【現代思想とジャーナリスト精神】

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新潟県知事選の動向と「市民と野党共闘」連帯の課題

2016-09-29 19:27:07 | 政治・文化・社会評論
新潟県知事選の動向と「市民と野党共闘」連帯の課題
2016/09/29

              国民的統一戦線準備委員会
              提唱者    櫻井 智志


(*報道事実は、一貫性を考え、東京新聞の報道から転載したので、ひとつひとつ転載の出典は明示を控えた。「2 新潟原発」「5 自公が押す森民夫候補と原発政策」については、ウィキペディアを出典としている。)


1 新潟県泉田知事の立候補の意思と取りやめの背景
 新潟県の泉田裕彦(ひろひこ)知事(53)は三十日、十月十六日投開票の知事選に出馬しない意向を表明した。現在三期目の泉田氏は二月の県議会で、四選に向けて立候補表明していた。現職知事がいったん出馬表明しながら、撤回するのは極めて異例だ。
 泉田氏は報道各社に送った文書で、県が出資する第三セクター事業の問題点を指摘する地元紙「新潟日報」の報道などを批判し「このような環境の中では、十分に訴えを県民にお届けするのは難しい」とした。
 東京電力が目指している柏崎刈羽原発6、7号機(新潟県)の再稼働について泉田氏は「東電福島第一原発事故を検証しない限り、再稼働については議論しない」と厳しい姿勢を示してきた。泉田氏の不出馬は、柏崎刈羽の再稼働論議に大きな影響を与えそうだ。
 新潟日報社は「社としての見解は三十一日付朝刊の紙面ですべて明らかにします」とのコメントを出した。
 知事選を巡っては、全国市長会長の森民夫(たみお)新潟県長岡市長(67)が今月十日に出馬表明。泉田氏の県政運営を「独自の主張にこだわり、国や北陸各県、県内市町村との関係を傷つけてきた」と批判していた。


