Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

新美南吉のイベント目白押しの中で 南吉に触れる

2013-10-26 21:37:35 | まち歩き

南吉記念館は 前にも来たことがあります。
その展示方法はとてもわかりやすく 新美南吉をいっぺんに好きにさせてしまうような展示方法でした。

建物の作りもなかなか斬新で 退屈しません。
Nankiti
階段を降りていったら 南吉さん読書に夢中でしたよ。

建物そのものが 南吉の生まれ育った岩滑の里山をイメージして作られているので アップダウンがあります。

こんにちは~ おじゃましま~す

随所に 童話の世界があります。
詩の世界もあります。 

中を撮しても伝えきれないものがいっぱいなので 童話集と小説集を買ってきました。
時々読み返して胸を熱くしています。

外に出て 岩滑の街を歩いてみます。 と言っても岩滑地区 南吉も若いときはひどい田舎と感じていたようで 昔の道はくねくねと曲った境目の解らないような道です。

Dedemusi
ででむし広場
南吉の詩にちなんで名付けられた公園ですから 南吉はあずかり知らぬ場所ですけれどね 
地元の人はこんな風に地元のうんだ心優しい詩人を愛しているんですね

Yanabehatimansya
もともと伊勢神宮を総本社とする神明社
戦国時代に岩滑の領主だった中山氏が応神天皇を祀って八幡社にしたようです。
南吉の生家はこの先に有り この神社を挟んで左の方に行ったところにも離れが建っていました。

南吉はこの境内を本を小脇に抱え行ったり来たりしていたようです。

生活の場だったのですね?

半田の山車祭りはとても美しくて心躍るものですが 春この神社でも二輛の山車が引き回され人形三番叟や巫女舞いが演じられるそうです。
狐 の中で祭りの様子が書かれています。

Dasi

Seika

生家です。
ちょっと面白い作りで 前からは平屋ですが 二階建てです。 と言うより裏が少し低いので階段を付けて台所と食事場を作ったという感じです。

Seika2
生活の場は全くありません。
前から見ると二軒の長屋のように見えます。

右は父親がやっている畳や
左は母親がやっている下駄やです。

Tatamiya

Getaya
どっちも裏の部屋も入れて8畳ぐらいでしょうか? 

ここに寝泊まりして生活するのはちょっときついかもしれません。

ま 我が家もこんなものですが

Kaidan
頭が使えそうな階段を降りていくと台所

Dining
そして食事室です。

南吉が東京にいる頃 この部屋のことをとても情けなくて悲しくなる・・・・と言った意味のことを書いていました。

そのことが私は悲しい と思ったものです。

たぶん彼はさほどひどい生活していなかったのだろうと思うのです。
なぜなら 父親は先程の神社の先に離れを買いました。
弟と一緒に南吉はここで寝起きをしていたと言うことです。
南吉が失火で家を焼いたときも父親はすぐに家を建て直しています。

南吉は 一度養子に出されていますがすぐに戻ってきています。 それが許されるのですから・・・・

離れの家は伊勢湾台風で倒壊したそうですが 療養中もここでした。最後まで南吉の家でした。
昔の写真を見ると手すりなどもあっていい絵のようでした。 見て見たかったね。

南吉の童話や詩集を見ていると 知多や三河の風景があふれています。
言葉も地元の言葉です。
東京へ行った頃 ふるさとをさげすんだこともあったようですが 病に倒れた南吉を励まし癒やしていたのはやっぱりふるさとの風景で有り 言葉で有り 習慣だったのでしょうね

知ってる風景に出会う度にごんぎつねや 手袋を買いに来た狐が目に浮かびます。

コメント (2)
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真っ赤に染まるごんぎつねの里

2013-10-26 20:24:33 | まち歩き

今年は新美南吉生誕100年だそうである。
出身地の半田市はもちろんのこと 教鞭をとっていた学校がある安城市でもいろんなイベントが催されていた。

新美南吉の作品は好きである。 子どもの頃ごんぎつねを読んでそのやりきれなさに胸が痛くなった事が懐かしい。 手袋を買いに のようなほんわかした話は案外少ないような
おじいさんのらんぷも なんだか辛い話だった

