展望地から見る濃尾平野は とても広く この日は霞んでいたけれど 名古屋のツインタワーも見えた。
と言う事は 昔はこの山に登っているだけで 下界の動きが見えたかもしれないな と思った。
今より空気も澄んでいただろうから 大人数で移動すればすぐに見えてしまう。 山城の存在をかねがね不思議に思っていた。 何かあったときに逃げるのに不利だろうと思っていたから
布陣図が書かれている。
先ほどの安国寺氏の陣は山の下。 上から見下ろす形で 毛利秀元の陣
したに吉川のの陣 安国寺は吉川の裏切りによって敗戦したとあったが 毛利氏は吉川氏に押しとどめられて闘う事が出来なかったらしい。
そのときの逸話 宰相殿のから弁当 は進退に窮した秀元が兵糧を使うまねをさせたと言う事で生まれた話し。
大阪城に戻った秀元は徹底抗戦を訴えるが聞き入れられず 大幅な減俸
まだ良い方なんだろうな
この地図を見ていると 日本中の武将が集まっているも 本当に闘っているのは 中心にいる 僅かのグループに見えてくる。 豊臣のためと言う名分で始まった闘いに みんなが様子見をしていたように見える。 哀れ石田三成
それにしても ここは下界をみるには良いけれど 少々高すぎないかい? 小一時間かかったよ
しかも 目の前に広がるのは関ヶ原ではなくて養老山脈 濃尾平野 闘いは後の関ヶ原で行われていた。
そんな事を考えながらのんびりした時間を過ごし 今度は周回コースで帰る事にする。 途中までは一緒。 スニーカーで来ているので 下り道が心配。
さほどきつい道では無いのだけれど やはりすべる。 登山靴でしか歩いた事が無いので 怖い 怖い。 ずりっ ずりっ
足下で小石が転がる。
あ 何かごそごそしていると思ったら 「しかだ~」
まず一匹 こちらをじっと見ている。 じっとしていたら 二匹目が。。。 と思ったら次々と仲間が現れる。 おやおや ファミリーですか。 長い事にらみ合いをしていたけれど やがてしかの方から 移動し始めた。
ここにもこんなにたくさんの鹿がいる。
ジオンさん 早~い
みるみる降りて行ってしまった。どちらかと言うと この道は使われる事が少ないらしく 少々荒れ気味。
滑らないように緊張しながらも 奥社の上までさほど時間はかからなかった。
おまけだけれど 南宮山には 椿がたくさん植えられている。 木の札に名前が書き込まれて 奉納されている
どうして?
明治維新の神仏分離まで ここに薬師堂があってあらゆる病気を治すと言われるお薬師様が祀られていたのだと。。。お薬師様と並んで眠り神が祀られていたらしいのだけれど
眠り神? ちょっと聞くと 何だかお迎えが来るのを待っているような名前で。。。「私眠り神に取付かれているみたいで 眠くて眠くて仕方ないのよ。」
「寝る子は育つ。って言う意味らしいよ。」 な~んだ 幼児健育の守護神か 私の眠り神は やっぱりお迎え近しの 神様かなぁ?
思いがけず 山登りが楽しめた私はジオンさんに感謝しながらJRの乗客になった。 う~ん充実した一日じゃった。 ありがとう