2 新潟原発(以下の出典はウィキペディア)
 2007年7月16日に最大の揺れ993ガルを観測した新潟県中越沖を震源とする新潟県中越沖地震が起こった。
柏崎刈羽原子力発電所内の運転中の全ての原子炉は緊急停止した。ただし運転を管理する中央制御室では数十秒間にわたり続く揺れのために計器の確認が出来ない状況であった。第一運転管理部長は構内を自動車で移動中に地震発生、3号機建屋からの発煙を発見、運転中の全機がスクラム(緊急停止)したと構内PHSで確認、3号機すぐ横の変圧器から出火を確認、延焼の可能性はないと判断して初期消火を他の職員に任せ、スクラム後の対応に全力を傾けるべきとして緊急時対策室のある事務所建物へ移動。ところが緊急時対策室入口ドアの枠が歪んでドアが開かなくなったために室内に入れず、駐車場にホワイトボード4~5枚を引き出して構内PHSで連絡を取り続けた。
3号機近くの変圧器火災の鎮火の過程
 全ての運転中の炉の中央制御室では、多くのアラームが鳴り続け、職員が対応に追われていた。3号機中央制御室でも100近くの異常を示すアラームに対応するために当直長ら5人の運転職員らは、変圧器火災の情報が知らされ、地元消防に通報を試みるが中央制御室に優先接続電話は無く、電話は繋がらなかった。3号機変圧器の火災現場では4人が消火を試みたが、消火栓の水は地震の影響でほとんど出ず、さらに緊急用の軽トラック搭載消火ポンプは失念していたという。自衛消防隊の招集も忘れていた。この時点で駐車場の第一運転管理部長は、「消火は出来ない」という連絡が入ったため、「地元の消防を待て」と指示した。周辺住民は外部からの携帯電話等の情報で発電所火災を知った。発電所から地元刈羽村への連絡は地震発生から1時間以上経っても無かった。新潟県庁にも詳しい情報は伝えられなかった。各自治体へ伝えられていた環境放射線の測定データも地震直後から途絶えていた。新潟県知事は最悪の場合を考え、地元自治体と住民避難の相談をはじめていた。地震発生から約2時間後の12時10分、非番からの呼集で原発へ駆けつけた5人の地元消防の手で3号機変圧器の火災は消し止められた。
炉心の冷却
 第一運転管理部長は、3号機と4号機の炉心をスクラム後に冷やす2つの装置の内の片方が停止していて、1つの装置で2つを冷やす事の判断を迫られた。3号機当直長は午後4時、内外気圧の差圧異常の原因が判明、3号機建屋壁面のブローアウトパネルが脱落していた事、すぐには建屋の気密を戻せない事、などを知らされ仮緊急対策本部の第一運転管理部長へ報告。同部長は炉心冷却を3号機優先と決定した。この時、6号機建屋内で微量の放射性の水の漏洩が発見された。本来、放射性物質を扱わないフロアでの発見に3回にわたる試験と調査が繰り返され、漏洩発見から6時間後に同部長へやはり放射性の水の漏洩であることが報告された。これは、後に上の階のプールの水が地震の揺れでこぼれたものが配線の隙間穴から階下へ流れたものであることが判明し、その一部は外部へ排水されたと判った。
翌日の朝6時54分にすべての炉心の冷却を終えて、安全な状態になった。
地震の影響
 この地震では、柏崎市で震度6強を観測したため、運転を行っていた2、3、4、7号機は自動で緊急停止した。原子炉・冷却用冷媒等の重要な機構からの外部への放射性物質の流出は確認されていない。また、3号機建屋外部にあるの所内変圧器から出火したが、地震から1時間57分後の12時10分に鎮火が確認されている。その他、低レベル放射性廃棄物の入ったドラム缶400本が倒れた。うち39本のドラム缶は蓋が開いており、床の1カ所で微量の放射性物質汚染が確認された。6号機の原子炉建物内において鉄製クレーンの駆動部が損傷していた事も分かった。
 以下に確認された放射性物質漏洩を記載する。
 6号機の非管理区域で、微量の放射性物質を含む水が漏れ出し、一部が放水口を通じて海に放出されていたことが確認された。東京電力は、これが、使用済み核燃料プールの放射性物質を含む水が原子炉建屋内の電線を通す管を通り下の階に流れ出たためであると報告した。
 7号機の排気筒からは18日夜までの間、放射性ヨウ素の放出が検出された。大気へ放出された放射能量はヨウ素が約3.12億ベクレル、粒子状放射性物質が約200万ベクレルで、これによる線量は1000万分の2ミリシーベルト(0.0002マイクロシーベルト)と算定されている。操作手順のミスのため、タービンの軸を封じる部分から、復水器内の放射性物質が排気筒に流れ出たことが原因と報告された。なお、排気によって、主排気塔放射線モニタおよびモニタリングポストに有意な指示は確認されていない。
 10月21日、点検中の7号機の原子炉建屋2階で、コンクリート壁にひびが入り、放射能を帯びた水約6.5リットルがしみ出しているのを、20日午後5時20分頃パトロール中の作業員が発見したと発表。水は幅約0.1ミリ、長さ約3.5メートルのひびから漏れていた。この時点で採取した水からは放射能は検出されなかった。しかし、21日午前6時段階で再採取し検査したところ、250ベクレルの放射能(ラドン温泉の約30立方cmに相当)が検出された。東京電力は、使用済み燃料プールが損傷している可能性の他、地震時にプールから溢れた水がひびを伝わって出てきた可能性なども含め原因を調査するとしている。施設内部は地震発生から5日後の7月21日には報道機関などに立ち入りが許可され、公開された。
IAEAによる調査
 国際原子力機関(IAEA)のモハメド・エルバラダイ事務局長は、地震発生後に調査協力の用意があると表明。日本政府はIAEAに調査団の受け入れを当面見送る意向を伝えたが、泉田裕彦新潟県知事は7月21日、「IAEAの調査が必要だ」との考えを表明。原子力安全・保安院はIAEAの調査を受け入れると7月22日に発表した。8月14日にIAEAは予想より被害は少ないとの報告を行っており、同機関による事故評価レベル0から8で「0」である。
設計時の予想を超えた加速度
 東京電力から発電所本館に設置されている地震計の記録が発表されており、それによると観測された記録は、耐震設計時の基準加速度を上回っていた。
 その後、3号機タービン建屋1階で2058ガル(想定834gal)、地下3階で581ガル(想定239gal)、3号機原子炉建屋基礎で384ガル(想定193gal)を観測したとの発表もなされた。
柏崎市の緊急使用停止命令
 こうした地震の影響を受け、会田洋・柏崎市長は、東京電力に対し1-7号機のすべての貯蔵タンクなどを対象として、消防法に基づく緊急使用停止命令を出した。また、経済産業省も同社に対して、耐震安全性が確認できるまで、原子炉の運転を再開しないよう指示を出した。
風評被害の発生
 今回の地震では放射性物質の漏れは健康に問題があるとされる量を遙かに下回っているとされるが、たび重なる報道により、観光・漁業・農業などで「買い控え」がおきると言った二次的な風評被害が発生している。さらには2007年7月26日から8月まで秋田、静岡、千葉の3試合を日本で行う予定だった、セリエAのカターニアは、放射性物質の流出を理由に日本遠征を中止した。泉田裕彦新潟県知事は「日本全土が放射能に包まれているような報道が海外でなされ、サッカークラブの来日中止どころじゃない甚大な風評被害が生じている」と語っている。地震後の優先順位は電源確保が最優先され変電機の火災(煙)に対する消火は地震発生時全体に比べ危険度は微々たるものであったが、媒体などで煙をあげる変電機の映像を繰り返し、正確さよりも事故の危険性を煽ることを中心とした報道がなされた。



