【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

戦後精神の再生を探る鈴木正氏の労作 櫻井 智志

2018-12-02 21:03:24 | 社会・政治思想・歴史
2012年4月15日

『戦後精神の探訪―日本が凝り固まらないために』
 本書は歴史、人物、思想の三章から成立している。そのいずれも独創的な着眼点から思想を見つめ、堅苦しくない語り口の文体で、新鮮な思想史学を読者に提供している。中でも私には、第二章の「人物」編が強く印象に残った。

 梅本克己、芝田進午、古在由重、尾崎秀實、小林トミ、中江兆民研究者、安藤昌益研究者、白鳥邦夫、栗木安延、石堂清倫、家永三郎、藤田省三、土方和雄、江口圭一、高畠通敏などの広範で多岐にわたる人物についての叙述は、鈴木正ならではのものである。

 古在由重は、核廃絶問題に取り組み、原水禁と原水協との統一行動における大衆運動の実践をめぐり、日本共産党と対立した結果、除籍された。芝田進午は、胆管がんでご逝去されて偲ぶ会の席上、友人代表として挨拶に立った上田耕一郎から永年党員と賞賛された。日本共産党からすれば、一方は好ましい存在として、他方は党の方針と異なる行動をとった存在として、両者は百八十度異なる価値付けをされるかも知れない。

 だが、芝田は古在由重を戸坂潤とともに、戦前に独創的な世界レベルの唯物論哲学を築き上げた実践的唯物論者として尊敬していた。

 鈴木正は、古在由重が戦時中に日本共産党員がすべて獄中につながれ、党が壊滅した後で、京浜地域の工場労働者たちの秘密学習会のチューターとして、実質的な党活動を行ったことを紹介している。同時に、中国共産党が日本からの侵略下で、激しい弾圧に対して「偽装転向」として転向上申書を書いて獄中から出て、即刻反戦活動を行ったことを述べている。その偽装転向は、中国共産党の政治的高等戦略として、中央指導部からだされた極秘方針として広く浸透していった。古在由重は、二度転向の上申書を提出している。ところが獄から出て、古在は即刻コミンテルンのスパイとして逮捕されていた尾崎秀實を釈放するために、弁護士を探すことに奔走し、弁護士を探し出すことに成功した。結果は、尾崎秀實は釈放されることはあたわずに、日本人共産主義者として唯一死刑に処された。鈴木正は、古在の実質的な抵抗としての反戦党活動の意義を、戦時下の中国共産党の戦略と照らし合わせて意義を讃えている。

 梅本克己は主体的唯物論として、石堂清倫は構造改革派として、藤田省三も政治思想的問題でそれぞれ日本共産党からは除名や除籍されている。鈴木正は、この三者をレッテル貼りで済ますようなことはしない。とくに石堂清倫は、グラムシを日本に紹介した先駆者である。いわゆる運動戦に対置して陣地戦をグラムシは提起して、先進的資本主義国での革命の論理を提起した石堂の卓越さを、惜しむことなく讃える。そして、石堂清倫と同郷で先輩の中野重治をも視野に入れて論じている。藤田省三についても、丸山眞男の政治学を継承した政治思想史の碩学として、藤田の学問的人間的豊かさを描き出している。 

 「アテルイを知っていますか」という第一章の節では、桓武天皇の命を承けて東北地域「制圧」のために派遣された坂上田村麻呂によって滅ぼされた側の蝦夷の大将アテルイについて言い及んでいる。この節を読むと、歴史をどう見るかということを単眼でなく、複眼で見ることの鈴木の視座が明晰に伝わってくる。この見識も、2000年に京都清水寺の境内の墓碑の発見から始まっている。何気ない事物を虚心坦懐に見つめ、そこから思想史学を構築してきた鈴木の学問的方法論に、氏が青年の頃から学んできた思想の科学研究会での新たな学問的アプローチが体現されている。限られた紙数では語り尽くせない氏の、戦後史に題材をとった豊かな学問的発掘が本書には展開されている。

 鈴木は、こうも述べている。

「メールをすぐ送るとか、ワープロで打った習作か草稿程度の文章を他人(ひと)に見せるとか、近ごろははき出すことが多すぎてどうも念慮が足りない。どうせ大した調査研究でないから、あとで盗作や剽窃といった心配も一向にないらしい。じっと息を懲らさないと表現は彫?できないのに。携帯電話も同じで、ゆっくりする時間を奪う。ある友人は、恋人の間ではケイタイは監視機能を果たす凶器だ、とくさしていた」。

 この文章には、じっくりと考え、思想を熟成するような営みを軽んじて、電脳「文化」によって文化がculture「耕される」ものではなく、多機能映像機器の駆使としてしか扱われていない文明論的危機の表明が提起されている。インターネットと言語、思考、表現の根本的な問題の所在を現代人に明らかにしている。

いまを伝える「JNN-TBS『報道特集』2018.12.1」、今を模索する私たち   櫻井 智志

2018-12-02 00:12:07 | 政治・文化・社会評論

安倍総理は、日産問題で「政府が関わるものではない」と発言した。国会答弁においても、「委員会でお決めになることだ」「国会で決めることだから」「担当省庁で決めることだから」と言い訳する。だが安倍総理のとんでもない越権行為は過剰に多い。米中の対立で調整も求められているようだが、一時的にそのような体裁をとりつくろうだろうが、安倍氏の発想・思考・姿勢のどれも隷属国家指導者に終始する実際から言えよう、それは、無理。


本来、賃金は対自然の労働の対価だ。報道が伝えた「オーナー商法」のようなビジネス投資の流行には、経済不透明な長期閉塞に、わずかでも多くの財産を増やそうという不安心理の様子がくっきりとうかがわれる。「オーナー商法」を展開した企業が、倒産と不払い。経済大国の経済の実態にずっと翳りが見えて久しい。安倍首相は。産業と雇用の基本的再建に徹するべきだ。それを実現する姿勢も意欲も感じられないかぎり、この種の経済事犯は後を絶たないだろう。


❸ー犯罪にはしる若者・見守る支援者・再度のつまづきー
 不意に「北海道家庭学校」を思い出した。留岡幸助氏が創始した教護院は、戦前の教科研理論家だった大学教授留岡清男氏を後継として発展し、三代目の校長に谷正恒氏が着任した。谷正恒氏の記録『ひとむれ』は読者に感銘を与え、斎藤茂男氏の著作の映画『父よ母よ!』にも描かれた。広大で自然との格闘が家庭学校での若者への労役となる。労働そのもので人格陶冶を深める、谷校長の方針は実現し、若者は大きく変わる。

*映画『父よ母よ!』プレビュー4分03秒
https://www.youtube.com/watch?v=CkCg3bVBiOs

 番組が報道した黒川さんの献身的な若者支援。しかし犯罪をおこしつまづく若者。番組の報道は、そこにほっとする意外な様子を伝え深いメッセージを伝える。若者も高齢者も、年齢を超えて、多くのつらい人生で、それを支える理解者がいることで、再度たちあがることができる。そんな世の中になるように、少しでも私たちは・・そう胸に刻む思いがある。