Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

歩いて巡拝る 知多四国13番札所 安楽寺

2012-07-23 16:04:30 | 旅行記

13番札所にはすぐにつきました。

Ooicyou
でっかい木がお迎えしてくれます。

13sanmon板嶺山 安楽寺

なんだか不思議な名前がついているねぇ

1593年に東雲院の和尚を開山として創建された。。。。と

東雲院って 15番札所の?

1648年に堂宇をこの場所に移したのだとお寺の由緒には書かれているんだけれど お寺の名前同じのあるし・・・

13hondou
ほう 立派な

コンクリート製ではありませんか?

Mizukokuyou
水子供養の仏様

Garasu
不思議なものが敷かれています。

玉砂利ではなく ガラスを砕いたもののようです。

とんがって危険というものでは無いですが びんを砕いたものであることは確かなようです。

じゃりじゃりと言う音は鈍いです。

エコですか?

13konnondou観音堂だ思われます。

聖観音を祀ったお堂です。 ご本尊は9年に一度のご開帳だそうです。

13daisidou
大師堂もコンクリートです。趣が無いと言えばそうかも・・・でも 覗いてみるとやっぱり よそと同じ大師堂です。

Jyuzu
でっかい数珠がかかっていて お参りする人は 数珠をひいて回します。

ぎーこぎーこと音が響きます。

Odaisisam
みんなの願いでつるつるてかてかになってました。

洗い替えのよだれかけが吊るされています。

Jizoudou
地蔵堂だと思います。

境内の地蔵堂は耳に御利益があるそうです。 耳の遠い人が穴の空いたひしゃくをお供えしてお参りすると耳が良く聞こえるようになるそうです。

明治 大正の頃には三河や伊勢の地名を書いたひしゃくもあったそうで その御利益が遠くまで聞こえていたんだと言うことが解る。

さて 今日のお遍路さんはここで終わる。 あまりに激しい雨に 雨宿りも込めて軽い食事を取る。おにぎり二つ。  たまにはこれも良いもんだけれど・・・

何しろその後駅までの戻り道はどうしたことか山越え。 3キロ

Gyuusha
高台にある牧場の牛舎を通り(知多牛だな)

Fureainomoriふれあいの森を通り(この森を巻いて来たらしい)

Takadai
高台まで登り詰めると阿久比の町が眼下に

ここから駅に向って降りていく。

雨少しやんで もう少しと気持ちを奮い立たせる。

今日のコース 全行程9.5キロほど さして距離は無いんだけれど 雨がいけなかった。 でもみんな元気。 これから先また雨にたたられるかもしれないけれど めげずに頑張らないとね

だってお遍路だもの

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歩いて巡拝る 知多四国14番札所 興昌寺

2012-07-23 14:43:43 | 旅行記

相変わらずミニさかうちです。

東雲院から裏道を通って元の道にでました。 行き先は 川の反対側のようです。

阿久比の駅を出ると東側にずっと続く丘陵地があります。 知多半島の背骨になるのでしょうか? この山を越えるとこの間歩いた大府とか刈谷があるようです。

で 向うのはこの丘陵地の方向です。

Sakabenisi
坂部駅西の交差点を右に曲って入っていきます。

阿久比川を越えて更に・・・

Kawa
これも阿久比川でしょうか?

福住新橋を超えてからの道は大通りをそれて人通りのない川沿いの道を歩いて行きます。

何処のあるのか今のところ見当もつきません。

川沿いに1.5キロぐらい歩いたのでしょうか? 左側に突然現れます。

Kousyoujisanmon
雨はひときわ降り方を益してきて 気持ち折れそうです。

和尚さんもレインコートですっぽり覆ってお出迎えです。

Hanzougyoujyadou
ここにはちょっとよそと違うお堂があります。

知多四国開創の岡戸半蔵が祀られているのです。

知多四国 本場の四国に習って近場でお参りできるところを半ば観光用に作られたのかも・・・・等と思っていたのですが 四国詣では古くからあったらしいです。

岡戸半蔵は 農家に生まれたのですが妻子を亡くして行者になり 家屋敷田畑をなげうって開創の資金にしたと言うことで この人がいたから今の知多四国詣でがある。

Hanzou
素朴で実直そうなお姿です。

14hondou
本堂です。

曹洞宗 円通山興昌寺

ご本尊は華厳釈迦牟尼仏

開祖は今川の家臣岡戸祢宜左衛門

桶狭間の戦いのあと福住に住み 緒川の乾坤院の和尚さんを拝請して開山した。

だから今でも乾坤院の末寺だそうです。

15hondou
とても豪華です。

Kannon南無梅花観世音菩薩って書いてある

梅花?

