今から四十年ほど前のことです
学生だった私は 上京した母と新橋演舞場へ 玉三郎を観に行きました
季節は 袷の頃 3月だか 4月だか
母は大島紬の着物に好きな博多の帯を締めていました
ただ雨だったから 雨コートを着用していたようです
着物も帯もコートの事も どんなものだったかは覚えていないのですが、母が私に言ったことだけは忘れることが出来ません
銀座から演舞場へ歩いているときだったので、着物姿の人が多かったのでしょう
向こうからくる着物姿の女性のことを
「 あの人のコートは正絹だね。 やはり素敵だし わかるわね 」
「 素敵だけど 正絹とまでは わからないけど 」と私
「 お母さんのコートは正絹じゃないから、正絹の雨コートが欲しいわね。 いずれは‥‥」
「 」 私は母のその言葉のあとに、なんと返したのかまでは覚えていません
母が五十歳ぐらいのことです
母がその後正絹の雨コートを仕立てることが出来たのかどうか はっきりとはわかりません
着物好きで 自分で仕立てて着ていた母だったので、その数年後に亡くなった時、形見に着物を欲しいといろんな方に言われました
初盆の時に タンスの中の着物を畳いっぱいに広げて 好きなものを持って行ってもらいました
手元に残ったのは そのときに見つけられずに出せなかった着物と 形見分けで相手にされなかったもの
その時の記憶にも 残ったものの中にも 雨コートはありませんでした
そんなことがあったので、母が亡くなった後、私が自分の稼ぎで作ったものは 雨コートです
三十年前の事。 雨コートは正絹じゃなきゃという思いは 母との会話を引きずっていたのだと思います
タンスの中でしばらく眠っていた私の雨コートですが、着物を頻繁に着るようになり、雨の日もいとわずに雨コートを着て出かけることも増えました
4月の雨の日の事、出かけ先で帰り支度をしながら着ようとした雨コートの背縫いのすそがほつれているのに気がつきました

これが 二つ目のコートを急いで仕立てようと思ったきっかけです
三十年前に仕立てたときは、何もわからず サイズのみ言って 出来上がってきたものは、道行き衿でした
このコートは裾幅が広くて その点がずーっと気に入らずに 気に入らないまま 仕方なく使っていたので、お直しよりは仕立て直しを考えていました
そこで、数年前に買った雨コート生地で 急いで作ることに
どうしても着物衿にしたくて 衽つけにするか たて衿付きにするか悩んで たて衿の形で さらに着物衿までつけたので 衿の形を整えるのに一苦労です
(私の中で 衽つきにすれば、単ものは褄下は三つ折り たて衿つきにすれば反物幅使って 輪になると 分類しています ‥‥ 間違っているのかもしれませんが)
きちんと衿の中の始末をして待ち針で止めて行っても 中で滑りやすい布は 勝手に動いてしまいます
悩んだ末に 衿付けラインより1寸ほど上で ラインにそってハサミでカットしてしまいました
どうにか収まっていますが、着ていて不具合があるなら、また3分ほどの縫い代まで切り落とすつもりです
つけ紐も 繊細に細く縫ってみたものの、表に返す前にどんどん経糸が抜けていきます
結んだり 解いたりしているうちに 中の縫い代がなくなりそうで 最初に積もった時よりは ずいぶん太い紐になってしまいました
太い紐だと 縫い代も余分につけて表に返すことが出来ます
冬のちょっとした防寒にもなるように 肩裏はたっぷりと身八つまでつけましたが、このせいもあり、季節限定の雨コートになってしまいそうです

長襦袢の残り地を肩裏として使いました
このコートを仕立てている間 いろいろと母のことを思い出してしまいました
学生だった私は 上京した母と新橋演舞場へ 玉三郎を観に行きました
季節は 袷の頃 3月だか 4月だか
母は大島紬の着物に好きな博多の帯を締めていました
ただ雨だったから 雨コートを着用していたようです
着物も帯もコートの事も どんなものだったかは覚えていないのですが、母が私に言ったことだけは忘れることが出来ません
銀座から演舞場へ歩いているときだったので、着物姿の人が多かったのでしょう
向こうからくる着物姿の女性のことを
「 あの人のコートは正絹だね。 やはり素敵だし わかるわね 」
「 素敵だけど 正絹とまでは わからないけど 」と私
「 お母さんのコートは正絹じゃないから、正絹の雨コートが欲しいわね。 いずれは‥‥」
「 」 私は母のその言葉のあとに、なんと返したのかまでは覚えていません
母が五十歳ぐらいのことです
母がその後正絹の雨コートを仕立てることが出来たのかどうか はっきりとはわかりません
着物好きで 自分で仕立てて着ていた母だったので、その数年後に亡くなった時、形見に着物を欲しいといろんな方に言われました
初盆の時に タンスの中の着物を畳いっぱいに広げて 好きなものを持って行ってもらいました
手元に残ったのは そのときに見つけられずに出せなかった着物と 形見分けで相手にされなかったもの
その時の記憶にも 残ったものの中にも 雨コートはありませんでした
そんなことがあったので、母が亡くなった後、私が自分の稼ぎで作ったものは 雨コートです
三十年前の事。 雨コートは正絹じゃなきゃという思いは 母との会話を引きずっていたのだと思います
タンスの中でしばらく眠っていた私の雨コートですが、着物を頻繁に着るようになり、雨の日もいとわずに雨コートを着て出かけることも増えました
4月の雨の日の事、出かけ先で帰り支度をしながら着ようとした雨コートの背縫いのすそがほつれているのに気がつきました

これが 二つ目のコートを急いで仕立てようと思ったきっかけです
三十年前に仕立てたときは、何もわからず サイズのみ言って 出来上がってきたものは、道行き衿でした
このコートは裾幅が広くて その点がずーっと気に入らずに 気に入らないまま 仕方なく使っていたので、お直しよりは仕立て直しを考えていました
そこで、数年前に買った雨コート生地で 急いで作ることに
どうしても着物衿にしたくて 衽つけにするか たて衿付きにするか悩んで たて衿の形で さらに着物衿までつけたので 衿の形を整えるのに一苦労です
(私の中で 衽つきにすれば、単ものは褄下は三つ折り たて衿つきにすれば反物幅使って 輪になると 分類しています ‥‥ 間違っているのかもしれませんが)
きちんと衿の中の始末をして待ち針で止めて行っても 中で滑りやすい布は 勝手に動いてしまいます
悩んだ末に 衿付けラインより1寸ほど上で ラインにそってハサミでカットしてしまいました
どうにか収まっていますが、着ていて不具合があるなら、また3分ほどの縫い代まで切り落とすつもりです
つけ紐も 繊細に細く縫ってみたものの、表に返す前にどんどん経糸が抜けていきます
結んだり 解いたりしているうちに 中の縫い代がなくなりそうで 最初に積もった時よりは ずいぶん太い紐になってしまいました
太い紐だと 縫い代も余分につけて表に返すことが出来ます
冬のちょっとした防寒にもなるように 肩裏はたっぷりと身八つまでつけましたが、このせいもあり、季節限定の雨コートになってしまいそうです

長襦袢の残り地を肩裏として使いました
このコートを仕立てている間 いろいろと母のことを思い出してしまいました