【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

【色平哲郎氏のご紹介】「富を求めるのは、道を聞くため」 

2021-03-16 17:38:54 | 転載
「在日朝鮮人60万人の7割を占める2、3世にとって、日本で生きていく上で最大の問題が就職差別だ。高校を出て銀行、家電メーカーなど16回試験を受けたが全部ダメだった。大手カメラ会社の女子臨時工。何回本工採用試験を受けても合格しない。大学の酪農科卒で、乳業会社に就職希望。しかし結局実現せず、現在はパチンコ屋の支配人、、、こうした事例は無数にある。最新の法務省統計でも在日朝鮮人の有職率は25%、残りの75%は無職、あるいは半失業状態で、有職者の中で圧倒的に多いのは下層筋肉労働者、自家営業、運転手などである」

朝日新聞1971年1月13日 「ぼくは新井か朴か」 朴鐘碩

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在日コリアン・韓国出身留学生1000人 差別実態調査 日常に潜むヘイト、明るみに
毎日新聞2021年3月13日夕刊

目立つ「身近な人から」進む定着

 黒人差別に対する抗議運動「ブラック・ライブズ・マター(BLM、黒人の命は大事だ)」が盛り上がった2020年夏、日本のSNS上ではしばしば、「日本には米国のようなひどい差別はない」という声が上がった。だが、本当にそうだろうか。21年2月、ある民間団体の調査結果が発表された。日本の大学や高校に通う在日コリアンと韓国出身の留学生の若者1000人超に差別体験の有無を尋ねた実態調査だ。浮かび上がったのは、「ひどい差別はない」と言える多数派からは見えない日本社会の一面だった。【後藤由耶、塩田彩】

