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28日まで七泊を鹿児島で過ごし、ほとんど家と家回りの管理に終われていた
詳しく知らない人は、別荘なんていうけど、お手伝いさんも雇えない身分で家二軒を管理するなんて、わが身と懐にムチ打っているようなものである
そのムチ打たれたような状態で生活拠点の家に戻れば、年末の追い込みに 孫ちゃんのお泊まり
楽しいし、嬉しいのだが そう単純なものでものない
人が増えれば、嵩だかい冬の衣類はアチコチにホコリが増えて 明日の大晦日までに ひととおり綺麗に出来るのか不安がよぎる
お節を作りながり、生活と自治の1月号をパラパラとめくり、斜め読みしてる
台所から離れられないが、ずっと包丁握ってるわけでもないので、片付けを兼ねて読み出したら、なんと今の自分の気持ちにピッタリ
で、忙中閑あり!なんて自分に言い訳しながら blogに今の気持ちを書き留めたくなった
枝元なほみさんの
『上がり目 下がり目 えだもんの目』
というコラムの1月号のタイトルは
「幸せのひな型」にとらわれない
である
メジャーな機関誌ではないから 記事をそっくり転載させてもらう
『 日本ではクリスマスや正月、バレンタインデーなどの行事やイベントが「幸せでなければいけないデー」みたいになっていますよね。ステディーなボーイフレンドと高級レストランで食事しないと寂しいとか、おせちをみんなで囲まなければいけないと思ったり、イベントのためにアレもコレもと買い込んだりしていませんか。
私も以前は、人と自分の幸せを比べたり、「幸せのひな型」に自分を当てはめようとして、はまらない自分は不幸だとなと思ったりもしていました。でも、それって思い込みや見えじゃないのかなって、気づいたんです。「人と比べなくていいんだ。私は私」と思えるようになったら、なんかすっきりしました。自分が幸せになる日じゃなくて、みんなの幸せを願う日になったらすてきでしょ。幸せのひな型から自由になって、「自分にとって大切なものって何?」を自分で考えたいものです。
正月は、新しい年を迎えて心新たにすがすがしい気持ちになります。戦争も差別も飢餓もない、みんなが平和で幸せに暮らせる良き年になりますようにと心から願います。
いい年にしましょう。』
これを今の私に都合のいいように解釈すると、世間一般で言われている年越しの準備や大掃除をやりきっていないけど、
わが家に来てくれる皆のために、せめてニコニコと笑顔と心に余裕があるように見せかけて もてなしてあげよう、となる。
餅は7升もついたが、鏡餅はない
買うこともできるが、やめよう
お嫁ちゃんから大きなシクラメンの鉢を今年ももらった
友人からは かわいい蘭の咲いている鉢ももらった
鹿児島からは早くも咲だした水仙の花も持ってきて、部屋は何ともいい香りがしている
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正月用の花も格別に準備はやめよう
パソコン回りや、ドレッサーの中、アトリエとプーさんが呼んでくれている私のお針部屋の片付けもやらないぞ
年が明けてから、ゆっくりとね
水回りの掃除だけは10日前に終わっているけど、明日の昼過ぎにもう一度やろう
孫ちゃんお二人も一旦オウチに戻ってもらってね
そして 新年にやって来るみんなの胃袋だけは満足させてあげましょう