【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

国民統一戦線政権樹立への基本的デッサン

2021-10-28 01:23:14 | 言論と政治
1⃣国民統一戦線政権の三層構造

①市民と共産社民れいわ等の共闘
②立憲民主党政権への国民立民共闘
③護憲保守勢力の結集

イタリア・オリーブの木のように段階的順次結集し、最終的に無理のないひとつの政権へ閣内閣外あわせて政権を構築する。


2⃣市民連合と4野党の協定
①憲法に基づく政治の回復
②科学的知見に基づく新型コロナウイルス対策の強化
③格差と貧困を是正する
④地球環境を守るエネルギー転換と地域分散型経済システムへの移行
⑤ジェンダー視点に基づいた自由で公平な社会の実現
⑥権力の私物化を許さず公平で透明な行政を実現


3⃣国民統一戦線政権の政策

Ⅰ「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」と4野党の協定を基本
Ⅱ合意を誠実に守る努力と国民本位の改善
Ⅲ政権綱領を急がず内容の充実と構成メンバーを互いに尊重
Ⅳ相互に相手の事情を考慮し敬意をいだくことで早急な独断を避ける

【色平哲郎氏のご紹介】夜の繁華街 訴えるタイ人女性 県下 駆け込み急増

2021-10-28 00:20:14 | 転載
【色平哲郎氏のご紹介】夜の繁華街 訴えるタイ人女性 県下 駆け込み急増



Jacob Burckhardt
ブルクハルトはまず、古代ギリシャ人の生活が神話といかに緊密に結びついていたかの叙述から始める。「自分たちの神話を自分たちの全存在の理想的基盤として最高の努力を払って擁護し、これを何がなんでも実際的な情況と結び付けた国民がいたのである」、、、
古代ギリシャ特有のポリスについての記述が刺激的である。ポリスなくしては高次のギリシャ文化は考えられない。

しかし、ポリスは、後にヨーロッパに出現したような都市国家と全く違う。そこに住む人々を強く拘束するのだ。市民は全存在をポリスに捧(ささ)げなければならない。
そして「市民は一般にそのすべての能力とあらゆる徳を国家(注・ポリス)の中で、また国家への参与を通して実現する」という訳である。
従って「個人が完全にポリスの一部に同化していないとき、たちまちポリスはその個人にとってこの上なく恐ろしいものとなる」。
これは現代の私たちの現実をも刺激して来ないだろうか。ブルクハルトのギリシャに対するアンビバレントな目がダイナミックな記述を生んで、光彩陸離だ。

ブルクハルト「ギリシア文化史」 読書 読売新聞 1991年9月2日


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夜の繁華街 訴えるタイ人女性 県下 駆け込み急増
支援団体 警察に 「国へ帰りたい・・・」 
「売春」「賃金」 救い求め

信濃毎日新聞 1991年10月3日

夜の繁華街で働くタイ人女性が2日までに、「売春を強要された。国へ帰りたい」と更埴警察署に助けを求めてきた。東京の外国人女性支援団体「HELP(ヘルプ)」にも、ここ1週間だけで、戸倉上山田温泉街で働いているタイ人女性5人が「売春を強要されている」「賃金が不当に低い」などと電話で訴えてきた。
HELPによると、県下からのこうした駆け込みは全国的にも最も多く、東南アジア人女性の増加とともに、人権侵害の深刻化を示している。


タイ人女性は1日深夜、電話で更埴署に助けを求めたため保護した。更埴市周辺のスナックで働いていたとみられる。
日本語をほとんど話せないため同署は2日、市内に住むタイ人主婦に通訳を依頼し事情を聴き始めた。

HELPに電話してきたタイ人女性5人は、いずれも今年に入って入国。スナックで働き、毎晩のように日本人男性を相手に売春しているという。
「経営者はお金をたくさんくれないのに売春させる」「男が監視していて逃げられない」
「経営者がパスポートを取り上げた」とし、帰国の手助けを求めている。

