THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

SIGH(chicago)

2019-03-11 13:29:31 | CHICAGO

ため息とは、気苦労や失望などから、また、感動したときや緊張がとけた時に思わず出る大きな吐息のことです。 「ため息をつくと幸せが逃げてしまう」という言葉があるように、ため息にはマイナスのイメージもありますが、感動やホッとした時の大きな吐息もため息になります

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〜ウィキペディアより〜

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中原理恵「東京ららばい」EP

2019-03-11 13:25:51 | free form space

デビュー曲「東京ららばい」がいきなりの大ヒットで新人賞受賞、紅白にも出場とこの年の中原理恵は最も注目度の高いシンガーでした。
知人が彼女の大ファンだったなあ。懐かしい。あいつはどうしてるんだろう?
妙に大人っぽかった中原理恵嬢。
やはりそのような戦略だったらしくなんと事務所が年齢高めに売り出して成功したらしいです。
欽ドン!でもお茶の間の人気者になった彼女は函館出身なんですね。
北海道が舞台の寅さんマドンナにも抜擢されていたし、
健さんの「鉄道員」にもチラッと出演していました。
確か滝川市内にあるおもちゃ屋さんの店員役。
ストーリーにおいて重要なるあの人形を健さんがこの店で買うんだよね。
あれから中原理恵さんはあまり見ないなあ…。

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WATCHES(chicago)

2019-03-11 12:25:43 | CHICAGO

腕時計(うでどけい)は、ベルトによって手首に巻くことで携帯できる時計である。

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rainbow/long live rock'n'roll&all night long

2019-03-11 12:14:37 | free form space

レインボーのシングル2枚。
リッチーがこのバンドを結成してからずっとその変遷を追ってきましたが、ちょうどここいらあたりがアメリカンマーケットを意識しだした分岐点にあたるんだね。
すでにサードアルバムでは長尺な曲を収録しなくなっていたんだけど。
そして中世を舞台にしたストーリー仕立てが好みのロニーは脱退。
初期ファンは思い切り落胆します。
ついでシングルヒットを狙ってラスバラードの楽曲を取り込む姿勢に嫌気がさしてコージー脱退。
リッチーはパープル時代からあまり評価していないベーシストとしてのロジャーグローバー。
この人のベースってハードロック界において究極のお手本でしょう。
皆参考にしてるはず。
どちらかといえばリッチーはロジャーのプロデューサーとしての手腕をかっていたのだとか。
ところでデビッドストーンって今どうしているんだろうか…?

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REMAINS(chicago)

2019-03-11 03:45:23 | CHICAGO

説明

遺跡とは、過去の人々の生活の痕跡がまとまって面的に残存しているもの、および工作物、建築物、土木構造物の単体の痕跡、施設の痕跡、もしくはそれらが集まって一体になっているものを指している。 内容からみれば、お互いに関連しあう遺構の集合、遺構とそれにともなう遺物が一体となって過去の痕跡として残存しているものを指す。ウィキペディア

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CHUCK BERRY初来日公演の思い出^_^!

2019-03-11 03:42:47 | free form space

チャックベリーが亡くなったのは1997年3月。
2年が経過したのですね。
90歳かあ…
私はロックンロールという言葉に接するたび、無意識のうちにギター抱えてダックウォークを決めるチャックベリーが脳裏をかすめます!
私が初めて買ったロックEPは
その時ヒット中だった「ベートーベンをぶっ飛ばせ!」
何という変なタイトルだあ?!と思いましたね、買っておいてさあ。でもこれはマウンテンのもの。次に友人からビートルズのバージョンを聴かせてもらい、まだブレイク前のELO弦楽ロックバージョンを経て、チャックベリーのオリジナルに辿りつきました!
というわけで、ジャンル問わずチャックベリーの影響を受けていないロッカーは皆無でしょう!
永遠に轟く3コードのスタンダード達と、破天荒な伝説をありがとうございます(^ ^)。
以前にも、ここにアップしたチャックベリー初来日ライブの思い出を再び載せます…。

写真はロックンロールキング、チャックベリー1981年の初来日公演用パンフレット。
私も渋谷公会堂で伝説を目のあたりにしました。
日本の大物ミュージシャンらが大挙して駆けつけて来てステージ袖で食い入るように見つめていました。
彼らがライブ終えて袖に下がってきたチャックに抱きついて、ずっと離れずにいたのでスタッフに引き離される一幕も。チャックはただただ苦笑い!
チャック・ベリーは時間に厳しい人で、キーボードが遅刻しても定刻キッカリにライブはスタート。
じつはこのキーボードの方。天下の成毛滋さんだったのですよね!^_^
また公演ごとに、日本のロックバンドが第1部に出演。ハウンド・ドッグ、ARB、誰がカバやねんロックンロールショー、クールスなどなど。
来日時には、パルコのCMにも出ていましたね。もちろんBGMは「ジョニーB.グッド」!
バックに佇む人達も話題に。
ここでもチャックは、契約したダック・ウォークの回数をキッチリこなしてさっさとスタジオを後にして行きました。確か回数は四回だったかな?
その後の来日では色々あったけど初来日は大好評!
さすが元祖ロックンロール だ。
で、新宿厚生年金と私が観た最終日の渋谷公会堂ライブがレコーディングされて発売されたのです。
題して「東京セッション」
ジャケットでポーズを決めるチャックのカッコイイ事と言ったらもうたまりませんね。
メンバーは常に現地調達なんだそうです。プロデューサーは内田裕也さん。
ライブ途中からチャックの愛娘イングリッドがコーラスとして登場します!
ラストナンバーは当然のごとく問答無用の「ジョニーBグッド」で熱狂の渦だ!!
ところで、このLPはCD化されてるのかなあ…?

