Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

五月雨を 集めて早し最上川

2010-10-12 23:33:36 | 旅行記

Sobabatake 一面に広がる真っ白なそば畑を見ながら大蔵村に別れを告げる頃 「ねぇ 時間あるから最上川船下りに行こう。」 え~~っ またですかぁ そういえば亭主は本当に船に乗るのが好きなんです。

まさかここまで来て 日本海側じゃないですか?そう言って抵抗してみても もう肘折温泉来ている時点で日本海近いし。。。大蔵村から 戸沢村を経て最上川川下りの場所に向かう。 色んな乗り場があるのだけれど 車の回収をしなくても良い義経浪漫観光へ  たぶん一番奥。

JR陸羽西線高屋駅に車をおく。(こうして書きながら まるでよその世界みたい)坂道を下っていくと乗船場。

Murasakihana_2  Kiturifune

こちらは黄ツリフネがぶらぶら

お天気は今にも降り出しそうな様子。

Sennindou2 対岸に仙人堂

義経が落ち延びるときに一緒についてきた常陸坊海尊が具合が悪くなり ここで泣きの別れをしたといわれている。 後でここに寄るはずだったが。。。。

ますます暗くなってくる空を眺め船は 出発。

雨がぽつぽつ来始めた。 雨男との旅行でここまで持った方が奇跡というもんだね。

Haison 対岸にいくつかの屋根が見えるけれど廃村だそうな。 山を歩いていると時々廃村の光景を見るけれどなんだか哀しい。

元々最上川流域に住む人は まずは人助け(川での遭難)のために住みだしたのだろうと

山間部と違ってそうは暮らしにくくないだろうと思ったけれど 洪水の被害とかで悩んでいたかもしれませんね?

農作業だけにやってくる廃村もあるようです。

Kazangan 最上川は昔はここまで広くなくて水運の河として工事がされました。 右手の石は山を切り開いて道を作った跡なので 火山の石です。

Kasenjiki 言われないと気づきませんが対岸の石はいわゆる河川敷にある石です。 河の歴史が見えます。

中州のあるあたりでは川の流れがぶつかって波が立ちます。

Nami 時々雨脚が強くなってきて正直あまり楽しくはありません。

Taki

このコースは滝があちこちで見られるのが売りでしたが。。。。

Taki2 ガイドさんの東北なまりを駆使した話しがおもしろかったので退屈はしませんでしたが なんだかなぁ

きっとお天気のせいです。

極めつけは 仙人堂  本当はここに上陸して少し散策ができるはずでした。新奥の細道と言われる手つかずの自然が残る場所があるそうです。

「雨強いけれど どうするべ?」と言われて 最初の人がもう帰ると言ったものだから 私は行きたいとは言えません。 何となく中途半端な思いで帰ってきました。残念。

Mitinoeki 途中の道の駅です。 ももかみの里と言って 韓国との草の根交流出発点とし 相互理解を深め会うために生まれたそうです。 どう見ても道の駅と言うよりは韓国です。

泥色の最上川に鮮やかな色を添えていました。

9月19日 午前

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肘折温泉って何処よ?

2010-10-12 17:25:31 | 旅行記

今日の宿は肘折温泉  計画をしているときに宿を何処に取る?と地図を見ながら検討。

「銀山温泉 行きたいけれど・・・」と亭主の希望を聞きながら検索するも どうにも希望と条件にかなうところが無い。 う~ん 反対側に肘折温泉ってあるけど・・・・聞いた事あるよ

じゃぁ そこにしよう

なんてのりで決めた宿。考えてみたら 山形県の地図広げて こっちが駄目なら反対側って言ったって近いわけ無いじゃん。まるで道路を渡ればすぐのような気持ちでいた私たち。

大変じゃー  と言うわけで 磐越自動車道から東北自動車道へ その後村田で山形自動車道から寒河江へ行き そこから北上したらいいなと走り始める。 到着予定時刻は6時 予約は少しゆとりをもって 6時半にしてあるので。。。。