この夏には、小諸市で働いていた台湾人女性2人が東京都の福祉事務所に相次いで駆け込んだ。1人は手などに傷を負い、「ヤクザ監禁されていた」とおびえながら訴えた。

県下では最近、小諸市から長野市にかけてのJR信越線沿線を中心に夜の繁華街で働く東南アジア人、特にタイ人女性が急増。

タイ人女性を雇っている小諸市のスナック経営者は「東京に近いためか、小諸市内に定着した女性がボスになって国から友人たちを呼び寄せ、上田、長野方面の飲食店に送り込んでいるケースがある」と話す。戸倉上山田温泉街で働く東南アジア人女性は300から500人いるとの指摘もある。

長野市ではタイ人ホステスだけのスナックも増えている。

小諸市の別のスナックで売春をしているというタイ人女性は「タイのシンジケートで300万円を借金し来日した。借金を返すまでは売春を続けるしかない」と話す。
売春の料金をピンハネしている経営者も多い、という。

HELPに駆け込んできた外国人女性は、今年だけで199人。県下からの駆け込みが最も目立つという。HELPの松田瑞穂さんは「売春を承知で入国する女性たちにも問題はある。が、需要があるから女性たちが増えている。経営者や、女性を買う日本人は彼女たちの人権をどう考えているのか」と訴えている。


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福島で死んだフィリピン女性 「遺体に虐待の跡」 家族ら指摘 
朝日新聞 1991年10月10日

【マニラ9日=大野拓司】
福島県東白川郡塙町のナイトクラブで働いていたフィリピン人女性が、先月14日に同町内の病院で死亡し遺体で帰国したが、「虐待された跡がある」などと家族らから死因に疑問を投げかける声が上がり、比当局もこれを重視、トーレス労相が調査のため近く日本に行く。
フィリピン人労働者の就労状況一般についても関係当局と意見交換するという。

この女性はマニラ出身のマリクリス・シオソンさん(22)。9月7日に入院、1週間後に死んだ。病院側の死亡診断書だと、死因は「肝炎」とされる。だが、返された遺体を見た家族の要請で比司法当局が検視した結果では、頭部に陥没や大量の出血痕があり、何らかの理由による「頭部の外傷が死因」との見方をしている。

病院側は「診察、治療に誤った点はなかった」と話している。また、事実関係を調べた福島県警棚倉署も「病院の診断通り。不審な点はなかった」としている。


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私は、真の何々という言い方を疑わしく思っているんです。
いま自分が手にとっているこれが真理だ、これをこのまま受けいれよ
と人に突き付けてくるやり方になってくると、これは明らかにいろいろ
まずいことが起こるし、それはおとし穴です。
そうした知的伝統から離れようと、、、

1995年4月、記念講演「思想の科学50周年に向けて」にて 鶴見俊輔さん 


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豪・英軍捕虜、「死の行進」など虐殺 サンダカン事件 豪TV番組に
旧日本兵も取材、意味問う 

太平洋戦争末期のボルネオ島北部(現マレーシア)で、日本軍の捕虜になったイギリス・オーストラリア軍将兵2500人の大半が、「死の行進」を含む虐待や虐殺などで死んだとされる「サンダカン事件」が、オーストラリア放送協会(ABC)の手で、
1時間のドキュメンタリー番組「リターン・トゥー・サンダカン(サンダカンへの回帰)」として制作され、11月初めに放映される、、、

朝日新聞 1995年9月14日


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農書は米や麦など食用農作物の栽培技術にとどまらず、実学の書だ。農産加工、治山治水、年中行事、生活上の知恵まで、対象範囲は広い。たとえば、茶、桑、漆、楮(こうぞ)の「四木」、麻、紅花、藍(あい)の「三草」。こうした工芸作物の栽培、流通、加工の指南書もある。当時の産業や地域経済の様子もわかる。
日本の循環型農業技術は、農書が読み継がれて、子孫に伝えられてきた。だが高度成長期に、生産の効率性を求めた旧農業基本法の下で、廃れてしまった、、、
資源や環境問題、そして個性豊かな地域づくりを考えるうえで、見事な循環型社会を実現した江戸時代は、いまの私たちに参考になる。農書には、過去から学ぶ知恵が詰まっている。

