3日の夕方座薬で腸を動かしてみましょうということで、座薬を使用された。
確かに 腸が動いて排便の気配がみられたが、我慢できずに 30分程したらプーさんにトイレに連れて行ってもらった。
どんなにがんばっても 小さな石ころほどの便の固まり3個ほどしか出ない。
3日の夜も痛みは続き、痛みどめを点滴に入れられた。
この日は右手もひどく浮腫んでいたし、腰・足・背中・腕と姪っ子とプーさんがリンパマッサージをしてくれていた。
担当の先生が朝の採決の結果をプリントアウトしてやってきて 話す言葉にびっくりした。
私が栄養失調状態だというのだ。
『ダイエットしたり 食事を抜いたりしていませんでしたか?』 と尋ねられた。
確かに暮れの30日は 父意識不明の電話の後、さまざまな準備に追われて 昼抜きになっていたが、夕食もクルマの中で採っていたし、31日も朝食・昼食もとっていた。
先生の言葉は ? ? ? だった。
4日の朝 もう一度座薬を使われた。 この時もわずかだか通じがあったが、便器を覗き込んだプーさんは 『5センチにも足りない細いものよ』 と落胆していた。
それでも私は腸が動きだしたので 高圧酸素療法で対応してもらえると期待して 気分も楽になった。
ところが 午後一番のCT撮影の後、病室に戻りベッドで臥せっていると 担当の先生と外科部長の二人が1時間もしないうちにやってきた。
私の名前を言った後 続いた言葉は
『申し訳ありません。 手術することになりました』 という外科部長の言葉だった。
それでも私は 動揺することもなく これでこの痛みから解放されるんだとほっとした気持ちになった。
『手術は明日の朝の予定でしたが、待てない状態なので、今夜します。詳しい話は担当の医師から』 と 外科部長は言ってベッドの側を離れて言った。
残った担当の医師が手術について話し始めた。
まずトトがいつ来るかということを尋ねられ、その夜最終便だと話すと、それでは 『ご主人様には電話で説明させていただくことにし、娘さんに必要な書類のサインをしていただきます』 と 言われた。
内容は 麻酔の方法についてが一点 点滴をするためにCVカテーテルという方法を行いたいということが一点 低たんぱく質血症状態なので アルブミンを点滴で使用したいということが主であった。
麻酔は硬膜外麻酔と全身麻酔を行うので人工呼吸器を気管に挿入することになるということだった。
全身麻酔は2か月前に経験していたので 私のほうからどういうものかわかっていると話した。
CVカテーテルについては 全身浮腫が起きているので 手や足から点滴の針を刺せない状態なので 協力してほしい との説明だった。
これも感染症などのリスクがあるからですよねと 私のほうから話した。
アルブミンについては 今の状態では手術に耐えられないので 是非使わせていただきたいが、アルブミンは生物由来のものなので 100%安全でないと付け加えての説明だった。
また 今回の腸閉塞の原因になった20年前の下腹部の手術について詳しく聞かせてほしいとも言われた。
手術した病院名、どんな手術だったかなどを尋ねられた。
癒着がわかったのは10年まえのことであるが、その経緯も詳しく尋ねられた。
そして 最後に 手術について何か質問はありませんか と 言われたので 私は二か月前に背中の脊髄近くにメスを入れられる手術をしたことを話した。
手術時間はどのぐらい要するかを尋ねると 『腸閉塞はおなかを開けてみなければ どの程度の時間を要するかは全く予測できません。』 とのことだった。
さらに 私が 人工肛門になる可能性はどのぐらいかと質問した。
先生は 『人工肛門になる可能性もおなかを開けてみてからでないとわかりません。 必要な場合は もうひとつの手術が加わるので 時間はさらに長くなります。もし人工肛門の処置をした場合は半年から1年間はその状態が続きます』 との説明だった。
『私は腰痛持ちです。術後ベッドにじっとしているのが多分つらいと思うので 持ち込んでいるマット二つを腰などに充てて対応してほしい』と頼んだ。
プーさんは今にも泣き出しそうな顔をしていた。 父親に泣き声で電話し、その後主治医に代わってもらい 話は簡単にすんだ。 トトは最終便で帰ってくるので待っていてほしいと頼んだが、それは無理そうだった。
そうそう 主治医は私にもう一つ付け加えた話しがあった。
手術後覚醒し、私が手足を動かして治療の妨げになる可能性があったら、拘束したいので その期間の拘束を了承してほしいとのことだった。
そうなのだ、私はERで散々さわぎうめき いろんなチューブを外してほしいと叫んだ前科があった。
一通りの説明の後、ほかに何か質問はありませんかと言われた。
私は一瞬迷ったものの、やはり言いたいことを口にしてしまった。
『手術とは関係ないのですが、よろしいでしょうか。』と 言った後、『先生は腸閉塞の手術のご経験はどのぐらいですか』 と 聞いていた。
先生は 私の目を見つめながら 『200例ほどの腸閉塞の手術に立ち会い、50例ほどの執刀をしました。 ここは救急救命センターなので 腸閉塞で搬送される患者さんは多いほうです。』 と 答えられた。
