旅の終わりは本当に辛い。
人生に終わりがあるように、旅もいつか終わる。
一年以上世界を回っていても、終りは来たのだ。
今回の旅は特にそう思う。
あまりの多くの人に出会い、あまりの多くの出来事があった。
ハノイでの契約締結に始まり、
初めてのシンガポールでの経験、
そして最初の計画にはなかったフエへの旅で
あまりにも多くの人との出会いと再会があった。
これからにつながる人間関係の構築や、ビジネスの進展、
日本とベトナムの架け橋になる多くの課題と絆ができた。
本当に親切にしていただいた皆様に感謝の気持ちでいっぱいだ。
ありがとうございます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今日帰国の途につくが、
「も一度世界一周」の実感がひしひしと湧いてきたのも事実だ。
仕事は日本にいなくてもできる。
いや、日本にいなくても、仕事ができるような仕組みを作らなければならない。
それがスーパーノマドへの道だ。
こうしたボクの行動に批判的な人たちがいることも承知している。
どんなことをやろうとも、どこにいようとも遠吠えは聞こえてくるものだ。
もちろん、声には謙虚に耳を傾けつつ、
だからといって自分考えや行動をぶらすことなく信じた道を突き進まなければならない。
それにはいつも言っている、「確信(覚信)」と「勇気」が必要だ。
これは、「言う気」を持って行動を起こせば「核心」に迫り、
自分自身に「革新」を引き起こすことが得きることを意味する。
今やっているビジネスを変化させていくためには
守りの姿勢ではいけない。
進むか下がるか、どちらかだ。
停滞は避けなければならない。
進むにも下がるにも上記の「勇気と確信」は絶対に欠かせない。
進もうが下がろうが、どちらにも周囲の耳ざわりの言葉は降りかかる。
受け止める謙虚さを持ちながら、
雑念や雑音を振り切る決断も必要だ。
悲しいかな、新しい出会いには別れが伴う場合が多い。
逆にいえば、現状と決別しなければ
新しいものはやってこないのだ。
今夏の旅は、今までとはまた一味違ったモノをボクにもたらしてくれた。
名物のフエ料理を作るおばちゃんに群がる若者たち。
人との繋がりを身に滲みて感じた。
そして、「も一度世界一周」への手応えをかじる旅だった。
いや、ひょっとして
もうすでにボクの「も一度世界一周」は始まっているのかもしれない。
そう感じさせられる深い旅立った。
誰かを幸せにすることは、
誰かを不幸にすることかもしれない。
ギターを弾きながら川辺に集う若者たち。
彼らは何を訴えようとしているのか?
ディスコで踊る若者たち。
どれもこれも、ベトナムだ。
何か行動を起こせば、そこに変化を見せれば
一部の人の批判は避けられない。
謙虚に反省し、受け止めなければならないことは知っている。
それでもボクにはやらなければならないことがあるのだ。
はっきり言って、ボクがこんなに幸せな気分でいられるのは、
基本路線に間違いがない証左ではないだろうか。
すべての出来事が神様からのギフトなのだ。
多くの人に嫌われていても、
それ以上の人々の温かさがボクの支えとなっている。
もう一つ強く感じたことがある。
それは、英会話力だ。
英会話ができ、少しでもそこの国の言葉がしゃべれれば
誰とでもコミュニケーションが取れ、
友達や知り合いになれるということだ。
だがそれも、単に英会話力では測れない。
伝えたい気持ち、熱意、内容が伴わなければ
言葉だけが上滑りして、心は伝わらない。
相手の心になかに浸透しなければ
本当の良好な人間関係は生まれないのだ。
そしてなにより、インターネット環境と、facebookの役割は欠かせない。
本当にベトナムは、どんな小さなカフェでもその環境が充実している。
これから行く国はどこもそうだとは思わないが、
日本が一番遅れているのではないだろうか。
日本は物には溢れていても、
人の心は決して満たされているとはいえいない。
日本を飛び出し、世界を旅すれば、
いろんな矛盾が見えてくる。
それでも日本は、総じていい国であることは間違いない。
だからといってそのぬるま湯に浸かっていては
どんどん世界から置いてきぼりを食うばかりだ。
日本は、今その状態にある。
日本人は世界から取り残されようとしている。
日本人そのものがガラパゴス化しているといえる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
来年は、ベトナムからラオス、カンボジアを抜け、
タイを通ってミャンマー、バングラデシュまで達しよう。
あわよくば、インドへ入ることにもなるだろう。
生きている限り、ボクの進む道を誰も塞ぐことはできない。
塞ごうとする事柄や人はひっきりなしに現れるだろけど。
そのためにもより一層の心身の鍛錬こそ必要となる。