「言葉で嫌がらせ」3割

 調査は、日本の学校で学ぶ韓国籍と朝鮮籍の学生を支援する公益財団法人朝鮮奨学会(東京都新宿区)が、高校から大学院までに通う奨学生を対象に、19年12月~20年2月に実施し、直近3年に限って経験を聞いた。回答者は1030人で、在日コリアンを含む日本生まれが約8割だった。
 調査結果によると、在日コリアンであることなどを理由に「言葉による嫌がらせ」を受けたとする回答は30・9%。そのうち48・1%は相手が同級生など生徒・学生だった。さらに、アルバイト先の客(16・4%)や学校の日本人の教員(10・1%)など、身近な人からの被害が目立った。
 ネット上で民族差別的な表現を見たとする回答は73・9%に上った。差別的な書き込みや記事を見るのが嫌でインターネット利用を控えた人は、「よくある」と「ややある」だけで計23・7%。生活に欠かせないネット利用にも影響を与えている状況が浮かび上がった。
 ヘイトデモ・街宣について見聞きしたとする回答も75・7%にのぼる。店や交通機関、役所などの公共の場での嫌な思いや、アパートなど住宅を借りる際の差別的処遇は少なくとも計23・9%が経験していた。
 在日コリアンの若者たちは、周囲からどんな言葉をかけられているのか。自由記述欄から、その一端がうかがえる。「韓国に帰れ」「日本から出て行け」「チョン」……。これらはみな、学校の友だちや同級生など、同世代の日本の若者からかけられたという言葉だ。
 「日本人の教員から『北朝鮮のスパイなのか』と言われた」「彼女の父親に、民族学校に通った韓国人は危ないと言われた」「バイト先で、ネームプレートを見た客から『まともな日本語使えないのか』と言われた」など、大人からの被害も寄せられた。「通名(日本名)じゃないと雇わない」など、あからさまな就労差別も複数記されていた。
 差別的言動を受けた73%が「不快に感じた」、10・1%が「韓国人・朝鮮人である自分を嫌だと思った」と答えた。「日本人に生まれたかった」という自由回答もあった。ヘイト街宣などを見聞きした21・3%が、「日本で生活することに不安や恐怖を感じた」と答えた。
 調査を分析した法政大特任研究員の明戸隆浩さんは「周囲から直接、言葉や処遇の差別を受けた人は自己嫌悪感が高まり、ネットや街中でヘイト街宣を見た人は、日本社会の見方が悪化する傾向がある」と指摘する。
 朝鮮奨学会の権(クォン)清志(チョンジ)代表理事(63)は「学生たちは文字通り心から血を流していると思う。それでも一生懸命回答してくれた」と語る。
 在日コリアンの若者たちは、実際にこうした差別をどう受け止めているのか。記者は、学生たちに思いを聞いた。
 東京都内の大学に通う在日コリアンの女性(22)は、中学生の頃、自宅近くの駅でヘイトスピーチ街宣を目にした。好きな図書館に通う道だった。「在日から反日を取ると死んでしまいます」。拡声器でがなり立てられる言葉に、「反日じゃない私はもう死んでるのかな」と心の中で自嘲した。通行人の高齢男性が拍手するのを見て怖くなった。通っていた日本の高校では、生徒が「北朝鮮はくそだからテポドンで半島ごとなくなってしまえばいい」と話すのを聞いた。「ヘイトスピーチをする人は、『在日』というカテゴリーで、私みたいな、生身の人間とはかけ離れた像を思い描いているのかもしれない」と女性は語る。
 都内の大学院に通う在日コリアン女性(32)は、数年前にメディアの取材を受け、朝鮮半島がルーツであることがわかる本名で記事がネットに流れた。すると、SNS上には、女性を名指しして差別する言葉が並んだ。「お前らには参政権はないだろ」「正体を隠す気ないの?」「逮捕しよう」……。この時の体験をふまえ、今もSNSの書き込みには細心の注意を払う。「自分が在日であると特定されないような投稿を心がけています。攻撃されるのを知っているから」
 医療系専門学校に通う別の在日コリアン女性(21)は、教師の振る舞いが今も許せない。教師は細胞分裂について学ぶ授業で、女性の顔を見ながら、「韓国とか朝鮮も民族同士で分裂しているじゃない」と語った。自分の存在を否定されたような気持ちになった。仲の良い同級生から、冗談交じりに「まじお前韓国に帰れ」と言われたこともあった。
 20年夏、BLMを巡り、「日本には人種差別はない」という言葉がツイッター上を駆け巡った。同じ年の11月には、在日コリアンを含む外国ルーツの女性アスリートたちが、差別やいじめを受けながらもスポーツを通じて乗り越えようとする姿を描いたナイキのCMが話題になり、これに対して「捏造(ねつぞう)だ」「私の周囲に差別はない」という批判が殺到した。だが、調査結果や取材から見えてくるのは、日韓、日朝関係が硬直化する中、「嫌韓」感情が一部の極端な言説だけでなく一般市民の間に広がり、在日コリアンの若者たちを追い詰めている今の日本社会の有り様だ。
 ジャーナリストの安田浩一さんはこう語る。「特定の民族は出て行けとか、殺せとかいう言葉は、街頭の中で叫ばれる一部の過激化した特殊な言葉だった。でも今、その差別の言葉がどんどん標準言語として定着している。街頭やネットだけでなく、日常生活のあらゆる場で差別と偏見がすり込まれ、発出しているんです。これは日本人側が解決すべき問題です」

「許されぬ」共通認識を

 日本では16年、ヘイトスピーチ対策法が成立した。だが、理念法のため罰則はなく、ネット上の被害も対象外だ。今回の調査は、同法の施行以降初めての大規模な差別実態調査とみられる。同法では対応しきれない日常にひそむ差別を、どうしたらなくせるのだろうか。
 差別問題に詳しい師岡康子弁護士は「今回の調査で、民族差別、人種差別が許されないのだという共通認識自体が日本社会にないことが浮き彫りになった。包括的な差別禁止法を制定し、共通認識を作ることが出発点になる」と語る。ヘイト対策法施行から今年で5年。差別のない社会へ、一歩前に進みたい。

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日本と朝鮮-私たちが結婚するとき、どれだけさまざまなことが、そこにはあったことでしょう。結婚して七年間も、子供を持つことをためらったのも、そして生む時にあれこれ思い悩んだことも・・・・・・。どちらの籍に入れるかという問題も、いろいろ二人で相談の上、日本人である私の籍に入れることになり、「岡真史」という、日本人として育てることにしたのでした。そして、二人が、働きながら育てる過程は、同時に、その問題と向かい続ける日々でありました。もちろん、それらのことは、あの子の存在に、複雑な影を投げかけていたと思います。しかし父親は、あの子が四年生になった時、心をこめてそのことを話し、あの子も、それをちゃんと受けとめて理解しつつ成長して
いると信じていました。日常の家庭の会話の中でも、今のこのきびしい現実、父親の祖国の困難な状況は、かくされることなく、伝えられていました。
しかし彼は、このことについても、とうとうひと言も言いませんでした。詩の中にも出て来ません。でも、六年生卒業の春、まだ見ぬ伯父の家庭-に、ひとりでいってみたいと言い出した時の、断固たる態度とか、テレビや新聞で、韓国関係のことが出る時の、素知らぬ顔をしながら、しかもじっとそれを見る目つきとか-口に出して言わない分だけ、彼にとって大変なことなのだ、と私たちも思っていました。これから-そう、やっと大きくなって、これから朝鮮のことも、私たちの結びつきのことも、色々話せる、話し合える、そう思った矢先のことでありました。

