Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

北アルプスが見えた 高ぼっち

2008-10-10 23:05:18 | 山歩き

このカテゴリーを山歩きとするのは憚られるほど 散策に適した山である。 夏にここへ来たけれど そばの里のやってきたついで 折角近くまで来たのだから高ぼっち行ったことが無いピーちゃんを連れて行こうと言うことになった。ETCの100キロ計算を間違えて伊那インターで降りたものの そう遠くは無かった。思いがけず153号線を走ることになって「これって近くを走っているじゃん。みんな繋がっているねぇ。」と変なところに感心して北上。

途中20号線に移ってしばらく走る。頭上に高ぼっちの案内に左折。せまい山道をくねくね登っていく。 途中で蛇君轢いちゃった。ゴメン 避けるほど道広くないんだもの。

しかしこの山道はまだ良い。 民家が途中まであるからか 待避できる場所はいっぱいある。帰りに崖温泉の方に降りた。こちらはさらに狭く 綠は美しいものの 気を遣う。 滅多に車に会わないのだけれど 一度勢いよく上がってきた車に 正面衝突するところだった。

ま 無事だったから良いんだけれど くるくるとこれでもかって登っていく。青空が見えていてもなかなか着かない。 

やがて一瞬山岳風景が目に飛び込んできた気がした。「ん?」「なんだ? 山肌まで見えるよ。」「ひょっとして穂高?」

「そんなはずは無いよ。」とピーちゃん でも緯度から行っても見えても不思議無いじゃん。 それにしてははっきりしすぎていたけれどね。 駐車場に着いて やっぱり穂高であることを確認。

Hodakarenpou

「や~~ ほら 槍も見えるし 涸沢槍もはっきり見えるよ。」勝ち誇ったように私が言う。

それにしてもすごい。 右の槍ヶ岳から長い長いキレット 北穂高 涸沢槍 涸沢岳 奥穂高 まさにこの間息子が歩いた軌跡をなぞることの出来る景観だった。

しばらく動けないで見ている。

駐車場には何台かの車が駐まっていて のんびりと景観を楽しんでいるようだった。下の方の町は塩尻? これで帰っても良いぐらいの満足だったけれど 今日は見たいものがあった。 もう一度諏訪湖方面を眺めて 蓼科山を確認するのもだけれど 美ヶ原の天空の城ラピュタが見たかった。 あそこからは見えないのだろうか?

花はほとんど終わっている。 代わりにススキが風になびいて日の光を受けてきらきら光っている。

Hana1 Nokongiku

この花はなんだろう?茎がとても長くてしたまで探ってみても葉っぱが分からない。

ひとつ一つはとても可愛らしい花の集合体なんだけれどね

ノコンギクだろうか?

赤紫の花が美しいのだけれどほとんど終わりかけている。

Hodaka 振り返ると穂高が見えている。 いつまでも見えていると嬉しい。 もったいないような景色を何度も何度も確かめる。

Susuki ほんの15分か20分も歩けば 頂上に着く。

今日は風が気持ちよい。

Sancyou  

頂上から八ヶ岳方面を眺める。 こちらの方が近いのに かすんでよく見えない。 蓼科山だけが あのおもしろく美しい形でそびえていた。

諏訪湖が臨める。 

Suwako 前に来たときは お盆だったのでここに椅子を置いて諏訪湖の花火を見る人が 準備をしていた。 ここは穴場?湖に映る花火はさぞかし綺麗だろうね?

やはりここからは美ヶ原方面がよく見えないことが確認出来たので 隣の鉢伏山に移動することにする。

「あんな遠くまで行くの?」と遙か向こうに見える大きな山を見てピーちゃん目を白黒させていたけれど 車で10分?

Lunch 風が強くなってきて少々苦労したけれど リンガーハットのちゃんぽん完成。 みちこさんの焼サバ寿司と 北海道のお土産のカチョカバロを箸にさして焼く。

少々カロリー高めながら やっぱり山でいただくご飯は美味しい。カチョカバロはこんがり香ばしさと やわかさと

ハイジになって山の食事を楽しむ。

去りがたいけれど だんだんに槍ヶ岳方面雲が出てきたので 次の鉢伏山に移動。

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父の年賀状と弾撥指

2008-10-10 14:52:32 | 日記・エッセイ・コラム

去年から 実家の父の年賀状を作っている。 父の書いた水墨画を年賀状に入れて欲しいという願いもあって いままでは業者に頼んでいたけれど 「私も出来るじゃん」というわけで 頼まれた。 もともと 絵はがきは作っていたし・・・

義父の年賀状も「私も頼む」と言われ(こちらは 既成のデザインから選ぶので大変では無いけれど) もう少しすると我が家は年賀状印刷工場に変わる。(笑)

さて 去年は短冊を入れてデザインして欲しいとのことだったけれど 今年は色紙を頼まれた。

Yukinosato Fuyujitaku

父の絵はふるさとの飛騨の山々や母と知り合ったいなかの風景が多いのだけれど 年を取るにつれてふるさとへの思いは強くなるようで 風物詩 風景 気が向くと何かがのりうつった様に書いていた。

父の長い闘病生活の中での大事な糧でもあったようだ。定年を終えてから始めたにしては めきめき腕をあげ 師範にもなって 親善大使として海外に出向くことも何度かあった。

だから父は 絵をとても大事にしていることが分かるので 今回はデザインに困った。 5枚の色紙を渡されたけれど どれも娘から見たら甲乙付けがたい。 そしてこれらの絵を生かすと年賀状いっぱいになってしまって 白いところが全くない。

「どうしようか?」 書家でもあるので 年賀状には必ず自筆で一言を付け足していたしそれを礼儀と思っていた様なので 白いところも作りたい。

いくつかのデザインを持って行ったら簡単に 画面いっぱい水墨画の広がったデザインが選ばれた。 あれ?

実は父にはもう筆を取れない理由が出来ていた。 弾撥指(バネ指)と言うらしいのだけれど 茶碗も落としそうなぐらい指が勝手にはねるし いたくて仕方が無いのだそうだ。腱鞘炎の一種らしいのだけれど 年も年だし もう治らないのだと・・・ (少し大げさなところがあるので分からないけれど)痛み止めも効かないしとしょんぼりしていた。

副木を添えて指を動かさないようにしている。 命に別状無くても 唯一の趣味を取り上げられてしょんぼりしている父を見ると胸が痛む。 大事にしていたらきっと良くなるよ。。。って言いたいけれど

父の渾身の作がのった年賀状は 事情を知らないで待っている人のところへ来年も届く。

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