世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

財布が空っぽ

2013年11月06日 | 
旅にハプニングやトラブルはつきものだ。

できることなら、悪いことは起きて欲しくないものだ。


ところが、どうしてもいろんな事件が起きてしまう。

だから面白いし、勉強になり、自分を鍛えられる。



旅の終わりに連続して3つの事件(出来事)が起きた。

最初にガツンときた感じだ。




ひったくり、すり、盗難には最も気をつけている。

だから、長い旅人生にしてはまだ少ないほうだろう。


日本でも起きるのだから。




それは、空港のセキュリーチェックの現場で起こった。


      彼らはみんなグルだ。右側のガラスドアの奥が記録室だ。


ポケットのものを出すとき、財布も一緒に出す。


今回も、行きと同様預かったお土産物が惨事をもたらすきっかけとなった。



スクリーニングから出た土産袋から香辛料の入った袋を3つ取り出し、

これは機内に持ち込めないからチェックインカウンターに持って行って預けてくれ、と言われた。


液体ではないのに、と不思議な気はしたが、

小走りにカウンターへ取って返した。


この時、急かされたのですっかり財布のことは頭になかった。

というか、まだスクリーニングボックスから出てきていなかったのだ。



スタッフ室から中に入り、自分のバッグが機内に運ばれる直前に間に合って、

3つの香辛料を一緒に入れて、


セキュリティに戻った。


その間約6~7分か。


機内持ち込みの荷物と一緒に、籠の中の財布をポケットに入れようとしたとき、

何か違和感を感じた。


財布の中を見ると、空っぽだ。

たしか、円札で10万円ほど入れていたはずだ。

その紙幣がそっくり消えている。


ボクは怒りを顕にして係官に言った、

”My wallet is empty.

Somebody stole my money.”


係員はその場に5~6人いる。

みんなグルだと分かった。


一人ではこの犯行はできない。

グルになってあとで分配するのだ。


係員は全員とぼけて知らない顔をした。

彼らのうち誰かが抜き取ったのは明らかだった。


ボクは、柱にある監視カメラを目ざとく見つけ、

カメラの記録を見せろ、と怒鳴った。


責任者らしき人物がやってきた。

ボクは、"Call a police" と警官(公安)を要求したが全く無視された。


彼らはのうち3人が記録室に入って録画された監視カメラを再生している。


”Hurry up!”

ボクは声を荒げた。


15分ほど待たされた。

ソシテやっと録画記録室に入ることを許された。


そして、ボクがセキュリティチェックを受けるところから、

香辛料をを持ってチェックインカウンターへ行って、帰ってくるまでを見せられた。


財布の入ったかごが、バッグのあとからかなり遅れて出てきたことが見て取れた。

だが、そのかごには誰も触っていない。


係官は勝ち誇ったかのように、どうだ、といった表情をボクに見せた。

満足したか?と言いたげに。


スクリニングボックスの手前で抜かれているようだが、それは写っていない。

ボクは悔しいがそれ以上どうすることもできなかった。


"I give you the money, satisufied?"

「金はくれてやる、満足か!?」


というのが精一杯だった。




済んでしまったことは仕方がない。

無くなったものは、どうしようもない。

いつまでもくよくよするな。

これがボクの考え方だ。



財布ごと盗まれたら、カード類が入っていたのでもっと大変だった。

米ドルは別にしていたので$200程は手元にある。


盗まれたのが、パスポートでなくてよかった。

パスポートをなくせば、再発行のため少なくとも数日は足止めを食う。



それでも、しばらくのあいだ、悔しくて仕方なかったが、

ここは頭を切り替えるしかない。


貴重なお金だが、ここは生活を切り詰めるしかないだろう。




さて続いて起こったのは、国際線でイミグレ(出国審査)に行く時だった。

一人のベトナム人係官がボクを呼び止めた。


そして、別室へ来るように言う。

またか!今度はなんだ? と心の中で叫んだ。



機内持ち込みに荷物(3個)が多すぎて重量オーバーしているという。

確かに、お土産にもらった紙袋が余計だった。


またもや、トランスポーターの悲劇だ。

”So? what shuld I do?"


チェックインカウンターに持って行って預けるように言われた。

でも、紙袋だし、今更預けられないよ、と断った。


カバンの中にはいらないのか、という。

入れば最初から紙袋で持っていない。


ボクは一応説明した。

これは、あなたと同じベトナム人女性が日本にお嫁に来て、

ベトナムの食べ物が食べたいので、みんながボクにお土産に持たせたものだ、と。


それでも、持ち込めないのなら、あなたにあげるよ、と開き直ってみた。


いや、それは困る。自分がもらうわけにはいかない。

じゃあ、どうすればいいんだ!


彼女は困惑顔になった。


しばらく考え込むように仕草を見せたあとで、

いいわ、持って行って、と答えた。


ボクは、ありがとう、とお礼を言ってイミグレに進んだ。


ここはまたなんとか切り抜けた。





さて、三番目の惨事は。

それはインチョン空港で起こった。


帰国後の夜のパーティへの手土産に、Duty Free でマッコリを買った。

支払いは、カードだ。


レシートにサインをする際、横に置いてあったワインボトルが倒れ、無残にも割れてしまった。




搭乗案内は始まっていた。

さて、どうする?


売り場に女性は、責任者に電話を入れている間、ボクをその場に待たせた。

時間がない。


彼女の出した結論は、こうだ。

26ドルのワインです。

半額の13ドルを弁償してください。


"You kidding me?(冗談だろう?)" 思わず叫んだ。

なんといっても、時間がない。


"OK,contact the insurance company(保険会社に言ってくれ)"

と言って、海外旅行保険の証書を見せた。


損害賠償もカバーされているからだ。

"OK? I have to go"


そして小走りに機内へ入っていった。



ぎりぎりセーフだった。



さて、日本だったらどうか、

同じことが起きた場合、弁償請求するだろうか。


100%ボクが悪いわけではない。

だから、50%だというが、

日本なら、多分、


お怪我はありませんか?

もう結構ですので搭乗口へお急ぎください。


と言うだろう。





おかげでいろんな状況での経験が出来た。

10万円は痛いけど、

授業料だと思えば諦めもつく。


現金は、保険では降りない。


これも「も一度世界一周」をするための予行練習なのだ。

また新しいステージが始まった

2013年11月06日 | 人生
いつも、旅の終わりは、新しいステージの始まりでもある。


フリートークは、アメリカ人スタッフによる新しいい経営形態が始まりそうだ。


NPO法人もいよいよ本格始動する段階に入ってきた。

BRCORPとの提携も、仕事内容が具体化する。


東南アジア戦略も進展しつつある。


さあ、すべてはこれから始まる。


新しい夜明けが待っている。