岡真史詩集『ぼくは12歳』あとがき「悲しみのなかから」より「同行三人」

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「富を求めるのは、道を聞くため」 

そのむかし、米国シカゴ大学に、気骨あふるる日本人教授がいました。

「君! 君は経済、経済というが、つまり人間の心が大事だと、そういいたいのだね」
昭和天皇

「この(教皇の)部屋で私に説教したのは、あなたがはじめてだ」
ヨハネ・パウロ2世

この宇沢弘文教授のお人柄が結晶した講演とインタビューが新書になりました。

教育や医療・福祉を金もうけのネタと考えること著しい、そんな昨今の風潮に対し真っ向から猛反発しておいでになった教授の肉声を思いおこします。

水や大気、海、森林、公園、そして報道、なんでも金もうけの対象と考えるようだとさぞや心がゆがむことだろう、と爽快にいいきり、大切なのは理屈よりも人間が優先されてあることだ、と断じた教授。

「実は、(私の)社会的共通資本という考え方は、もともと市場原理(至上)主義への批判、あるいはオルタナティブ(代案)というのが出発点だったのです。」

「(つくばニュータウンを醜悪と断じ)だいいち、飲み屋が計画されていなかった。
笑われるかもしれませんが、これは案外大事なことで、教授や学生が「社交的な飲み物」であるビールを飲みながら語り合うような場は近所にないといけない。」

ゴシップ宇沢は座談の名手。
「ビールは良いなあ」
「のんでも、のんでも、よっぱらったりしないからネ!」
昼間からジョッキ片手に談論煥発。

「うらばなしのウザワ」、、、
そう自称するだけのことはあった。
本書「人間の経済」に満載されてあるおもしろ過ぎの話題で、いつも人気者。

ふしぎな魅力がかもし出され、ユーモアたっぷりの語り口にあっというまの数時間。
筋のとおった悪口雑言にも脱帽。
学会、官界、政界、、、世界中の有名人たちをボコボコにしながら、
「今だけ、カネだけ、自分だけ」といったおとこたちの嫉み、俗物ぶりを暴きまくる。

利益と「自由」を求めて暴走し「あらゆるものをカネに変えんと欲(ほっ)する」
市場原理至上主義への批判は冴えわたり、教授の洞察は21世紀を見通す。
市場原理至上主義の諸矛盾が世界全体で噴き出すいま、宇沢教授がおいでになったならどんなにか明快な反論の論陣をはられたことでしょう。

世のため、人のため、、、宇沢先生ほどこれを実践し得た方は稀かもしれない。
社会的弱者のために発言し、行動し、矛盾とたたかい、悩みぬいた。
結局のところ、個々人が主体的に動かなければ社会は健全にはならないのだ、と呟いた。

長身白髭の老教授から人類社会の未来に向けられたラストメッセージ。
これを評した教え子のひとり、経済学者ジョセフ・スティグリッツは、「ヒロ(宇沢教授)の話は30年後ぐらいにわかる」と。

3年前に他界した碩学の思いがユーモアとともに読む人々の胸に迫り来る本書は、新潮社の阿部正孝氏がとりまとめ、教授の「遺書」となりました。

「私は経済学者として半世紀を生きてきた。
本来は人間の幸せに貢献するはずの経済学が、実はマイナスの役割しか果たしてこなかったのではないかと思うに至り、がく然とした。
経済学は、人間を考えるところから始めなければいけない。
そう確信するようになった」ーー。

