナースコールを押して 痛い 痛いと言えば、 どこが痛いかと尋ねられる。 おなかだと説明すると 傷の痛みか おなかの中の痛みかと さらに尋ねられる。

傷もまだ痛んでいたし どこの痛みか自分でもよくわからなかった。

この夜も再び 痛み止めの点滴をしてもらうことになった。

術後初めて うとうとすることもできないほ辛い夜を過ごすことになった。

8日
主治医の先生は 毎朝7時過ぎから半にかけて、顔を出してくれていたが、8日の朝も7時過ぎに 私の名前をまずよんで 『おはようございます。 昨夜は大変だったみたいですね 』 といい、腹帯の下に聴診器を入れて腸の動きを調べていた。

その後、間もなく移動式のレントゲン撮影機がきて 腹部の写真を2枚撮っていった。

もう一度主治医と外科部長の回診があり、二人で相談して アルブミンの点滴をすることに。

昨夜の痛みの原因は 腹部にガスと1週間前の便が溜まっているのに 低蛋白血症の状態で 改善が腸の動きも弱いとのことだった。 腸を動かす点滴剤ももちろん前から使われていたのだた。

この日も長い時間かけて リンパマッサージをしてもらったが、改善はするものの また浮腫みだすの繰り返し。 左腕はマットが自分の体の厚みより高く置かれて 常にそのマットの上に置くようにとのことだった。

午後 少しだが 通じがある。 夕方もう一度顔を出してくれた主治医の先生は 『お水はいくらでも飲んでいいですよ。 ただし 炭酸とかはおなかが張るから やめておいてください』 と、私の通じがあったことを我が事のように喜んでくれた。

私はミネラルウォーターとポカリスウェットと少しずつだが 何回にもわけて 存分に飲んだ。

細胞に水分が補給されていく感じがして 点滴以上の効果を実感できた。
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