Zaou

それにしても 本やニュースで聞いたことはあるけれど ここは何処?みたいな場所が次から次へと

と とんでもないニュースが 村田の手前で事故渋滞 6キロ  ま普通なら6キロの渋滞は我慢できる範囲 と思っていたけれど 動きゃしない  6時になったら宿に電話入れよう

と忍耐の車中に宿から電話。 まだ5時半だったのでいぶかってでたら 道案内の電話だった。 寒河江から北上しないで 山形北を降りたら天童東根を通って新庄を目指し 手前の舟形で案内板に従って来るようにとのこと。

最初の予定 およびナビ君の案内では山道しかも砂利道の悪路なのでやめてほしいとのこと。良かった~ 暗くなるし そんな道を行ったものなら不安で先に進めなかったかもしれない。 同じように事故渋滞に巻き込まれた一組があって 無理矢理悪路を来て参ったと。。。

8時になってしまったけれど 無事到着した宿は肘折温泉元河原湯

Motokawarayu 山また山の中にようやく桃源郷のように現れた小さな小さな温泉街の宿だった。 転がるように降りていったところにある。

Shokuji1 いろりに火が入れられ イワナとサツマイモが焼かれている。 米沢牛のすき焼き鍋が並ぶ。

料理は地元の幸を使った丁寧なしつらえ。

Sukiyaki いろりで焼いてくださいと 味噌を塗ったおにぎりがOnigiri  

無理です とても食べられません。

と部屋に戻ったら コーヒーとケーキ そして先ほどの焼きおにぎりの夜食が

Thiramisu_2 と言うわけで またまた食べる食べる。 特別に豪華な食材が並んでいるわけではないのに どうしてこんなに美味しいのでしょう?

只珍しいと言うわけではなさそうです。 旬の食材を一番美味しい方法で食べる方法を熟知されているのかもしれません。

元河原湯は 肘折温泉の源泉から引く温泉と 元河原湯が持っている源泉と両方の温泉が楽しめます。

お腹いっぱいになって お風呂もいただいて 気持ち良く 知らぬ間に熟睡していました。

Akegata こんな鄙びた温泉です。 何もありません。 温泉以外のものは似合わない場所に違いありません。

朝になってこの温泉は月山の恵みなんだって 月山だよ! とんでもないところまで来てしまったと思わず笑いが出てくる。 この先少し行くとカルデラ館があるらしい。なんだか興味をそそられる温泉だと思いながらもいくまでには至らなかったけれど。

それにしてもこの温泉一帯誰が見つけたの? 現代でも来るのが大変なのに 807年にはもう発見されていたっていうから驚きです。因みに この肘折温泉がある大蔵村は日本一美しい村に登録されているそうで 長野県の中川村 大鹿村と私が足を踏み入れた三つ目の村ということになります。 山紫水明の美しい村です。

Asamoya Motokawarayu2 

さて朝ご飯の前に 朝市がでるそうで 散歩です。 宿から歩いて2-3分

どっちへ歩いてもすぐに温泉から出てしまいますが

Asaiti 地元の方が思い思いに漬け物を持ち寄ったり お菓子を持ち寄ったり 山菜を持ち寄ったり・・・・

あろう事か 気づいたらリュックにいっぱいの野菜を買っていました。 戦後の買い出しじゃあるまいに(知りませんよ)

Annaizu

Asagohan 散策後朝ご飯です。 特上のお米にお漬け物 芋煮もでました。 芋煮話しには聞いていたけれど想像がつかなかった。肉じゃがの里芋版ですね。たっぷり盛られていて美味しかった。まだたくさんいただいたのですが 気づいた頃にはお腹の中に入っていて・・・・・