30年後にも読みつがれるロングセラーとして、特に若い医療人にお勧めしたい、
そんな晩秋の一冊。


書評「人間の経済」  色平哲郎

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(書評より)調査報道の高み。

常々、単に新しいだけの報道には何の価値も無かろうと思う。反面、歳月を経て誰もが事件を忘れ去った頃になって、まるで結晶のような素晴らしい報道に出会う事がある。ロッキード事件から 45 年を経て上梓された本書は、そのような価値ある報道の一つ。圧倒的な数の参考文献が、調査報道に費やした著者の苦労を物語る。
表題が示す通り、『ロッキード事件では田中角栄がスケープゴートになり、その影で闇に葬られた巨悪がある』というのが本書の主張。もっとも何を善とし何を悪とするかは難しい。キッシンジャーが問いかけたように、秩序なき正義と秩序ある悪のどちらが良いのかという事にもなる。長文を読み進めるうち、そうした正解の無い問いに、じっくり向き合う時間が生まれる。それこそが本書の価値かもしれない。私見ながら田中角栄は、日中国交正常化および中華民国との国交断絶という大きな失敗を犯したと思う。米国
より先に国交正常化した事が悪しき先例となり、中国の台頭時期を早め、また現在の中台問題に禍根を残した。その戦略的損失いかばかりか。

春名幹男「ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス」

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「貿易戦争とは、階級闘争である」。そんな題名の新著で注目される米国の経済学者がいま、中国にいる。米国と中国などとの間で続く貿易摩擦の根底には、各国の内部で広がる経済格差がある、という主張だ。どういうことか。米シンクタンク研究員で北京大学教授のマイケル・ペティス氏に聞いた。(聞き手・青山直篤=ワシントン)

――貿易戦争が階級闘争である、とは、どういうことですか。

「いまの世界経済は、各国が国内の働き手の賃金を競って引き下げ、輸出競争力を高め、貿易黒字を稼ごうとするという構造です」

「米中貿易摩擦で考えてみましょう。中国が貿易黒字になるのは米国より生産性が高いからではなく、賃金の伸びが低く抑えられてきたためです。中国人労働者に犠牲を強いているわけですが、重要なのは、中国からの輸入は米国の賃金水準への引き下げ圧力となって、米国の労働者も苦しめているということです」

敗者は米中の労働者たち…貿易戦争、真の勝者は誰なのか
聞き手・青山直篤=ワシントン 朝日新聞 2020年9月25日 11時00分

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貿易戦争は階級闘争である
Trade Wars Are Class Wars:
How Rising Inequality Distorts the Global Economy and Threatens International Peace

マシュー・C・クレイン、マイケル・ペティス著。
小坂恵理訳。みすず書房5月17日発行予定。

「ともに労働者層や中間層が負け、金融界や金融資産を持つ富裕層が勝つ。問題の本質は、それぞれの国内での格差と、それが引き起こす対立構造なのに、国家間の『貿易戦争』として認識されているのです」

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ヨーロッパにおいて航海術が発達していたと同じ頃、中国、日本でも従来のものとはちがった、
長い航海に耐える船が開発され、東シナ海を結んでその交易はかなり広くかつ敏速になっていった。
アジア大陸の東、三日月状にのびる日本列島の南端沖縄では、14世紀になって三山の分立から尚(しょう)家が統一して琉球国家を築き、中国の明、日本、そして朝鮮との国交を確立していった。
やがてその南海上の島であるという地理的な条件をきわめて有効に活用して、航海術の発達とともに南方へと進出していったのである。
それは、季節風を見事に応用したもので、まず中国福建省へ渡り、中国大陸に沿って南下し、タイ、マラッカ、ジャワ、フィリピンを通ってちょうど一周するかのようにして沖縄へと戻るわけである。
【第六章 インド更紗の渡来   染と織の歴史手帳 吉岡幸雄 1998年 111p】

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庶民の衣生活における革命的な変革は4つあった。
第一は古墳時代の終わりから飛鳥時代にかけて、中国大陸、朝鮮半島からの渡来人がより高い養蚕(ようさん)の技術をもたらし、綾、錦といった美しい織物や、絞り、臈纈(ろうけち)、板締(いたじ)めなどの染の技術を伝えたことである。

第二は桃山時代に木綿が移植され、江戸時代、主に西日本で普及しはじめたこと。
第三に明治の産業革命による織機の導入、そして昭和30年代の合成繊維と既製服の普及、つまり素材と技術のこの4つの大きな変化が、私たち日本人の衣の歩みの大きな変革期を作ったといえるだろう。