初めて聞く観音様だ~~

14daisidou
大師堂にお参りして納経を済ませます。

この雨 まだ降るつもり?

傘を差すのは得意ではありません。特にこういう行列の中では本当に危ない。

レインコートが頼りですが 何せ暑いです

Icyou_2
あと500メートルで次のお寺に着くようです。気を取り直して頑張ります。

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歩いて巡拝る 知多四国 15番札所洞雲院

2012-07-20 22:29:03 | 旅行記

駅に戻りここからは更に北上。

Monyumento
阿久比町役場角の交差点にある 可愛らしいモニュメント

太鼓の上に獅子舞の獅子をかぶっている幼子二人

どんな意味があるのかな?

観音寺から次のお寺までの距離2.5キロ

ただただ大通りを歩くのはつまらないけれど 時々こんな発見があったりして・・・・

Nanten南天の花

私今年まで南天の実は知っていても花を知らなかった。

実家に帰って 玄関脇の植え込みに咲いている大げさでお世辞にも品があるとは思えない花を発見

母に聞いて南天と知る。 ちょっとショックだった。 赤い実は冬の景色に美しい色を添えているのに・・・・

よく見たら可愛いのに。。。と言うことにしておこう

Henromiti15
城街道を過ぎてもなお続くお遍路さん

気が滅入りそう

Touuninと 歩くの飽きた頃にひこっと左に曲ってその先に立派な山門が見えてきた。

Touuninsanmon_2龍渓山洞雲院

ご本尊は如意輪観世音菩薩

そしてこのお寺には徳川家康の生母於大の方のお墓があった。

先日歩いたときに阿久比の町に於大の気配が色濃いのを不思議に思っていたけれど ここへ来て思い出した。

刈谷出身の於大の方は松平に嫁ぎ家康を生んだけれどやがて離縁されて 阿久比へ再嫁したのだった。

このお寺の由緒は凄いものだった。 まず開基は菅原道真の孫 菅原雅規

驚きでした。 この地で菅原道真の名前を聞くとは・・・・とても徳の高い人だったらしく 里人に愛された そのため 亡くなってからみんながその徳を偲び 夫妻の木像を作ったのだとか

そしてその木像を厨子に納め毎日順番に回送を  この習慣が明治維新まで回り地蔵信仰としてこの地に残っていたという。

これって凄いことだよね  今その木像と厨子はお寺に安置されているらしいけれど

Touuninhondouその後室町時代に 菅原雅規の後裔である久松貞益がこの寺を曹洞宗の寺として再建された。

それで於大の方である。

於大の再嫁した相手はこの久松家の俊勝だった。そこで生まれた子供たちは松平の姓を名乗り桑名城や 松山城の城主として世に出た。

於大の方がなぜ離縁されたのか詳しくは知らないけれど 政治的にどうしようも無かったのかもしれない。

松平の血は受け継いでいないけれど 家康と兄弟であることは間違いなく 配慮されたに違いない。

もちろんみんなできが良かったのでしょう。

15daisidou_2

Osenboガラスに反射してよく見えませんが 於大の方です。

おせんぼ

って不思議な言葉ですが毎年3月16日に 於大の方が女性の幸福招来を願って始めた観音鑯法会が行われるそうです。 

政治のために女性としての幸せを貫けなかった於大の方ならではですね?

あ 鑯法会(せんほうえ)からおせんぼになったんだぁ

Hotokesama_3
名前忘れちゃったけれど あの丸いばちで痛いところをさすると良くなるよ・・・・ていうやつです。

私 欲張りに頭と 胸と 膝を撫でておきました。 う~~んとぉ 忘れたところは無いかなぁ?

ん? お金? 何処を挿すって良いのか分らないので断念  おかげで今年も貧しい暮しを余儀なくされそうです。

Jibokannnon

於大の方等の墓はお寺の裏手に密かに眠っていました。

あまり案内もなく みんな間違えて森の奥まで入って行ってしまいます。

Odai久松家のお墓の中にあります。

ご主人と 子どもに囲まれて今何を語らいあっているのでしょうか?

