南吉記念館は 前にも来たことがあります。
その展示方法はとてもわかりやすく 新美南吉をいっぺんに好きにさせてしまうような展示方法でした。
建物の作りもなかなか斬新で 退屈しません。
階段を降りていったら 南吉さん読書に夢中でしたよ。
建物そのものが 南吉の生まれ育った岩滑の里山をイメージして作られているので アップダウンがあります。
こんにちは~ おじゃましま~す
随所に 童話の世界があります。
詩の世界もあります。
中を撮しても伝えきれないものがいっぱいなので 童話集と小説集を買ってきました。
時々読み返して胸を熱くしています。
外に出て 岩滑の街を歩いてみます。 と言っても岩滑地区 南吉も若いときはひどい田舎と感じていたようで 昔の道はくねくねと曲った境目の解らないような道です。
ででむし広場
南吉の詩にちなんで名付けられた公園ですから 南吉はあずかり知らぬ場所ですけれどね
地元の人はこんな風に地元のうんだ心優しい詩人を愛しているんですね
もともと伊勢神宮を総本社とする神明社
戦国時代に岩滑の領主だった中山氏が応神天皇を祀って八幡社にしたようです。
南吉の生家はこの先に有り この神社を挟んで左の方に行ったところにも離れが建っていました。
南吉はこの境内を本を小脇に抱え行ったり来たりしていたようです。
生活の場だったのですね?
半田の山車祭りはとても美しくて心躍るものですが 春この神社でも二輛の山車が引き回され人形三番叟や巫女舞いが演じられるそうです。
狐 の中で祭りの様子が書かれています。
生家です。
ちょっと面白い作りで 前からは平屋ですが 二階建てです。 と言うより裏が少し低いので階段を付けて台所と食事場を作ったという感じです。
生活の場は全くありません。
前から見ると二軒の長屋のように見えます。
右は父親がやっている畳や
左は母親がやっている下駄やです。
ここに寝泊まりして生活するのはちょっときついかもしれません。
ま 我が家もこんなものですが
南吉が東京にいる頃 この部屋のことをとても情けなくて悲しくなる・・・・と言った意味のことを書いていました。
そのことが私は悲しい と思ったものです。
たぶん彼はさほどひどい生活していなかったのだろうと思うのです。
なぜなら 父親は先程の神社の先に離れを買いました。
弟と一緒に南吉はここで寝起きをしていたと言うことです。
南吉が失火で家を焼いたときも父親はすぐに家を建て直しています。
南吉は 一度養子に出されていますがすぐに戻ってきています。 それが許されるのですから・・・・
離れの家は伊勢湾台風で倒壊したそうですが 療養中もここでした。最後まで南吉の家でした。
昔の写真を見ると手すりなどもあっていい絵のようでした。 見て見たかったね。
南吉の童話や詩集を見ていると 知多や三河の風景があふれています。
言葉も地元の言葉です。
東京へ行った頃 ふるさとをさげすんだこともあったようですが 病に倒れた南吉を励まし癒やしていたのはやっぱりふるさとの風景で有り 言葉で有り 習慣だったのでしょうね
知ってる風景に出会う度にごんぎつねや 手袋を買いに来た狐が目に浮かびます。