つぎの言葉が 先生の経験を問う質問の前だったか 後だったか 覚えていない。 が こんなことも聞いてしまった。
「先生はどこの高校のご出身ですか」と。
すると、主治医の先生からでた高校名は 私やトトと同じだった。
さらに 外科部長も同じ高校だという。
『私は そうですか、実は私たち夫婦も同じ高校の出身なので … ご縁だと思います』と へんなことを私はくちばしってしまった。
そして最後に 『お任せしますので どうぞよろしくお願いします』 と 頭を深く下げた。
私がサインしたのは 一枚の用紙だけ。 主治医は 『わかりました』 と これまた丁寧に深く一礼して 病室を出て行った。
私の胸の奥に 絶対にこの手術には失敗したくないという思いがあり、執刀する主治医に身を任せるにあたり、なにか結びつきが欲しいと願っていたのだと思う。
それから看護婦さんからプーさんに 手術にあたり必要なものをそろえる説明が始まった。
書類も次々に渡され サインしていた。
ところが あまりにも急な展開だったので、看護婦さんもあわてていて 説明がくいちがったりした。
そんな中、再び主治医が顔を出し、『手術は夜ではなく 4時からとなりました』と言いにきた。
看護婦さんがあわてだした。 手術まで1時間しか残っていない。
プーさんもパニックになり 『もういいです! 必要と言われたものは 全部準備します』 とイラついた声を出す始末。
出て行った主治医は間もなく戻ってきた。『手術室は準備が整いました、3時15分には 手術室に入ってもらいます』
私はプーさんに色々と話す時間もないまま 手術室に移動することになった。
手術室の前で プーさんに 『ひいちゃんに電話して助けを求めなさい』 と 2時間でほど前に病院から自宅に戻った姪っ子の名前を口にして 心細がる娘を気遣うのが精いっぱいだった。
手術が終わり 覚醒した。 術後のガウンを着せられ ICUに移された。
トトの顔があった。 プーさんの顔もあった。 姪っ子もいた。
250センチあった腸のうち 90センチを切り取ったと説明を受けたような気がする。
時間を聞くと 9時ぐらいだったように思う。
ホテルをキャンセルして病院に泊まるというトトに ホテルに行くようにいい プーさんも今夜はホテルでゆっくり休みなさいと言えた。
私はおなかの中が軽くなっているのがわかったし 助かったと確信していた。
痛みは感じたが 痛い痛いと叫ぶような痛さではなかった。
確かに 腸が動いて排便の気配がみられたが、我慢できずに 30分程したらプーさんにトイレに連れて行ってもらった。
どんなにがんばっても 小さな石ころほどの便の固まり3個ほどしか出ない。
3日の夜も痛みは続き、痛みどめを点滴に入れられた。
この日は右手もひどく浮腫んでいたし、腰・足・背中・腕と姪っ子とプーさんがリンパマッサージをしてくれていた。
担当の先生が朝の採決の結果をプリントアウトしてやってきて 話す言葉にびっくりした。
私が栄養失調状態だというのだ。
『ダイエットしたり 食事を抜いたりしていませんでしたか?』 と尋ねられた。
確かに暮れの30日は 父意識不明の電話の後、さまざまな準備に追われて 昼抜きになっていたが、夕食もクルマの中で採っていたし、31日も朝食・昼食もとっていた。
先生の言葉は ? ? ? だった。
4日の朝 もう一度座薬を使われた。 この時もわずかだか通じがあったが、便器を覗き込んだプーさんは 『5センチにも足りない細いものよ』 と落胆していた。
それでも私は腸が動きだしたので 高圧酸素療法で対応してもらえると期待して 気分も楽になった。
ところが 午後一番のCT撮影の後、病室に戻りベッドで臥せっていると 担当の先生と外科部長の二人が1時間もしないうちにやってきた。
私の名前を言った後 続いた言葉は
『申し訳ありません。 手術することになりました』 という外科部長の言葉だった。
それでも私は 動揺することもなく これでこの痛みから解放されるんだとほっとした気持ちになった。
『手術は明日の朝の予定でしたが、待てない状態なので、今夜します。詳しい話は担当の医師から』 と 外科部長は言ってベッドの側を離れて言った。
残った担当の医師が手術について話し始めた。
まずトトがいつ来るかということを尋ねられ、その夜最終便だと話すと、それでは 『ご主人様には電話で説明させていただくことにし、娘さんに必要な書類のサインをしていただきます』 と 言われた。
内容は 麻酔の方法についてが一点 点滴をするためにCVカテーテルという方法を行いたいということが一点 低たんぱく質血症状態なので アルブミンを点滴で使用したいということが主であった。
麻酔は硬膜外麻酔と全身麻酔を行うので人工呼吸器を気管に挿入することになるということだった。
全身麻酔は2か月前に経験していたので 私のほうからどういうものかわかっていると話した。
