小林多喜二と市田忠義の『党生活者』
櫻井智志
■市田忠義さんの「共産主義的人間像」に感銘
一時老齢化がすすみ、青年層が減少し続ける日本共産党に党外の支持者からも危機感が募った。それがうそのように、東京都の吉良佳子さんや池内さおりさん、大阪の辰巳孝太郎さんなど溌剌とした青年層が国会議員に当選している。
ただ何か私には気になることがあった。原子物理学の専門家吉井英勝さん、国会質問で私が私的に感嘆した議員、名前が思いだせないが、それらの方々の議員引退発表に驚いた。今回の市田さんの引退にも驚きを感じた。
しかし、市田忠義さんの自らのお考えをブログで読み、疑問は一応解決するとともに、さらにそれ以上の感銘を受けた。党の先頭に立つ指導部の志位和夫委員長、山下芳生書記局長、小池晃副委員長らは、私心なく実に明快で実行力のある指導者であることを前提として、述べたい。
私が市田忠義さんの文章から感じたものは、まさに学生時代一、二年の時に読んだ小林多喜二の小説に感じたと同質の感触といえる。私は映画『小林多喜二』も見た。映画は、いまひとつ焦点化されていない気持ちが残ったが、ロシア革命からソ連共産党解党にいたるまでの同世代に、理知と無償の献身に徹した共産主義者たちを、私は決して否定的には思わない。同時代に精一杯時代と向き合った共産党員たちの生き方に、人間である以上完璧などあり得ないけれど、深く敬意を表したい。
市田忠義さんの演説は、奇をてらったり修辞をちりばめた演説とは異なる。演説の内容そのものが市田さんの腹の底から聴衆の胸に響いてくる。その実直な誠実さに、市田さんが生きてきた日本共産党員としての生き方そのものが滲みでている。
市田さんが演説されたのを聞いたのは、神奈川県の国会議員選挙応援の時だった。動画でも視聴した。議員を引退されるのには、さまざまな事情があるのだろう。それよりも、このような民主主義を体得している人物が、日本共産党の党員であるという事実が、どれだけ日本共産党にとって有益であり、その真価を広く世間に知らしめていることだろう。
長くなった。市田忠義さんご自身の文章をぜひお読みいただきたい。
■市田忠義さんのブログから
·
参議院比例候補の発表
1
昨日の山下芳生書記局長の記者会見で、来夏の参議院選挙・比例代表候補7人が発表されました。九州・沖縄を中心的な活動地域とするもう一名もまもなく発表されます。現職、元衆議院議員、元地方議員、若手の党幹部など多士済々です。
私は今期をもって勇退することになりました。選挙時には73歳、もう一期となれば79歳になります。長い間のご支援ご協力にここらから感謝申し上げます。任期いっぱい全力をあげて頑張ります。身体はいたって元気です。議員は勇退しても、次期党大会までは副委員長の任務もあります。私たちの世界に引退はありません。どんな部署にあっても初心を忘れず社会変革とそのための党作りに力を尽くすのが日本共産党員の生き方だと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。米子遊説のため、いま羽田です。明日は千葉・市川、明後日は、NHK日曜討論の後、藤沢、一日置いて長野。まだまだバリバリ頑張ります。
2
来夏で私は議員を辞める。十分なことをやって来れなかったので、申し訳ない気でいっぱいだ。ただ誰もがそうであるように、我々は、議員になりたいために日本共産党員になったわけではない。
「国民が主人公」の新しい日本をつくる、搾取も抑圧も戦争もない、真に平等で自由な共同社会を作ろうと決意して、入党した。党はオーケストラのようなもの。指揮者だけではいい音は出ない。ヴァイオリンがあり、ビオラ、チェロ、コントラバス、オオボエ、クラリネット、シンバル……等々、様々な楽器があってこそいいハーモニーが奏でられる。部署は違っても、みんな大事な役割をになっているのだ。議員もいれば、党の専従職員として、選挙、政策、宣伝、党建設、財政、の任務を分担する人もいる。職場で仕事をしながら、あるいは、医者、弁護士をしながらその分野でみんなの信頼を得つつ、党の影響力を広げているという人もいる。
文化や学術の分野で頑張る人もいる。
それらの全てが意味を持っている。貴重な宝のような任務、活動、仕事なのだ。私自身について言えば、働きながら学んだ二部学生の頃に入党した。だから学生支部の経験がある。仏教系の大学の図書館で10年近く働いていたので職場支部の活動もした。その時労組を結成し書記長をやったこともある。地区委員会、府委員会、中央委員会でも専従者として仕事をさせてもらった。そしてはからずも、全く自分には向いていない国会議員になることを要請され、1998年から参議院議員を務めている。
どの部署にも貴賎はない。責任の重さに若干の軽重はあったとしても。だから年齢上の理由で、後進に道を譲ることになっても、これまでと気持ちに全く変化はない。どんな部署にいようと、黙々と、地の塩となって頑張る。それが共産党員の生き方だと思う。
任期いっぱい議員の任務を全うしつつ、副委員長として、一人の共産党員として、誠実に任務に励みたいと決意している。他の議員党との違いもそこにある。議員は大事だが、議員だけが全てではない。
勇退が発表されてそんなことを考えた。
=================================
市田さんのお気持ちを生かすためにも、迫る統一地方選挙と来年の参院選で、日本共産党の大規模な前進を国民的支援で実現させたい、非党員の無党派デモクラット、統一戦線志向派の私でさえ切実に思う。