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FIELD(chicago)

2019-03-11 02:43:14 | CHICAGO

(畠、圃、白田、火田、旱田、はたけ)とは、陸稲などの穀物、または野菜果樹などを栽培するために耕され、区画された農地をいう。

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〜ウィキペディアより〜

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the brothers johnson

2019-03-11 02:31:54 | free form space

サンダー・サムことルイス・ジョンソンが亡くなったのは1995年5月21日…。
60歳という若さでした(詳しい死因は不明)。1955年4月13日ロスアンゼルス生まれ。
写真は1991年製作の彼にとっては2作目の50分教則VHSテープ。
字幕&スコア付き。
改めて見直してみましたが、目から鱗の連続。「バスドラとベースの関係性。自分はスコアよりも耳でプレイ。自分はベースをドラムのように弾く。ベースとドラムは曲の心臓部。聞かず嫌いはしないで何でも聞いて吸収等。」
ポール・マッカートニーとの「シリー・ラブソング」共演裏話も語られています。「TOTOのメンバー達とスタジオで演奏しているとポールが入室してきたので、心のラブソングのベースラインをファンク調に弾いたら、それ、僕の曲だ!!おもしろいからそれでいこうよ!!」と早速、映画ヤア!ブロードストリート用にレコーディングされたそうです。もちろん映画には彼らも特殊メイクで出演。バッチリと決めてくれています。この曲、初めて聞いた時からオリジナルとは一味違う魅力を感じていましたがルイスのキャラがソロも含めて一番たっています。
 ジョージ・デュークも「ルイスをスタジオに呼ぶと宝物をドッサリと背負ってやってくるよ」と大絶賛。
クィンシーいわく「ルイスほどパーフェクトなベーシストはいない!」と断言しています。ルイスはチョッパー奏法を世間一般へ派手に広めた功労者。
それまでベースといえば後方にてフラットピックかツー・フィンガーでプレイするというイメージが多かったのですが、ラリー・グラハムがサム・ピッキングを多用したことから一気にそのスタイルが普及し始めて、ジャンルを問わず多くのベーシスト達がドンドンとヴァリエーションを膨らませてゆき究極の域に達したのがルイスだったのではないでしょうか。
音もパフォーマンスもスタイルも超派手にかっこよく、とにかく右に出るものがいないといわれるくらいの強烈さ。
元々は兄と組んでいた「ブラザース・ジョンソン」がクィンシー・ジョーンズに認められてデビュー。アルバムもグラミーに輝きファンクというジャンルに市民権を与えた功績は絶大。
その後も膨大なるセッションマンとしての仕事で大活躍しました。
ポール・マッカートニー、スティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソン、ジョージ・デューク、スタンリー・クラーク、マイケル・マクドナルド、ハーブ・アルパート、グローバー・ワシントンJR、ジェフリー・オズボーン、アール・クルー・・・・・・ETC。(スタンリーのアルバム、タイム・エクスポージャー1曲目で聞けるルイスとの火花散るソロバトルだけでもこの1枚は入手する価値アリ!!ベックもいるしね)
他にもソングライター、プロデューサーとして手腕を発揮していました。
 私は1981年、渋谷公会堂でブラザース ジョンソンのコンサート最終日を舞台袖で目撃しました。とにかく終盤におけるルイスのマシンガン・チョッパーソロには会場全員度胆を抜かれましたね。滅多に人を褒めないうるさ型の先輩もお口あんぐりでただ一言「すげええ・・・」でしたから(笑)。
フュージョン全盛期で猫も杓子も皆ベーシストはチョッパーでドッペンペンペンと弾いていましたが、それをはるかに超越・・・いやいや比較にならないほどの恐ろしいものを目の当たりにしちゃったという感じ。
あの長い両足をガッと開き腰をグッと落とし股間にミュージックマン・スティングレイ(レオフェンダーがルイスの為に開発したそうです。なるほど、どうりでね。)を挟み込み、ステージセンター・フロントから最前列客席にベースネックを突き出し、両手を何度も派手に頭上から振り下ろして繰り出されるサウンドはドンドンと加速されて大袈裟ではなく雷鳴のごとくPAから飛び出す連射砲のごとく。
極限に達した頃合いを見計らって決め技は「バッキーン!!」と弦の引きちぎりです(ベースの断末魔にも似た)。
ドカン!とベースもろとも床に倒れこんで抱き起こされるルイスの印象は今でも鮮烈に脳裏に焼きついて永久に消える事はないでしょう。あれは練習したからといって体得できる代物ではないですよ、実際の話。
あそこまでベーシストも豪快にやっていいんだ!と脳天をぶち砕かれた気分でしたよ。
ルイスがスポット・ライトを一人浴びる中、一心不乱に、でも正確なグルーブを醸しだす凛々しきお姿を私は決して忘れることはないでしょう。写真のLPはその前年にリリースされた「ライト アップ ザ ナイト」彼らの代表作でダンスヒット曲「ストンプ」がオープニング!マイケルジャクソン、ジョンロビンソン、パウリーニョダコスタ、グレッグフィリンゲインズ、スティーブポーカロ、シーウィンドホーンズ他が参加してます。EPは自作アルバムからの第2弾シングル「ダンシン フリー」

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