さて今日は山寺に行きます。 

また来たいなと思える温泉を見つけて満足。 日本一美しい村にお別れです。

Soba Hijiori

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裏磐梯 五色沼へGO

2010-10-12 12:41:40 | 旅行記

猪苗代湖から磐梯山の裏側に回ると裏磐梯と言うことになる。 富士山のどっちが表だ?と議論されているらしいが ここでは猪苗代湖側が表らしい。 

亭主の計画では 五色沼トレッキングをして檜原湖に出て バスで車を回収して今日の宿に向かうと。。。。だいたい亭主の計画はうまくいった試しが無い。 できるはず 行けるはず うまくいかないはずが無いと根拠のない自信で計画を立てるので。。。。こちとら慣れてますがね

さて裏磐梯は磐梯山の噴火でできた大小200もの湖沼が 散らばっているところで その中の五色沼を歩くことにする。 地図を見ても見当たらない・・・・・えっ? ちいさ~い  檜原湖の大きさと比べると点のような存在である。 歩くにはちょうど良いね。

Turifune 裏磐梯ビジターセンターに車を駐めて 自然探勝路入り口へ向かう。

五色沼は毘沙門沼 みどろ沼 弁天沼 瑠璃沼 青沼など色彩の違う沼を散策しながら歩くコースだ。

Gennosyouko 地味でもかわいらしい花が続く。

ぶらぶら下がっているツリフネソウはおもしろい。 どうしてこんな形態をしているのかしらね? ここのツリフネは 紫

Mizosoba

Nokongiku 今年はまだまだ暑いけれど 野の花は秋模様

Urabandai 毘沙門沼から裏磐梯が見える。 表から見た磐梯山と比べると火山の山らしい姿をしている。 硫黄の色だろうか? 白い山肌をしている。

Bishamonnuma この色は何でできているのだろう? コバルトブルーの美しい水は 時に山々を鏡のように写している。

裏磐梯の表情もよく見える。

Koi こんな色しているから濁っているのでは無いかと思うでしょ? ところが鯉が泳いでいる水面は透き通ってきらきら

Sakasanuma

Kinmizuhiki

Sansakuro とても気持ちの良い散策路です。山にいるような錯覚を憶えます。

紅葉にはまだ早いですが 時期には錦に輝く散策路になるのでは無いでしょうか?

Irowake 不思議です。同じ沼で 多少の草があるものの仕切りはありません。なのに色が全く違います。

Akanuma 赤くないけれど赤沼のようです。 池の縁が赤いかしら? これが赤沼だとすると 植物の根元は赤い。 酸化鉄のせいだそうですが・・・・

みどろ沼まで来て三分の一ぐらい 疲れてはいないけれどこの先行って戻ってくるまでに時間かかりそう。残念だけれど 戻ることにします。

帰りは少しだけ道を変えます。

Midori おお~ どうよ この碧 綺麗でしょ?

Akebonosou 花はあちこちで見かけましたが アケボノソウは ここだけでした。

おもしろい斑点をを付けて咲いています。

Mi 中途半端な散策でしたが 何しろ亭主の企画ですから。。。。それでも綺麗な景色と 優しい散策路に癒されて まだまだ見所が多そうなこの地域 また来るぞと決心したのです。

9月18日 午後

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「遠き落日」の舞台 猪苗代湖畔

2010-10-12 11:18:21 | 旅行記

磐梯山 猪苗代湖を見たくて会津からは高速に乗る。 地図ではさほど離れていないようだったけれど 思ったより時間がかかった。 猪苗代湖から隧道を通って飯盛山に忍び込んだ白虎隊は大変だったろうな

磐梯山はどんな山だろう? 形 様子 名前だけは知っているけれど見たことのない山にどきどきしながら進む。 見えない  磐梯山SAに来てもさっぱり見えない。 なぁんだ

猪苗代湖は広い東北地方では最大 国内でも4番目というから当然だけれど 猪苗代湖の何処に行ったら良いのやらさっぱりわからない。 とりあえず 猪苗代磐梯高原インターで降りよう。

