心に杭は打たせない
沖縄・辺野古への米軍新基地建設の強行をテレビで見ていて、落ち着かない。見ている自分が、まるで侵略軍の側にいるように感じさせられるからだ。カネと暴力で目的を達成させるのだから、侵略は過言ではない。
抵抗していた県知事が言うことを聞くようになったのは、はた目を気にしない多量の交付金によってだった。受け取る側より、恥も外聞もなく、カネを配る政府の手つきを傍観者のわたしたちが許していることになる。
今日も海上保安庁の巡視船や建設業者の船に対して、住民のカヌーやゴムボートが抵抗している。その光景を想像すると、胸が痛む。
「こころに杭は打たせない」。一九五〇年代の砂川基地拡張反対闘争のスローガンだった。基地に入って逮捕された被告は、一審東京地裁判決で無罪だった。米軍基地は日本国憲法が禁じている武力だったからだ。
地上にピケを張る沖縄のひとたちも、いま杭を打たせないために体を張っている。この新基地建設計画はベトナム戦争当時のものだった、と友人の建築家・真喜志好一さんは主張し続けてきた。米軍に資金がなかったのだが、いまは日本が引き受ける。住民の安全のためとのおためごかし。
普天間の危険性を人質に昔の計画を完成させる奇襲攻撃。すべての負担は沖縄。安倍内閣はヘイヘイ言うだけの土下座外交。
(東京新聞8月26日 ルポライター 鎌田 慧さん)
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私見
鎌田慧さんの文章は、読むにつれ、心の中に食い入ってくる。最も弱い人間の弱さにまなざしが感じられる。現地に行って自らが納得いくまで考える。
きょう8月26日福島地裁は画期的な判決を下した。福島原発で避難した女性が自死をとげた。58才のまだ若い主婦。福島地裁は、自殺と事故に因果関係を認めた初の賠償判決を下した。
私には福島地裁の裁判長の道理ある判断と弱い立場に立ち続ける鎌田さんとが、どこかで繋がっている輪を感じる。
沖縄・辺野古への米軍新基地建設の強行をテレビで見ていて、落ち着かない。見ている自分が、まるで侵略軍の側にいるように感じさせられるからだ。カネと暴力で目的を達成させるのだから、侵略は過言ではない。
抵抗していた県知事が言うことを聞くようになったのは、はた目を気にしない多量の交付金によってだった。受け取る側より、恥も外聞もなく、カネを配る政府の手つきを傍観者のわたしたちが許していることになる。
今日も海上保安庁の巡視船や建設業者の船に対して、住民のカヌーやゴムボートが抵抗している。その光景を想像すると、胸が痛む。
「こころに杭は打たせない」。一九五〇年代の砂川基地拡張反対闘争のスローガンだった。基地に入って逮捕された被告は、一審東京地裁判決で無罪だった。米軍基地は日本国憲法が禁じている武力だったからだ。
地上にピケを張る沖縄のひとたちも、いま杭を打たせないために体を張っている。この新基地建設計画はベトナム戦争当時のものだった、と友人の建築家・真喜志好一さんは主張し続けてきた。米軍に資金がなかったのだが、いまは日本が引き受ける。住民の安全のためとのおためごかし。
普天間の危険性を人質に昔の計画を完成させる奇襲攻撃。すべての負担は沖縄。安倍内閣はヘイヘイ言うだけの土下座外交。
(東京新聞8月26日 ルポライター 鎌田 慧さん)
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私見
鎌田慧さんの文章は、読むにつれ、心の中に食い入ってくる。最も弱い人間の弱さにまなざしが感じられる。現地に行って自らが納得いくまで考える。
きょう8月26日福島地裁は画期的な判決を下した。福島原発で避難した女性が自死をとげた。58才のまだ若い主婦。福島地裁は、自殺と事故に因果関係を認めた初の賠償判決を下した。
私には福島地裁の裁判長の道理ある判断と弱い立場に立ち続ける鎌田さんとが、どこかで繋がっている輪を感じる。