人生に終わりがあるように、旅もいつか終わる。
一年以上世界を回っていても、終りは来たのだ。
今回の旅は特にそう思う。
あまりの多くの人に出会い、あまりの多くの出来事があった。
ハノイでの契約締結に始まり、
初めてのシンガポールでの経験、
そして最初の計画にはなかったフエへの旅で
あまりにも多くの人との出会いと再会があった。
これからにつながる人間関係の構築や、ビジネスの進展、
日本とベトナムの架け橋になる多くの課題と絆ができた。
本当に親切にしていただいた皆様に感謝の気持ちでいっぱいだ。
ありがとうございます。
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今日帰国の途につくが、
「も一度世界一周」の実感がひしひしと湧いてきたのも事実だ。
仕事は日本にいなくてもできる。
いや、日本にいなくても、仕事ができるような仕組みを作らなければならない。
それがスーパーノマドへの道だ。
こうしたボクの行動に批判的な人たちがいることも承知している。
どんなことをやろうとも、どこにいようとも遠吠えは聞こえてくるものだ。
もちろん、声には謙虚に耳を傾けつつ、
だからといって自分考えや行動をぶらすことなく信じた道を突き進まなければならない。
それにはいつも言っている、「確信(覚信)」と「勇気」が必要だ。
これは、「言う気」を持って行動を起こせば「核心」に迫り、
自分自身に「革新」を引き起こすことが得きることを意味する。
今やっているビジネスを変化させていくためには
守りの姿勢ではいけない。
進むか下がるか、どちらかだ。
停滞は避けなければならない。
進むにも下がるにも上記の「勇気と確信」は絶対に欠かせない。
進もうが下がろうが、どちらにも周囲の耳ざわりの言葉は降りかかる。
受け止める謙虚さを持ちながら、
雑念や雑音を振り切る決断も必要だ。
悲しいかな、新しい出会いには別れが伴う場合が多い。
逆にいえば、現状と決別しなければ
新しいものはやってこないのだ。
今夏の旅は、今までとはまた一味違ったモノをボクにもたらしてくれた。
名物のフエ料理を作るおばちゃんに群がる若者たち。
人との繋がりを身に滲みて感じた。
そして、「も一度世界一周」への手応えをかじる旅だった。
いや、ひょっとして
もうすでにボクの「も一度世界一周」は始まっているのかもしれない。
そう感じさせられる深い旅立った。
誰かを幸せにすることは、
誰かを不幸にすることかもしれない。
ギターを弾きながら川辺に集う若者たち。
彼らは何を訴えようとしているのか?
ディスコで踊る若者たち。
どれもこれも、ベトナムだ。
何か行動を起こせば、そこに変化を見せれば
一部の人の批判は避けられない。
謙虚に反省し、受け止めなければならないことは知っている。
それでもボクにはやらなければならないことがあるのだ。
はっきり言って、ボクがこんなに幸せな気分でいられるのは、
基本路線に間違いがない証左ではないだろうか。
すべての出来事が神様からのギフトなのだ。
多くの人に嫌われていても、
それ以上の人々の温かさがボクの支えとなっている。
もう一つ強く感じたことがある。
それは、英会話力だ。
英会話ができ、少しでもそこの国の言葉がしゃべれれば
誰とでもコミュニケーションが取れ、
友達や知り合いになれるということだ。
だがそれも、単に英会話力では測れない。
伝えたい気持ち、熱意、内容が伴わなければ
言葉だけが上滑りして、心は伝わらない。
相手の心になかに浸透しなければ
本当の良好な人間関係は生まれないのだ。
そしてなにより、インターネット環境と、facebookの役割は欠かせない。
本当にベトナムは、どんな小さなカフェでもその環境が充実している。
これから行く国はどこもそうだとは思わないが、
日本が一番遅れているのではないだろうか。
日本は物には溢れていても、
人の心は決して満たされているとはいえいない。
日本を飛び出し、世界を旅すれば、
いろんな矛盾が見えてくる。
それでも日本は、総じていい国であることは間違いない。
だからといってそのぬるま湯に浸かっていては
どんどん世界から置いてきぼりを食うばかりだ。
日本は、今その状態にある。
日本人は世界から取り残されようとしている。
日本人そのものがガラパゴス化しているといえる。
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来年は、ベトナムからラオス、カンボジアを抜け、
タイを通ってミャンマー、バングラデシュまで達しよう。
あわよくば、インドへ入ることにもなるだろう。
生きている限り、ボクの進む道を誰も塞ぐことはできない。
塞ごうとする事柄や人はひっきりなしに現れるだろけど。
そのためにもより一層の心身の鍛錬こそ必要となる。