子どもの頃から聞いていた於大の方の生涯がここで分り何となく満足したお参りでした。

感慨にふけりながら次の札所を目指します。 ちょっとさかうち 今度は14番です。

二キロほどの行程です。

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歩いて巡礼る 知多四国17番札所観音寺

2012-07-18 22:29:09 | 旅行記

次の札所は 大通りの反対側に行きます。

少し行ったところで右に登っていったところ。 

Kannonji案外近いのでるんるんです。

樫木山観音寺

ご本尊は11面観世音菩薩です。しかしこのご本尊 秘仏で50年に一度しか開帳されないとのこと・・・・

去年がその年だったそうで 私が生きている間に開帳されることはないね

どんな仏様か興味津々 だけどね

Kaidan

めまいがしそうな 長い急な階段です。

Mizuko
手水の横には水子供養の仏様が

Kannonjihondou
本堂も立派です。 ほとんどの場合大師堂と本堂は別れていますが ここでは同じ堂宇に隣り合わせです。

17taisidou外からは別の建物のように見えます。

Ajisai
毎年八月九日はご縁日

この日のお参りすると九万九千日お参りしたと同じ功徳があるそうで。。。。これは怠け者の私向きですじゃ

小高い丘の上にあったので当然降りなきゃ  北側に続く道をことこと降りていく。

駅前通りにでて 遅くからの人とすれ違いながら 次の札所に向う。

Kousindou

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歩いて巡拝る 知多四国 16番札所平泉寺

2012-07-18 13:44:58 | 旅行記

6月16日 第三回歩いて巡礼る 知多四国です。

夏の暑い時期を避けるためか 一ヶ月に一回というよりは少しづつ前倒しになって来ます。 ついこの間行ったばかりなのに・・・・いえ 不満ではないですが 日がたつのは早いです。

Agui
朝から雨です。

雨だと中止かな?と少し期待しながらパンフレット見ても・・・・やるみたい

1年半あとに同じコース歩くのだからその時にと言う手もあるけれどやっぱり嫌

やり出したからには頑張らないとね。巡礼は行なんだから

阿久比駅には沢山の人 ベンチに荷物を置いてみんな雨用の支度をしている。 今回は道順がとてもわかりやすい。 大通りを南に進んでUターンして北上して右へ回って大きく周回して戻ってくる。 全行程9キロだそうな。

雨は嫌だけれど頑張ろう。

阿久比の駅を出て南下 アピタの手前で左に入っていく。

Sasetu
程なくして左手に駐車場が

斜面を登っていくとそこが16番札所 鳳凰山平泉寺

前回12番札所で終わっているのでれ?れ?れ?と思ったけれど 今日は大きい数字からお参りするらしい。

これってさかうちにはならないの?

Heisenji慈覚大師による開祖は830年  古いです。

Okarasu_2
オカラス大明神って書いてある。 腰の神様だって

腰が悪い私は ちょいと覗いてみる。

Kagami
青銅の鏡のようなのがご神体?

何処にもカラスの姿は見えなかったけれど。。。。

こんなに覗いて罰当たるかしら?

Bidoromouzuika
ビードロモウズイカ?

まだしっかり咲いていないけれど 長い植物だねぇ

17hondou
本堂は雨対策でしょうか? しっかり戸が閉められています。

このお寺は源頼朝が国家安穏祈願に訪れたという由緒があるそうなのですが

なぜに阿久比?

父親である源義朝もこの知多まで逃げてきて最後を遂げたそうですから 知多が源寺に関わりのある土地だったのかもしれません。

と調べてみたら知多で亡くなった父源義朝の墓参りに野間へ行ってその帰りにここに泊ったのだと

本尊の不動明王は慈覚大師の手になる物で県の文化財になっているそうです。

Daisidou172
大師堂はあいています。お参りの人で混雑しています。

Daisidou17
奉納瓦がいっぱい積まれていました。

近いうちに屋根の葺き替えが予定されているようです。

Dokudami

Ido
アピタに接する道を戻る途中 この平泉寺にもゆかりの深そうな井戸を発見。

この井戸淳和天皇が夢で 鳳凰が群れをなしてこの鯨岡の地に降り立ったのを見て慈覚大師に鳳凰を見て来るようにと命じられた。

ここまで来て 里が水不足と飢饉に苦しんでいるのを見る。

慈覚大師は落ちていた石を綺麗に葺き浄めお経を書いて井戸に入れたら綺麗な水がこんこんと湧いてきたのだそうな

今見ると美しいとは言えない井戸だけれど こんな伝説があります。

鳳凰山平泉寺はそんなところから来た名前かもしれません。

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