3 安倍総理の原発政策
  安倍晋三首相は九月二十九日午前の参院代表質問で、核燃料を再利用する「核燃料サイクル」計画について「高レベル放射性廃棄物の管理を安全にし、資源を有効に利用する観点から必要だ」と述べ、維持する方針を強調した。原発の再稼働も「エネルギーの安定的かつ低廉な供給と気候変動問題への対応を同時に実現するためには、原子力は欠かすことができない」と、今後も進める考えを示した。
 これが安倍総理の最新の原発政策と見てよいと思われる。全国の原発とその再稼働を安倍晋三総理の政策が、各自治体の判断を上回る執行権力として左右している。



4 現在の新潟知事選立候補者
  任期満了に伴う新潟県知事選(29日告示、10月16日投開票)に、民進党新潟5区総支部長の医師米山隆一氏(49)が出馬する意向を固めた。共産、社民、生活3党の働きかけに応じた。3党が推薦し、無所属で立候補する見通し。複数の関係者が23日、明らかにした。午後に記者会見して表明する。
 知事選を巡っては、現職の泉田裕彦知事(54)が8月末、4選出馬を撤回。立候補を表明していたのは前長岡市長の森民夫氏(67)だけだったが、告示直前にようやく選挙戦の構図が固まった。米山氏を巡っては、3党が9月17日、民進党新潟県連に擁立を要請。民進は、自主投票を決めていた。
  新潟知事選立候補者(届け順)
三村 誉一みむら よいち  70 元団体職員  無新
森  民夫もり たみお   47 元長岡市長 無新=自公
米山 隆一よねやまりゅういち49 医師     無新=共生社
後藤 浩昌ごとう ひろまさ 55 行政書士   無新




5 自公が押す森民夫候補と原発政策(*ウィキペディア)
「前説」(泉田知事に出馬の意思があるにもかかわらず、本人が生命の危機感を感じるような状況が知事を囲んだ。森民夫氏は、以下に示すような高学歴・市長歴・全国市長会長・北川正恭氏発起人の「せんたく」の発起人など、政治家として新潟県知事を、自民党公明党にとどまらず民進党や社民党も推す他の県知事候補のようなキャラクターももつと想定しうる。)
 新潟県長岡市生まれ。長岡市立四郎丸小学校、長岡市立 南中学校、新潟県立長岡高等学校、東京大学工学部卒業。東大卒業後、民間の設計事務所を経て、1975年に建設省に入省した。建設省では東京ドーム建設計画に関わり、また兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)では建築物危険度判定支援本部長を務めた。1995年からは2年間、中華人民共和国に住宅の建築技術の指導のために派遣されている。1997年に建設省を退官し、故郷の長岡市に戻った。
 1999年11月、長岡市長選挙に無所属で出馬する。前市長の日浦晴三郎の任期途中での辞職に伴う市長選では、日浦の後継候補である大原久治も出馬したが、699票の僅差で森が大原を破り、初当選を果たした。なお出馬に際しては主な政党の支援は受けず、高校の同級生やボランティアによる草の根運動的な選挙戦を展開した。そのため長岡市議会は事実上のオール野党体制であり、森は当初は各会派に対し、等しく距離を置く姿勢を取っていた。
 1期目は、日浦前市長時代のバブル景気に乗ったスペースネオトピア事業等の失敗により、悪化した長岡市の財政再建に奔走。2003年の長岡市長選挙では無投票で再選された。長岡市長が無投票で再選されるのは、戦後初の出来事であった。
2期目の途中、2004年6月に平山征夫新潟県知事が、10月の県知事選への不出馬を表明。このため森が保守陣営の有力候補の1人に目され、本人も知事選出馬に意欲を示していたが、新潟県内の首長や県議、財界人で構成された「新しい新潟県知事を考える有志の会」(座長・小川竹二豊栄市長)が特定候補の推薦を見送り、自由民主党や公明党は、民主党の渡辺秀央参議院議員が推した経産官僚の泉田裕彦の推薦を決定。なおかつ長岡市は市町村合併を間近に控えていたため、森は8月23日に知事選不出馬を表明し、その後2005年4月、2006年1月の2回にわたり、周辺9市町村が長岡市に合併した。
 知事選直後の2004年10月23日、新潟県中越地震が発生。就任したばかりの泉田裕彦知事らが対応に追われる中、森が建設省の官僚だったころに兵庫県南部地震の復興に関与した経験が役立つ結果になった。しかし、長岡市は財政的な余裕に乏しく、兵庫県南部地震に比べ国からの支援が少なかったため、市長2期目はほぼ、震災からの復興に追われて終わった。
 2006年12月、地元後援会「志民の会」を結成し、長岡市選出の保守系県議会議員や財界人が多数参加した。2007年11月、長岡市長選挙で日本共産党推薦の宍戸末雄をトリプルスコアで破り、3選を果たす。しかし、市民の間で反対の声が根強い長岡市役所の長岡駅前への移転に反対する宍戸も2万票を上回る票を獲得した。長岡市長選挙で、共産党単独推薦の候補が2万票以上の票を獲得したのは初めてであった。ただし、移設については市長選が行われる以前に、長岡市議会で可決されている。
 2008年1月、元三重県知事の北川正恭が発起人代表を務める「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合(通称「せんたく」)」に参加し、発起人に名を連ねる。知事が多い発起人の中で唯一の市長であった。2008年3月、同会の設立総会で市町村長の世話人・幹事に就任した。
 2009年、全国市長会会長(第28代)に就任。就任にあたり、挨拶で河井継之助や小林虎三郎ら、郷土の長岡が輩出した先人の取り組みを紹介しながら、地方分権の推進に全力を尽くしていく所信を述べた。
2011年11月に4選、2015年11月に5選を果たす。
 2016年8月4日、知事選出馬で調整。8月5日、東京電力柏崎刈羽原子力発電所の再稼働に前向きな一部の県議から支援を受けると報道された。 8月6日、首長有志が森氏に知事選出馬要請。8月8日、知事選出馬へ10日表明。森民夫氏の出馬に期待感 国定三条市長。8月10日、知事選出馬を正式表明。
「この稿 後書き」(だがどんなに優秀な人材であっても、県民の生命と暮らしを十二分に保障する知事でなくては、「破滅のための優秀」ならば意味がない。東電柏崎刈羽原発再稼働に積極的な県議や首長有志からの推薦を受けて立候補するということは、自分がどんな政治的立場に立つか自覚あってのことだ。原発に関して言えば、原発再稼働の切り札として登場したことを見逃せない。)