「日本農書全集」全72巻 朝日新聞 窓 論説委員室から 2000年1月27日


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「国家幻想」
「日本では、韓国籍の在日朝鮮人の私を国民国家の枠に取り込もうとするが、とてもつらい。韓国と日本が戦争になったら、私は日本でも韓国でも真っ先に殺される立場。
私は国があるから苦しんできた。日本は朝鮮人に対し、戦前は無理に国民とし、戦後は外国人にした。満州から最初に逃げたのは官僚で、官が民を守らないのははっきりしているのに、皆で国民国家の幻想を守ろうとする。そのあおりが従軍慰安婦問題。朝鮮人に謝罪すべきかという人に、私は個人の問題として考えればいいと話している。
今を生きている人の責任は、加害者を野放しにせず追及し、国境を超えて被害者を救うこと。それをしないから、謝罪に疲れた若い人が日本は悪くないという国家の幻想になびいている」

辛淑玉さん、20日、松本市の神宮寺で開いた尋常浅間学校で
【信濃毎日新聞 2000年2月21日】


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「城下の人」以下四部作 石光真清 いしみつ・まきよ著(中公新書)

21世紀へ残す本 残る本 呉智英 産経新聞 2000年3月25日

このところ、近現代史の見なおしの声が高まっている。平板な日本悪玉論がこの10年余りの内外の激動によって崩れだしたからである。それゆえ、当然と言えば当然の変化なのだが、これが平板な日本善玉論に転じてしまうなら、歴史というものをとらえ誤ると言う意味で同罪だろう。明治日本を侵略主義国家と断じるのも単純すぎるし、活気と理想に満ちた青年国家とのみ称えるのも単純すぎる。
ほとんど犠牲者の出なかった革命であるかのように語られる明治維新が、実は敗者に過酷な制裁を加えたことは、永い間あまり知られていなかった。
「会津人柴五郎の遺書」と副題された『ある明治人の記録』(中公新書)は、こうした維新裏面史を描いた名著である。

しかし、私は今その本を紹介しようというのではない。
編著者石光真人がそのような名著を生みえたのは、これに先立って彼の父石光真清が『城下の人』以下四部作の手記を書いており、それを真人が整理して世に問うていたからである。これもまた驚くべき明治裏面史であり、1958年に龍星閣から元本が出た時には「戦後最大の発掘」と評され、毎日出版文化賞を受賞している。
しかし、それも本の洪水に呑み込まれつつある。

私が本書を読んだのは大学を卒業して数年後、1970年代の半ばであった。年長の知人に教えられて読んで、新鮮な衝撃を受けた。一応は読書好きのつもりだった私は、学生時代にこの本の題名さえ聞いたことがなかった。当時既に忘れられつつある名著になっていたのである。

手記の著者石光真清は、明治元年(正確に言えばまだ慶応四年)8月、熊本に生まれた。

石光の幼少期は、日本が近代国家へ脱皮する時代であった。明治9年、散髪脱刀令が出てから5年、石光家の男たちはやっと腰から刀を取り髷を落とした。
数え9歳の真清も「悲しみの涙」にくれながら父に従った。「西洋文化のために、意気地なく捕まった捕虜」のように思えたからである。
その年、神風連の乱があり、翌年は西南戦争で熊本城が炎上した。

16歳の時、石光は叔父を頼って上京、近衛師団中尉柴五郎のもとに預けられ、陸軍幼年学校に入る。

軍人になってからは日清戦争に従軍するが、日露戦争前夜、情報収集の特別任務を帯びてシベリアに渡る。その後、革命期ロシアに再び潜入。これが現代人の想像する陰湿なスパイ活動とはちがう。ロシヤ軍人との立場を超えた信義、満洲(現チャイナ東北部)に進出していた幸薄い日本女性との恋、広野を疾駆する匪賊、、、。まことに興味深い。
日本の大陸政策の裏面史を歩み、その後、表舞台に出ることなく、昭和17年失意のうちに没した。

歴史と人間について深く考えさせられる第一級の記録である。

(くれ・ともふさ=評論家)


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人間は最近の発明にかかわるものであり、2世紀と経っていない一形象、われわれの知のたんなる折り目にすぎず、知がさらに新しい形態を見だしさえすれば、早晩消えさるものだ、、、そのときこそ賭けてもいい、人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろうと。

「言葉と物」