出羽織座(でわおりざ)を主催する山村清(ママ、正しくは、故・山村精まさし)さんは、高度成長期の昭和30年代半ば、ウールのきものや大量生産の絹布を扱うなかで、むしろ自分のこれからの仕事は、東北の山里にのこるいわゆる原始の姿を伝える布を扱うことではないかという思いが湧いてその方向を一転され、科、楮の太布(たふ)、麻などの伝統的な織物を復活させたそうである。
私との話のなかで、その山村さんがいみじくもいわれた。

「東北地方の山里では、古着の木綿一反と自分たちの織った麻布三反とを交換していたそうだ。
麻布三反というのは、女が一年かかってようやく織り上げるもの。
それでも、木綿を着たその喜び、昨日まで麻を着ていた人には、とくに冬の寒いときなどたまらないものだったろうね。
体にはぴったりとつくし、体型も美しく見える。
霙(みぞれ)混じりの日でも暖かく、乾きも早い。
たまらなく欲しいものだった。
嫁にくるとき、木綿何反もってきた? と姑に聞かれるほど。
それも古着ですよ」

今から200年あまり前の東北の人には、上方の京、大坂、あるいは江戸の木綿のある暮らしはどのように映ったのだろうか。
木綿に寄せる思いが木綿糸の刺子(さしこ)やこぎんになり、裂織(さきお)りになった。
裂織りとはくたびれきった木綿布を裂き、緯(よこ)糸にして織り込んだ厚手の布のことで、それほど大切に使ったわけである。
山村さんが東北の村々で見た裂織りには、麻のものは一点もなかったという。

はるか一千年以上もの昔から行なわれていた、自然が育んだ樹の皮、草の皮の繊維を裂いて手で績(う)み、糸にして座機(ざばた)にかけて布を織るという衣服の自給自足の生活は、木綿が広まるにつれて徐々にその姿を消し、寒冷地で木綿の生育に適さない東北や北海道、あるいは高地にある山里でも、産業革命や交通網の発達により、ゆるやかにではあったが木綿を着ることが浸透し、その機音は消えていったのである。

柳田国男のいう「木綿以前」、すなわち中世以前に日本の各地に満天の星のごとく点在した、
近在の山野に自生している草木を採集して皮を剥(は)ぎ、糸にして機にかけるという自然を纏う暮らしは、それから30年あまりを経た今も雲の合間よりほんのわずかに見える星のようではあるが、輝いている山里もまだまだ日本にはあるのである。

【第九章 原始布紀行   染と織の歴史手帳 吉岡幸雄 1998年 144p】

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お母さんが 車に はねられた
お母さんが 病院の れいあんしつに ねかされていた
お母さんを かそうばへ つれていった
お母さんが ほねになってしまった
お母さんを 小さなはこにいれた
お母さんを ほとけさまに おいた
お母さんを まいにち おがんでいる

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富めるものの 訴えは
石を水に入るが ごとくなり
乏しきものの あらそいは
水を石にいるるに にたりけり

親鸞

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「この感染拡大による好ましい副作用についても、恐れずに言及すべきだろう。忘れることのできない感染拡大のシンボルのひとつが、大型客船に幽閉された乗客たちである。私に言わせれば、ああいう卑猥な船とはついにおさらばだ、、、アミューズメントパークは、ゴーストタウンになった。すばらしい。ディズニーランドほど、退屈でばかばかしい場所はない。自動車製造業は深刻な影響を受けている。よろしい。マイカーへの執着を見直さざるを得なくなるだろう。他にも、いくらでもある」

スラヴォイ・ジジェク

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ミャンマー14日死者40人超か
2021年03月15日 12時11分 TBS

ミャンマー14日の死者は40人以上か 国連は「強く非難する」

 クーデターへの抗議デモが続くミャンマーでは、14日も治安当局の銃撃で40人以上が死亡したと伝えられています。事態の悪化を受け、国連特使は「強く非難する」との声明を出しました。

 ミャンマーでは14日も各地でデモ隊を狙った治安当局の銃撃が相次ぎ、地元メディアによりますと、最大都市ヤンゴンでは少なくとも39人が実弾で撃たれ死亡、多数の負傷者も出ているということです。犠牲者は全土で40人を超え、1日の死者数としてはクーデター以降、最悪となる見込みです。

 国連の事務総長特使は、声明で「流血が続いていることを強く非難する」とし、国際社会に「ミャンマーの人々と連帯しなければならない」と訴えました。

 一方で、軍は令状なしで逮捕などが可能になる戒厳令を、ヤンゴンの2つの地区に発令。弾圧はさらに強まるおそれがあります。(15日11:30)