6 私たちは何ができるか
 今回の泉田知事の自らは望まぬ辞退は、森民夫候補ひとりで他に立候補なし、無投票当選、自公直系知事誕生というシナリオ。そのもくろみを打破したのが、生活の党で活躍し、参院選新潟選挙区野党統一候補に無所属で立候補、見事激戦を勝利した森ゆうこさんをはじめとする野党共闘の生活の党、社民党、日本共産党の皆さんと、参院選でも支えた市民連合など市民たちだった。そして、民進党を離党して、野党統一候補の重責を担って勇気ある立候補なされた医師の米山隆一さんの意志である。
米山隆一公式ホームページ
http://www.yoneyamaryuichi.com/
すでに米山隆一さんは、ホームページを開き、着々と10月16日日曜日の投票日を見据えて照準をあわせている。
①私たちは、「新潟知事選」を「原発拡大・核兵器路線」か「原発廃棄・核兵器廃絶路線」かの選択肢として提案しよう。
②私たちは、「下からの新潟県民のこえを生かす新潟県政の推進」か、「安倍政権直系の物言えぬ沈黙の圧力で知事さえ言論圧迫の新潟県」か、選択肢として提案しよう。
③あとは自らが考え、米山隆一さんに迷惑とならない全国市民勝手連として、 個人もグループも団体も創意工夫をこらして応援しよう。
そしてさらに
④新潟「原発選択選挙」と自らの足元の課題をむすびつけてとり組もう。たえば、沖縄県民の反基地闘争は、それ自体が新潟の戦う県民の勇気となるだろうし、新潟県民の勇気ある米山隆一さんを知事に押し上げる選挙闘争は、沖縄県民の心にはりあいとなって共鳴することだろう。
最後に:
「国民的統一戦線への探求」が「国民的統一戦線準備委員会」とはじめて新たな名称を使っていることに一言だけ述べたい。
ほとんど組織的現実的組織とはよべない実態だが、「インターネット老人党」や「全国おばちゃん党」もそうだったろうと推測するのだが、安倍政権とそれを支持する全体主義勢力は、個人として言論を展開することに恐怖と圧力を感じさせる。それでも、言うべきことは言おうと決意した。それが新潟県の「市民と野党共闘」の皆さんの努力と米山隆一さんの勇気を知り、ここでも呼応する事を決意した。
具体的に選挙闘争に意義のあるくふうを提案し続けよう。「準備委員会」提唱者とは、以上のような内容を示している。「・・の探求」が改名したのではなく、「探求」の過程で、実践概念でなければ意図が伝わらないときは、さらに考える。

*写真は公式ブログより米山隆一さんの写真