櫻井智志
■市田忠義さんの「共産主義的人間像」に感銘
一時老齢化がすすみ、青年層が減少し続ける日本共産党に党外の支持者からも危機感が募った。それがうそのように、東京都の吉良佳子さんや池内さおりさん、大阪の辰巳孝太郎さんなど溌剌とした青年層が国会議員に当選している。
ただ何か私には気になることがあった。原子物理学の専門家吉井英勝さん、国会質問で私が私的に感嘆した議員、名前が思いだせないが、それらの方々の議員引退発表に驚いた。今回の市田さんの引退にも驚きを感じた。
しかし、市田忠義さんの自らのお考えをブログで読み、疑問は一応解決するとともに、さらにそれ以上の感銘を受けた。党の先頭に立つ指導部の志位和夫委員長、山下芳生書記局長、小池晃副委員長らは、私心なく実に明快で実行力のある指導者であることを前提として、述べたい。
私が市田忠義さんの文章から感じたものは、まさに学生時代一、二年の時に読んだ小林多喜二の小説に感じたと同質の感触といえる。私は映画『小林多喜二』も見た。映画は、いまひとつ焦点化されていない気持ちが残ったが、ロシア革命からソ連共産党解党にいたるまでの同世代に、理知と無償の献身に徹した共産主義者たちを、私は決して否定的には思わない。同時代に精一杯時代と向き合った共産党員たちの生き方に、人間である以上完璧などあり得ないけれど、深く敬意を表したい。
市田忠義さんの演説は、奇をてらったり修辞をちりばめた演説とは異なる。演説の内容そのものが市田さんの腹の底から聴衆の胸に響いてくる。その実直な誠実さに、市田さんが生きてきた日本共産党員としての生き方そのものが滲みでている。
市田さんが演説されたのを聞いたのは、神奈川県の国会議員選挙応援の時だった。動画でも視聴した。議員を引退されるのには、さまざまな事情があるのだろう。それよりも、このような民主主義を体得している人物が、日本共産党の党員であるという事実が、どれだけ日本共産党にとって有益であり、その真価を広く世間に知らしめていることだろう。
長くなった。市田忠義さんご自身の文章をぜひお読みいただきたい。
■市田忠義さんのブログから
·
参議院比例候補の発表
1
昨日の山下芳生書記局長の記者会見で、来夏の参議院選挙・比例代表候補7人が発表されました。九州・沖縄を中心的な活動地域とするもう一名もまもなく発表されます。現職、元衆議院議員、元地方議員、若手の党幹部など多士済々です。
私は今期をもって勇退することになりました。選挙時には73歳、もう一期となれば79歳になります。長い間のご支援ご協力にここらから感謝申し上げます。任期いっぱい全力をあげて頑張ります。身体はいたって元気です。議員は勇退しても、次期党大会までは副委員長の任務もあります。私たちの世界に引退はありません。どんな部署にあっても初心を忘れず社会変革とそのための党作りに力を尽くすのが日本共産党員の生き方だと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。米子遊説のため、いま羽田です。明日は千葉・市川、明後日は、NHK日曜討論の後、藤沢、一日置いて長野。まだまだバリバリ頑張ります。
2
来夏で私は議員を辞める。十分なことをやって来れなかったので、申し訳ない気でいっぱいだ。ただ誰もがそうであるように、我々は、議員になりたいために日本共産党員になったわけではない。
「国民が主人公」の新しい日本をつくる、搾取も抑圧も戦争もない、真に平等で自由な共同社会を作ろうと決意して、入党した。党はオーケストラのようなもの。指揮者だけではいい音は出ない。ヴァイオリンがあり、ビオラ、チェロ、コントラバス、オオボエ、クラリネット、シンバル……等々、様々な楽器があってこそいいハーモニーが奏でられる。部署は違っても、みんな大事な役割をになっているのだ。議員もいれば、党の専従職員として、選挙、政策、宣伝、党建設、財政、の任務を分担する人もいる。職場で仕事をしながら、あるいは、医者、弁護士をしながらその分野でみんなの信頼を得つつ、党の影響力を広げているという人もいる。
文化や学術の分野で頑張る人もいる。
それらの全てが意味を持っている。貴重な宝のような任務、活動、仕事なのだ。私自身について言えば、働きながら学んだ二部学生の頃に入党した。だから学生支部の経験がある。仏教系の大学の図書館で10年近く働いていたので職場支部の活動もした。その時労組を結成し書記長をやったこともある。地区委員会、府委員会、中央委員会でも専従者として仕事をさせてもらった。そしてはからずも、全く自分には向いていない国会議員になることを要請され、1998年から参議院議員を務めている。
どの部署にも貴賎はない。責任の重さに若干の軽重はあったとしても。だから年齢上の理由で、後進に道を譲ることになっても、これまでと気持ちに全く変化はない。どんな部署にいようと、黙々と、地の塩となって頑張る。それが共産党員の生き方だと思う。
任期いっぱい議員の任務を全うしつつ、副委員長として、一人の共産党員として、誠実に任務に励みたいと決意している。他の議員党との違いもそこにある。議員は大事だが、議員だけが全てではない。
勇退が発表されてそんなことを考えた。
=================================
市田さんのお気持ちを生かすためにも、迫る統一地方選挙と来年の参院選で、日本共産党の大規模な前進を国民的支援で実現させたい、非党員の無党派デモクラット、統一戦線志向派の私でさえ切実に思う。