CVカテーテルについては 全身浮腫が起きているので 手や足から点滴の針を刺せない状態なので 協力してほしい との説明だった。
これも感染症などのリスクがあるからですよねと 私のほうから話した。
アルブミンについては 今の状態では手術に耐えられないので 是非使わせていただきたいが、アルブミンは生物由来のものなので 100%安全でないと付け加えての説明だった。
また 今回の腸閉塞の原因になった20年前の下腹部の手術について詳しく聞かせてほしいとも言われた。
手術した病院名、どんな手術だったかなどを尋ねられた。
癒着がわかったのは10年まえのことであるが、その経緯も詳しく尋ねられた。
そして 最後に 手術について何か質問はありませんか と 言われたので 私は二か月前に背中の脊髄近くにメスを入れられる手術をしたことを話した。
手術時間はどのぐらい要するかを尋ねると 『腸閉塞はおなかを開けてみなければ どの程度の時間を要するかは全く予測できません。』 とのことだった。
さらに 私が 人工肛門になる可能性はどのぐらいかと質問した。
先生は 『人工肛門になる可能性もおなかを開けてみてからでないとわかりません。 必要な場合は もうひとつの手術が加わるので 時間はさらに長くなります。もし人工肛門の処置をした場合は半年から1年間はその状態が続きます』 との説明だった。
『私は腰痛持ちです。術後ベッドにじっとしているのが多分つらいと思うので 持ち込んでいるマット二つを腰などに充てて対応してほしい』と頼んだ。
プーさんは今にも泣き出しそうな顔をしていた。 父親に泣き声で電話し、その後主治医に代わってもらい 話は簡単にすんだ。 トトは最終便で帰ってくるので待っていてほしいと頼んだが、それは無理そうだった。
そうそう 主治医は私にもう一つ付け加えた話しがあった。
手術後覚醒し、私が手足を動かして治療の妨げになる可能性があったら、拘束したいので その期間の拘束を了承してほしいとのことだった。
そうなのだ、私はERで散々さわぎうめき いろんなチューブを外してほしいと叫んだ前科があった。
一通りの説明の後、ほかに何か質問はありませんかと言われた。
私は一瞬迷ったものの、やはり言いたいことを口にしてしまった。
『手術とは関係ないのですが、よろしいでしょうか。』と 言った後、『先生は腸閉塞の手術のご経験はどのぐらいですか』 と 聞いていた。
先生は 私の目を見つめながら 『200例ほどの腸閉塞の手術に立ち会い、50例ほどの執刀をしました。 ここは救急救命センターなので 腸閉塞で搬送される患者さんは多いほうです。』 と 答えられた。
つぎの言葉が 先生の経験を問う質問の前だったか 後だったか 覚えていない。 が こんなことも聞いてしまった。
「先生はどこの高校のご出身ですか」と。
すると、主治医の先生からでた高校名は 私やトトと同じだった。
さらに 外科部長も同じ高校だという。
『私は そうですか、実は私たち夫婦も同じ高校の出身なので … ご縁だと思います』と へんなことを私はくちばしってしまった。
そして最後に 『お任せしますので どうぞよろしくお願いします』 と 頭を深く下げた。
私がサインしたのは 一枚の用紙だけ。 主治医は 『わかりました』 と これまた丁寧に深く一礼して 病室を出て行った。
私の胸の奥に 絶対にこの手術には失敗したくないという思いがあり、執刀する主治医に身を任せるにあたり、なにか結びつきが欲しいと願っていたのだと思う。
それから看護婦さんからプーさんに 手術にあたり必要なものをそろえる説明が始まった。
書類も次々に渡され サインしていた。
ところが あまりにも急な展開だったので、看護婦さんもあわてていて 説明がくいちがったりした。
そんな中、再び主治医が顔を出し、『手術は夜ではなく 4時からとなりました』と言いにきた。
看護婦さんがあわてだした。 手術まで1時間しか残っていない。
プーさんもパニックになり 『もういいです! 必要と言われたものは 全部準備します』 とイラついた声を出す始末。
出て行った主治医は間もなく戻ってきた。『手術室は準備が整いました、3時15分には 手術室に入ってもらいます』
私はプーさんに色々と話す時間もないまま 手術室に移動することになった。
手術室の前で プーさんに 『ひいちゃんに電話して助けを求めなさい』 と 2時間でほど前に病院から自宅に戻った姪っ子の名前を口にして 心細がる娘を気遣うのが精いっぱいだった。
手術が終わり 覚醒した。 術後のガウンを着せられ ICUに移された。
トトの顔があった。 プーさんの顔もあった。 姪っ子もいた。
250センチあった腸のうち 90センチを切り取ったと説明を受けたような気がする。
時間を聞くと 9時ぐらいだったように思う。
ホテルをキャンセルして病院に泊まるというトトに ホテルに行くようにいい プーさんも今夜はホテルでゆっくり休みなさいと言えた。
私はおなかの中が軽くなっているのがわかったし 助かったと確信していた。
痛みは感じたが 痛い痛いと叫ぶような痛さではなかった。