これってやはり化石? 私のライフスタイル!

ひともすなるブログなるものを、われもしてみむとてするなり

ささやかなウクライナ支援・・・ポイントの色々を

2022-03-10 | 終の棲家の色々



あと咲の水仙が咲き始めました

あちこちで色んな花が咲き出して、我が家の庭は春です




何故かボケの花が遅いようです


スマホの楽天アプリを開くと、楽天ポイントをウクライナ支援の募金に出来ると表示が出ました

いつも失効ギリギリまで使わずに貯めてあるので(忘れて失効も何回も経験しています)、そこそこのポイントです

楽天に寄付された募金がどのような所にいくのかまでは、調べていません

個人的にユニセフ、ウクライナ共和国、国境なき医師団など募金できる所はいくつかあるものの、まずはポイントを募金に回すことにしました

トトさんに話すと、

クレジットカードのポイントも募金できるんじゃないか?

と。

クレジットカードのポイントは私がもらっていましたが、いつものように欲しいとも言えず😅

まずはポイントから支援です

今日はお茶の稽古でした

お稽古の後、駐車場でひさしぶりに立ち話でした

その中で、おひとりがウクライナの事を話題に

何にもしてあげられないけど、今回のことで私たちの暮らしにも影響が出ても、絶対に愚痴らないって決めたの‼️

自分の国が侵攻されて破壊されて、避難民になって・・・そんな事に比べたら不平不満は言えないし、我慢しようと

そんな事を、言われました

色んな物が値上がりしそうですが、その前に買いだめししなきゃなんて流れにもならずに

あら、同じような事を考えるんだなぁとほっこりする事でした

ロシアのウクライナ侵攻で、今まで知らなかった事を一つ知りました

それはロシアの飛び地です


バルト海に面し、ポーランドとリトアニアに挟まれた小さな土地ですが、今日のニュースでもしっかりロシアの国土として色分けしてあります


どのようにして飛び地となったのか、ググってみると

ソビエト連邦が崩壊して、バルト3カ国が独立し、ポーランドとリトアニアの間にロシアの国土が残ったらしいのです

歴史的には

カリーニングラードの歴史は13世紀半ばにはじまる。ドイツ騎士団が街を築き、「ケーニヒスベルク」と名づけた。その後、ハンザ同盟に所属する貿易都市として栄えたが、15世紀にはポーランドの支配下に置かれてしまう。しかし、18世紀に入るとこの地にプロイセン王国が建設され、ドイツの中心都市となった。

 そうした紆余曲折を経て、第二次世界大戦でソ連がドイツに勝利すると、ケーニヒスベルクはソ連の領土となり、カリーニングラードとして新たな一歩を踏み出したのである。なお、このときドイツ人はみなドイツ本国へ追放されている。

以上ダイヤモンドオンラインから

ロシアは先の大戦で、日本の北方四島と同じような事を、ヨーロッパでもしていたと知りました

この飛び地をいつまでも飛び地のままにしておきたくなさそうなプーチンの狂った野望が窺えてます

何がなんでも、ウクライナは今の状態の独立を守って欲しいと祈っています

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

○ 昨日の夕食は、長崎チャンポンのかた焼きそばのあん掛け



シーフードミックスと豚肉を使って
野菜はブロッコリー、パプリカ、白菜、えのき茸、キクラゲと冷蔵庫にある物で


前日の残りの春菊の白和えと

○ 今日の夕食は、鶏もも肉のソテー(蜂蜜マスタード)



付け合わせは、カボチャと冷凍庫で発掘した昨年の三尺インゲン


ブロッコリーとシーフードのサラダに、納豆の味噌汁

納豆の味噌汁が好きなのですが、今日は油揚げと青味にニラを使いました

私がニラを入れるのを見ていたトトさんが、味噌汁にニラなんて、食べた事がない😰と少し拒絶反応

完食していたので、口には合ったようです🤣

実のところ、納豆にニラの組み合わせはよく合います

納豆を包丁で叩いて刻むのが少し手間ですが、それでもお手軽な味噌汁です






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« まずは食べる事・・・坂道で... | トップ | パリからのEMS・・・プーさん... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