毎年彼岸の頃になると 半田のごんぎつねの里は賑わう。 矢勝川に咲く彼岸花を見にたくさんのひとが押しかけるからである。

お午がすぎると、ごんは、村の墓地へいって六地蔵さんのかげに
            かくれていました。いいお天気で、遠く向うにはお城の屋根瓦が光っています。
            墓地には、ひがん花が、赤い布のようにさきつづけていました。

ごんぎつねのシーンです。

このシーンを現実のものにしようと考えた地元の小栗さんの努力で 矢勝川には赤い布のように彼岸花が咲き続けるようになったのだそうです。
Akainuno
これって凄いことなんだと解りました。今でこそ沢山の人が手伝うようになったのですが 初めは一人で球根を植えたりして 地道な作業だったようです。

今では100万本 東西二キロメートルにわたっているそうですから。

せんじつ母が「彼岸花って凄いよね ちゃんと彼岸を知っていてその時期になると花を咲かす。 私もいく株か欲しいな」
と言うのでネットでポチッとしたらあらら~高い
下手すると一株2000円ほどするでは無いですか? 私財をなげうって?
私には絶対出来ないことです。 計画壮大すぎます。

ちなみに 私彼岸花あんまり好きではありませんでした。 葉っぱが無いまま花が咲いている姿も嫌だし 子どもの頃 いつもお墓の回りに咲いていたこと 手折ると乳汁がでてねちねちすること  本当かどうか解らないけれど 毒があるんだと教えられたこと・・・・・
等がその理由だと思います。

今回現地を訪れてみて(半田は何度も行っているのですが彼岸花を見に行ったのは初めてです)ここはごんぎつねの世界を再現した世界なのだ・・・・と思い知らされました。

Kinennkan

新美南吉記念館から始まります。
この地域 半田市岩滑が南吉の生誕地と言うことで 南吉の愛した古里が 昔のままかと思われるぐらい懐かしい様子で残されています。
ここは拠点になるでしょうか? 展示も素敵です。
南吉の作品とこの地方を意味づけて展示してあるところなどは 胸が熱くなります。

矢勝川は この記念館の右手に行ったところにあります。

Gonnohasi
狐のゴンは 向かいにある権現山からとったのでしょう。
南吉の遊び場所だったこのあたり行ったり来たりしながらいろんなお話を作っていたのでしょうか?

あらら これはいけません
丸木橋か土橋が良いなぁ・・・・
せめて木の橋が良いなぁ

Hana_2
植わっているのは彼岸花だけでは無いですよ。
自然のもので無いとは言え 花一杯です。

Gongenyama
川の向こうに見える低い山が権現山のようです。 子供たちが遊ぶのにほどよい高さですね。
今ちょっとはげ山になってますが

Higanbana

Higanbana2

Higanbana3
隈取りのある彼岸花もありますねぇ

Dote
出かけたのは9月26日

今年は暑さのせいか半分くらい花終わっていました。それでも凄いです。

Kamera
カメラの花も咲いています。
立派なカメラばかりです。
近づきません。

群れを嫌い・・・・・(大門三千子かっ!)

お殿橋を渡ります。

昔阿久比に再嫁した於大の方を慕って家康がこの橋を渡って阿久比に入ったと書いてありました。街道とも思えない田舎の畑の中を家康がいつも利用していた・・・・なんかほのぼのします。

阿久比ってそんなに近かったっけ?不思議に思って山の向こうを見たら確かに阿久比のアピタが見えました。しかし 岡崎から通る道かなぁ? 

人混みを避けて汎愛側を歩いて一周します。(これが案外遠かった) 川があるので途中で戻ることも出来ず・・・・・

Susuki
風にススキが揺れます。
きらきら光っています。

久しぶりに頑張って歩いて 気分が良いので 新美南吉にもう少し触れたくて記念館に寄ります。

コメント (2)
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