翁長沖縄県知事の深い思索と高度の戦略
~翁長雄志著『戦う民意』(角川書店刊2015年12月出版)を読む~
櫻井 智志
壮絶な一冊である。
政治家一家に生まれた翁長氏は、保守政治家の家柄に育ち、幼い頃から沖縄の現実を見つめつづけてきた。那覇市長を歴任され、沖縄県知事選挙で見事当選して、オール沖縄の牽引役として日本是全体の刷新に貢献し続けている。
胃がんで切除し、余命について医師から宣告された後に、翁長氏は幼い頃から差別され続けてきた沖縄県民の実態を見つめ続けてきた。差別は、日本本土からの差別とアメリカ軍・アメリカ政府からの二重の差別である。沖縄の差別の過酷な実態は、薩摩藩の琉球処分、明治政府の沖縄の露骨な差別政治、戦時中の日本政府と日本軍からの差別である。唯一陸上戦の熾烈な戦場となった沖縄は、アメリカ軍からの爆撃とともに日本軍隊からも自殺のための手榴弾をひとつずつ渡され、「アメリカ軍兵士から陵辱される前に大和撫子の貞操を堅持せよ」の身勝手な自殺を命令された。世界各国に侵略していった日本軍は、自らが侵略地で行った現地女性への強姦などの暴力が露見することに脅えつつ、他国の軍隊も日本国軍兵士と同等としか認識できず、多くの無惨な沖縄県民への不幸をもたらした。
戦後も、沖縄は日本の延命のために、沖縄を犠牲にして、差し出した。米軍基地の横暴は、戦後七十年たっても一向に終わってはいない。1972年の沖縄返還では、佐藤栄作総理とアメリカ政府との間に密約がかわされ、ふたたび沖縄県民は日本政府によって、二重三重に差別政治の犠牲となってきた。
翁長雄志沖縄県知事は、幼いころから保守政治家の家庭に育ち、沖縄の実態とそれを克服しようと努力し続けた両親親族の政治家としての厳しい実践をも見つめ続けてきた。翁長氏は、「イデオロギーよりもアイディンテイーを」と唱える。琉球王国は、江戸幕府が鎖国を続けていた時代に、海洋国家として世界各国との豊かな貿易を続け、海外からの知識や文化も吸収して、見事な国家であった。
しかし、明治維新は沖縄を差別下におき、薩摩藩の琉球処分以降の沖縄差別・弾圧政策を続けた。翁長氏は、マルクス主義や社会主義の運動を見ながら、沖縄の解放は、沖縄が積年差別され続け、沖縄県民の自己証明を名誉ある回復をすることによって、県民が自らのアイデンテイテイーに目覚めて、アメリカ軍からも日本国家からも、差別し続けてきた存在から、沖縄県民自らの尊厳と誇りを自覚し、自分たちの足で歩きたい、そう訴え続けている。
保守とか革新とかそのような二分法では、とても解決しきれない長年の被差別から、思想信条の違いを超えて、沖縄県民全体の解放を願っている。翁長氏は、那覇市長時代も沖縄県知事になってからも、保守政治家として反対運動の先頭に立った。
翁長氏はこう述べている。
「生き証人」の証言は生きた教科書であり、歴史的事実そのものです。悲惨な集団自決の事実を次の世代にどう継承していくかが重い課題となっている中で、戦争世代の遺言を消し去ることはできません。正しい過去の歴史こそが未来を指し示す道しるべになるのです。
二〇〇七年九月二九日、保守と革新を超えた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が宜野湾市の宜野湾海浜公園で開かれ、怒りとともに立ち上がった一〇万人が集まりました。
このとき私は初めて保守の政治家として反対運動の先頭に立ちました。県内全市町村を代表して「絶対に歴史を曲げてはいけない」と文科省の検定意見の撤回を求め、結果的に一定程度の是正がなされました。
翁長雄志氏の著作には、このような歴史的事実と自らの生命を賭けて、沖縄県民を通して日本全体の解放への熱い思いと冷静な理性的熟考に裏付けられた思索に満ちている。貴重な自然環境を守り、人と人とが支え合う社会を願う翁長氏は、「しまくとぅば」(島言葉)「うちなーぐち」と呼ばれる琉球語、沖縄の言葉を大切にしている。ユネスコの規定で、単独の言語で保護対象にあたる「うちなーぐち」を、自分たちの言葉を復権し、大切に守り育てることが、人々の誇りと尊厳をはぐくむはず。その考えが、那覇市長時代も今の沖縄県知事になってからも「はいさい・はいたい運動」をおこない日常的に沖縄の言葉を使っていこうと
使い続けている。翁長氏は、その普及は懐古主義ではなく大変重要な意味をこめている。ぜひ読者は自ら読んでご確認いただきたい。
二〇一六年五月、六月は沖縄県の県議会選挙の告示と投票が行われる。私はこの書物、『戦う民意』において何を翁長知事は、考えてきたか、何を日本国民全体に伝えたいのか、ぜひご一読をお勧めする。できれば、沖縄県議選の前に読むと、壮大な「翁長沖縄県知事の構想」をしっかりと、ともに受け留めたい。