本当に神様がいるのなら、
なぜこんな仕打ちができるのだろうか。
時に世界で起きる大きな災害で、
罪なき多くの人が犠牲になる。
今は、フィリピンだ。
日本では東北の大震災がある。
時折襲う台風や大雨の犠牲者もいる。
ここで生死を分けるものはなんだろうかと考えてみた。
紙一重ということもありうるだろう。
振り返ればボクも何度か死んでもおかしくない災害や事故に遭遇している。
だが、未だにこうして生き延びている。
生まれてくるのは自分の意志ではないにせよ、
生まれ落ちてからは、その大半が自分の意志が働く。
選択と決断がその人の人生を左右する。
環境、思考方法(考え方)がその人の人生を決める。
そして、学習能力。
つまり、環境や考え方は学習により自分の意思で変えることができる。
だがそれも、自ら積極的に変化、適応していく人と、
現状に甘んじる人がいる。
人生は、移動の時間、距離で変わる。
移動が多ければ、事故の確率も一般的に高くなる。
安心、安定を望む人は、変化を嫌い、移動を嫌う傾向がある。
逆に、変化と移動を好む人は、安定は得にくい。
だが、変化の中に安定や安心を見出すこともできる。
ボクの場合がそうだ。
じっとしていると不安になる。
現状維持という状況に危機感を覚える。
じっと一ところで動かずにいると、考えることが多くなる。
停滞の中での思考は、どうしても下向きになる。
ふさぎ込んでしまう傾向になる。
動いていると気が紛れる。
もちろん、動くために立ち止まり、考えることは必要だが。
ところが、動かずに考えてばかりいる人が結構多い。
気が滅入り、心を患い、ウツになったりする。
安心、安定を求め、リスクを犯さないことばかりを考えることで、
かえってリスクを引き寄せることになる。
人の考えは十人十色、人生いろいろだから、どれが良いとか悪いとかジャッジすることはできない。
ただ、見ていて歯がゆくなる人が多いのは事実だ。
そしてそういう人に限って、間違った選択をして自分で自分を苦しめている。
だがそう言う人は、それすらも気がつかない。
人の話を聞こうとする姿勢に欠ける。
自分の世界に閉じこもる。
だから、人とのコミュニケーションが不得手である。
だからといって、短命かといえばそうでもない。
冒頭に戻り、
もしこの世に神様がいるのなら、
人の寿命というものをどうやって決めているのだろうか。
その人の生命力というものがある。
それは、生きる力ではない。
生き残る力だ。
復活する力といってもいい。
英語では、災害の生存者をSurvivorという。
Alivorと言ったりしない。
または、再び蘇ることはreviveという。
このviveという語源はラテン語やフランス語に由来する。
joie de vivreというと、
a feeling of general pleasure and excitementの意味をなす。
vivid やvivaともつながる。
または、on the qui vive (for something)と言ったりして
「気を配る(pay attension)」という意味に使われる。
「気」は、英語ではchiと言ったりすることもある。
それは、life energyであり、 vital energyでもある。
人の寿命は何で決まるのか?
歴史的偉人の中には志半ばで若くして倒れる者もいる。
坂本龍馬や織田信長、チェ・ゲバラといったボクの好きな人物も皆そうだ。
かと言って、天寿を全うする人物もいる。
天寿までいかなくても長生きしたエジソンやアインシュタインのように。
もしも神様がいるのなら、
そうした寿命はどう決めているのだろうか。
命は神から与えられた最大のギフトだと思うのだが。
さて、自分の余命はあとどれくらい?
それがわかれば苦労はしない、か!?
なぜこんな仕打ちができるのだろうか。
時に世界で起きる大きな災害で、
罪なき多くの人が犠牲になる。
今は、フィリピンだ。
日本では東北の大震災がある。
時折襲う台風や大雨の犠牲者もいる。
ここで生死を分けるものはなんだろうかと考えてみた。
紙一重ということもありうるだろう。
振り返ればボクも何度か死んでもおかしくない災害や事故に遭遇している。
だが、未だにこうして生き延びている。
生まれてくるのは自分の意志ではないにせよ、
生まれ落ちてからは、その大半が自分の意志が働く。
選択と決断がその人の人生を左右する。
環境、思考方法(考え方)がその人の人生を決める。
そして、学習能力。
つまり、環境や考え方は学習により自分の意思で変えることができる。
だがそれも、自ら積極的に変化、適応していく人と、
現状に甘んじる人がいる。
人生は、移動の時間、距離で変わる。
移動が多ければ、事故の確率も一般的に高くなる。
安心、安定を望む人は、変化を嫌い、移動を嫌う傾向がある。
逆に、変化と移動を好む人は、安定は得にくい。
だが、変化の中に安定や安心を見出すこともできる。
ボクの場合がそうだ。
じっとしていると不安になる。
現状維持という状況に危機感を覚える。
じっと一ところで動かずにいると、考えることが多くなる。
停滞の中での思考は、どうしても下向きになる。
ふさぎ込んでしまう傾向になる。
動いていると気が紛れる。
もちろん、動くために立ち止まり、考えることは必要だが。
ところが、動かずに考えてばかりいる人が結構多い。
気が滅入り、心を患い、ウツになったりする。
安心、安定を求め、リスクを犯さないことばかりを考えることで、
かえってリスクを引き寄せることになる。
人の考えは十人十色、人生いろいろだから、どれが良いとか悪いとかジャッジすることはできない。
ただ、見ていて歯がゆくなる人が多いのは事実だ。
そしてそういう人に限って、間違った選択をして自分で自分を苦しめている。
だがそう言う人は、それすらも気がつかない。
人の話を聞こうとする姿勢に欠ける。
自分の世界に閉じこもる。
だから、人とのコミュニケーションが不得手である。
だからといって、短命かといえばそうでもない。
冒頭に戻り、
もしこの世に神様がいるのなら、
人の寿命というものをどうやって決めているのだろうか。
その人の生命力というものがある。
それは、生きる力ではない。
生き残る力だ。
復活する力といってもいい。
英語では、災害の生存者をSurvivorという。
Alivorと言ったりしない。
または、再び蘇ることはreviveという。
このviveという語源はラテン語やフランス語に由来する。
joie de vivreというと、
a feeling of general pleasure and excitementの意味をなす。
vivid やvivaともつながる。
または、on the qui vive (for something)と言ったりして
「気を配る(pay attension)」という意味に使われる。
「気」は、英語ではchiと言ったりすることもある。
それは、life energyであり、 vital energyでもある。
人の寿命は何で決まるのか?
歴史的偉人の中には志半ばで若くして倒れる者もいる。
坂本龍馬や織田信長、チェ・ゲバラといったボクの好きな人物も皆そうだ。
かと言って、天寿を全うする人物もいる。
天寿までいかなくても長生きしたエジソンやアインシュタインのように。
もしも神様がいるのなら、
そうした寿命はどう決めているのだろうか。
命は神から与えられた最大のギフトだと思うのだが。
さて、自分の余命はあとどれくらい?
それがわかれば苦労はしない、か!?