【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

「不安倍増」『安倍』総理と本源的共同体の歌

2015-03-12 11:32:14 | 社会・政治思想・歴史
  「不安倍増」『安倍』総理と本源的共同体の歌
                      櫻井智志



孫崎享氏は、こう述べている。

「今や質は東京新聞上。読売・朝日記者は自社紙が部数だけ多い「安倍首相御用新聞」をどう思う」と。
同氏の2015年3月12日のメルマガでのご発言である。



孫崎氏wrote
民主主義化のマスコミの役割に、政権監視の機能があるはずだ。
 もし、その機能を果たせなくなったら、民主主義は危機に瀕する。
メルケル首相訪日の際に、「言論の自由」に言及し、「私は言論の自由は政府にとっての脅威ではないと思います。民主主義の社会で生きていれば、言論の自由というのはそこに当然加わっているものであり、そこでは自分の意見を述べることができます。法律と憲法が与えている枠組みのなかで、自由に表現することができるということです」と発言したことだ。彼女の頭の中に、「日本は今、言論の自由が脅かされている」があるのでないか。
 残念ながら、読売、そして朝日も「安倍首相御用新聞」になってしまった。
 もし、そうでないというのなら、次のような記事が今日、朝日、読売に掲載されることはあるか、問うてみたらよい。


小生wrote
孫崎氏のこの趣旨の例文が、私がフェィスブックに転載し、佐久総合病院医師の色平哲郎氏がインターネットに転載した記事と全く同一のものであることに、少なからず驚かされた。そしてうれしかった。私は転載する時に、権力からにらまれる要素となるという脅えはあった。それでも、掲載したのは、東京新聞の以下の記事はそうとう勇気を奮って記者名を入れて書いた東京新聞の記者の勇気にみならうものがあったからだった。
以下の記事である。再掲する。
--------------------------------------------


 3月11日付東京新聞「不安倍増」略して「安倍」?

人間のすることとは思えない行為を、さも平然と行う。中東や北アフリカでの過激派組織の蛮行は冷酷非道、無慈悲といった言葉しか見つからない。

 しかし、この一見平和に思える日本においても、忍び寄る不気味な不安を感じる。軍靴の音が近づいてくるような、暗い時代に向かっていく恐怖である。その正体は無論、現政権がつくり出す危うい雰囲気による。

 「決めるのは私だ」「この道しかない」などと異論を許さず、道理や機微が通じない。狡猾(こうかつ)で専制的。首相は昨年十一月の衆院解散を消費税増税先送りを問うためと言った。アベノミクスが争点とも強調した。なのに選挙の大勝が判明した途端、安保法制を含む政策全般が「国民の信を得た」と言ってのけた。

 そんな詭弁(きべん)は子どもの教育に悪いからやめてほしいが本人は本気のようだから恐ろしい。一内閣の判断で戦争への道を暴走しているかのごとくだ。このままでは国防軍になった自衛隊が他国や武装勢力と戦火を交え、血が流れる。若者らに犠牲が出る。過激派の憎悪を煽(あお)り、日本が、国民がテロの標的になる。

 3・11から四年。「汚染水はアンダーコントロール」と東京五輪招致活動で国際社会に大うそをついてからも一年半。事態は改善しないのに原発再稼働、原発セールスである。息苦しさの中で戯(ざ)れ言が聞こえた。「不安倍増」、略して「安倍」だと-。 (久原穏)

------------------------------------------------
小生wrote
 いまこうして書いてる部屋でシンガーソングライター・フォークシンガー横井久美子さんの歌が流れている。「おいで一緒に」という歌である。チリ合法的社会主義政権のアジェンデ大統領が軍部クーデターによってピノチェト将軍後の大統領に虐殺された。その頃にチリには詩人パブロ・ネルーダがいた。ネルーダが詩を書き、 ディナ・ロットが曲をつけた「山と川」を日本のフォークシンガー笠木透が訳詩した。日本では横井久美子が「おいで一緒に」と題して歌い、横井さんはなんと御自分の長期継続したミニライブら「おいで一緒に」コンサートと名付け、今年2015年の五月から再開する予定と聞く。

おいで一緒に

【作詞】パブロ・ネルーダ Pablo Neruda
【作曲】ディナ・ロッド
【訳詞】笠木 透

 私の国には 山がある
 おいで一緒に わたしたちと
 私の国には 川がある
 おいで一緒に わたしたちと

1.山にのぼるのは 悲しいから
  おいで一緒に わたしたちと
  川をくだるのは 淋しいから
  おいで一緒に わたしたちと
  
  私の国には 山がある
  おいで一緒に わたしたちと
  私の国には 川がある
  おいで一緒に わたしたちと

2.苦しみばかり 続くとも
  おいで一緒に わたしたちと
  私と同じ あなたたち
  おいで一緒に わたしたちと
   
  私の国には 山がある
  おいで一緒に わたしたちと
  私の国には 川がある
  おいで一緒に わたしたちと

3.この闘いは きびしいだろう
  けれどあなたは 行くだろう
  この生き方 きびしいだろう
  けれどあなたは 行くだろう
   
  私の国には 山がある
  おいで一緒に わたしたちと
  私の国には 川がある
  おいで一緒に わたしたちと

  おいで一緒に わたしたちと

============================
小生wrote

この歌に流れる共同体への人間的情感は、国家Statementへの愛国心ではなく、共同体としての「くに」Landへの愛着であり人間の本源的共同性に根ざす連帯感である。同じことは、笠木透が作詞して田口正和が作曲した「わが大地のうた」にも全く同一の連帯感に満ちている。
笠木透+我夢土下座がうたう「わが大地のうた」
https://youtu.be/3LkUp8ucl8s

 私たちは、安倍晋三閣下の暴政にカッカとせずにはおられない。けれど、私たちが草の根から滲みわたる大自然の摂理に沿って、連帯と友愛の感覚に立脚して日常を暮らすならば、必ず人間的自然の摂理に逆らって暴政を続けることを阻止しうる。国家の愛国心は人工的策略で一時的に成功することがあるかも知れない。けれど、郷土の自然が人間に喚起する連帯感は、どんなに阻止され破壊されても、再び再建される性質の人間的情感である。