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23日夕方トトさんの母様がなくなりました
24日夕方にお通夜
義兄家族、私とトトさん、息子一家、トトさんの叔母2人(89歳、92歳)と連れてきた姪っ子1人・・・・参列者は12名
西本願寺のお坊さんが帰ってから、祭壇を前にして全員で食事
8時過ぎにはプーさんも到着
11過ぎまで宴会は続きました
会場に残ったのは、我が家の7人
孫ちゃん2人、プーさん、私、Mちゃんでお線香を足しながら一晩母様の側で過ごしました
トトさんの父様が亡くなってから18年続いた一人暮らし
母様の寂しい夜も終わりました
最後は賑やかに
翌日の告別式は、2時から
その前に息子一家は温泉に行き、墓参り
孫ちゃん2の学校の試験の関係で孫ちゃんとMちゃんは、告別式まで
残りの9人で火葬場へ
全てが終わり、いつもの動物病院に預けてあったベス🐕🦺を受け取り、帰宅は6時半
精進落としの2段弁当を、家で4人で囲んで夕食して、トトさんの母様のお葬式が終わりました
家族葬は義兄夫婦の希望でした
最後まで母様の世話をしていたのですから、義兄夫婦の希望通りに
香典も献花も固辞するので、私たちは参列しただけ
母様はコロナ禍になった年まで、繁華街に着付けの部屋を借りて後輩の指導にあたっていました
家族葬を選ばなければ、県内外たくさんの美容院同業者や師弟が集まり大変な規模の葬儀になることが予想されていました
義兄夫婦はそのような派手な葬儀は好まないし、私たちも全く同じ考え
とても小さな葬儀でしたが、私たちにはとてもいい別れの会になりました
1月15日に97歳になった母様
私の母に、昔のことをぐちぐちと言うのは大嫌い❗️と言ったことがあったそうです
1年ほど前からガクッと体力が落ちて、昨年7月に介護認定を受けて要支援1
入院した8日に介護認定を再度してもらい要介護になりました
昨年8月にショートステイ1週間、以後は訪問医療が月2回、デイサービスの入浴が週1
最後まで自立して生きたいという思いを、死に物狂いで貫いたあっぱれな人
最低月1回、2回〜3回は母様のところへ顔を出して、話し相手をしていましたが、泣き言やグチの一つを言わない母様でした
私が着物を着ると喜び、だらしないことを嫌がる人でした
喪服を準備する時、トトさんも和服を着ることを勧めたので、私だけ和服
私が出来る母様への感謝の気持ちが和服でしたから
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母様、私達が結婚して44年を明日迎えます
長い間いつも支えていただきありがとうございました
これからはあちらの世界から、父様と母様と2人して我が家を見守ってください
別れはさびしくつらいですね。
お疲れの出ませぬよう。