少し先に猪苗代湖が見える。 うろうろしていたら目についたのが野口英世記念館「ここにしよっ!」 磐梯山も猪苗代湖も全然関係ないじゃん。

Bandaisan 一応磐梯山 裾野しか見えない。スキー場になっているらしい。

Suisha まず会津民俗館に入る。

20年も前だったろうか? 高校の先輩の初監督映画と言うことで 「遠き落日」という映画を見たことがある。

人間野口英世を描いた作品だった。 子どもの頃から野口英世は偉人以外の何者でもなかった。 小さいときにいろりでやけどをして手がくっついてしまった。それを会津若松の病院で手術してもらって 医学のすばらしさに目覚め 猛勉強をして医者になり アフリカに渡って黄熱病の研究をし 自らその病気にかかってしまって最期を遂げた。  

そんな風に教わっていたので この映画を見た後野口英世を見る目が変わり なんだか胸に鉛を詰めたような思いで帰った。

野口英世の嫌な面がいっぱい描かれた作品なのに それを隠さないで記念館を作っている会津の人が不思議に見えた。 人間野口英世だもの 誰でも嫌な面あるでしょ? そんなところなのだろうか?

Minzokukan 奥の茶色い建物は旧馬場家住宅 手前の白い建物は旧佐々木家住宅 源の世ロトもと会津に入った佐原十郎義連の家臣 栗原小太郎から37代続いた名家だそうだ。 目地時代には村役場として使われ吹き抜けは天井は総欅造りで三階は隠れ部屋になっているそうな。

そうは思えないぐらいの こじんまりした建物だった。遠き落日では撮影に使われたらしいけれどあまり記憶にない。

Tenji1 Tenji2

Isiburo_2 また庄助さんの石風呂だよ。狭いっちゅうに  

Sasakike 佐々木家

こうしてみると確かに立派です。 小さいけれど重厚な感じもします。

Rougoya 会津の産業の一つろうそく  江戸時代6割は会津のろうそくだったというからかなりのものだね。 綺麗な花が書かれた蝋燭をお土産でも売っていた。

Koyasukanseondou 元々は鶴が城内に安置されていた子安観世音大菩薩 戊辰戦争の時に場内より運びだされ 市内加藤氏の家の井戸端に置かれていたので戦禍を免れたと言うもので三代守ってきたものを今ここに移してあるのだそうだ。

Babake 曲家の馬場家

300年ほど前に建てられた中流農民の家。

Nogutihideyoseika こちらは野口英世の生家

上に大きな屋根の笠が作ってあるのでなんだかおかしいけれど 確かに貧しそう。 手前は家畜小屋なので 暮らすところはひどく狭い。

Ro 赤ちゃんだった清作が 落ちたいろりはとても小さかった。 炉の大きさも生活レベルに比例するのだろうか? 後ろには生活するのがやっとのような部屋がついていて  

父親が飲んだくれで 博打好きでなかったら もう少し良い生活をしていたかもしれないけれど。。。

父親の生活ぶりを見ていて母親の苦労も身にしみていたはずなのに 彼もやはりお金にだらしがなく みんなに借金をしては 飲んだり 芸者遊びにうつつを抜かしていたという事実。

本当なら 人間だもの そんな弱いところもあるわさと思いたいのだけれど 子どもの頃にたぶん初めて知った偉人の裏の顔に なんだか重い気持ちになる。 しかし成し遂げた偉業は確かで(蛇毒の研究者と知っている人はあまりないのではないか? 黄熱病があまりに有名だからね) 色んな気持ちが入り交じって 外に出る。

Bandaisan2 さっきまでさっぱり見えなかった磐梯山の山頂が顔を出していた。 思ったより優しい表情の山は 人間の裏表を受け入れるようにと 私を慰めているように思えた。

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