【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

【色平哲郎氏からのご紹介】 震災の時に本当に役に立ったのは廃線を検討されているようなローカル線だった

2023-06-18 16:55:59 | 転載・政治社会と思想報道
東日本大震災の時に本当に役に立ったのは赤字経営で廃線を検討されているようなローカル線だった。日本海側から上がって行って東北を横断して太平洋側に貨物を運んだ。

山本義隆



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とくに小泉内閣の5年は、短いことばで国民を狂わせて、アメリカ型の市場万能主義をそのまま持ち込み、アメリカの権益がかかわる戦場に自衛隊を派遣して、日本社会の屋台骨を粉々にしてしまいました。私はこんな内閣と同じ時代に国会議員でいたら後世恥ずかしいと思い、議員を退いたのです。

野中広務・元幹事長



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本書は歴史の「語り直し」、オフィシャル・ストーリーを民衆の立場から書き換える壮大な試みである

新自由主義の「暴力」を告発する

『図書新聞』3042 号、2011 年 12 月 17 日に、社会学者の渋谷望氏が 2 面にわたり、『ショック・ドクトリン』を解説しているので抜粋して紹介する。

本書の最大の特徴は新自由主義「御用学者」がこの 30 数年のあいだ、世界の民衆に対して行使してきた「暴力」を掘り起こし告発する点にある。彼女が掘り起こすのは、御用学者が教科書的に何を主張してきたかではなく、実際に何を行ってきたかである。言説のレベルではなく、実際の行為のレベルの批判である。

クラインが執拗に焦点を当てるのは新自由主義の導師、ミルトン・フリードマンである。彼女は、フリードマンの考えと行動のなかにこの暴への要請が書き込まれていることを見出す。フリードマンのアイデアを初めて実行に移した社会、チリとフリードマンの関係の記述が、大きな比重を占める。これが、序章、終章を含め全 23 章中の出だしの 5 分の 1 ほどである。

その後の世界を津波のように巡るこの暴力の軌跡を追いかける。イギリス(サッチャー)、80 年代のアルゼンチン、「移行期」のポーランド、天安門事件の中国、アパルトヘイト後の南アフリカ、エリツィンのロシア、97 年のアジア「危機」。さらに地球を周回したこの暴力は、2000 年代になってブッシュ(息子)政権のときについに米国自身のもとに帰っていき、米国民に襲いかかる。
それは対テロ戦争を通じ米国市民全体に、ハリケーン・カトリーナを通じてその被災者に襲いかかる。さらにそれはイラク戦争を通じてイラクの民衆にも襲いかかる。

本書は近過去の歴史の「語り直し」である。それは新自由主義の視点から語られたオフィシャル・ストーリーを民衆の立場から書き換える壮大な試みである。

クラインは軍事的暴力と新自由主義の両立は偶然ではなく必然的なものだという。なぜなら新自由主義を実行に移すには民衆の連帯という具体的な障害を破壊する必要があり、そのために暴力が必要だからである。そしてチリではこの暴力は軍事政権によるテロというかたちをとったのである。この暴力により、人々は「ショック」を受ける。人々は茫然自失となり、民衆の抵抗は限りなく小さくなる。人々はこのときいわば「白紙状態」となる。この間に新自由主義の「改革」が一気に進められるのである。

ところでこの暴力は必ずしも物理的なものである必要はない。
人々に心理的ショックを与えるものであれば何でも構わない。クラインは様々な惨事/災害は「ショック」を引き起こすという。それは津波やハリケーンのような自然災害、戦争のような人為的惨事、インフレのような経済的惨事についてもあてはまるという。そしてフリードマンをはじめとするエコノミストたちは、この惨事/災害によるショックを意識的かつ効果的に利用し、これにつけこみ、人々にショックを与え(あるいはそのショックを増殖し)、彼らの連帯を破壊し、新自由主義を導入してきたのだという。


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ショック・ドクトリン

堤未果さんによる『100分de名著』から、ナオミ・クライン著 『ショック・ドクトリン』をすこし紹介したい。

『ショック・ドクトリン』の原書が、世に出てから 16 年。この間、世界ではデジタル・テクノロジーが猛スピードで進化し、私たちの日常はますます仮想空間と一体化し、ショック・ドクトリンの手法もまた、よりスピードを上げ、見えにくく、巧妙になってきています。主権者として社会を作っていくはずの私たちが、このスピードに引きずられ、大量の情報に飲まれたままでいれば、立ち止まる暇もなくつけこまれ、弱い者がまず踏みつけにされるでしょう。そんな社会を子どもたちに残したくないからこそ、この本を一人でも多くの日本人に読んでもらいたい、、、

起きていることを多角的に、俯瞰して見るスキルを身につけると、目に映る世界が本当に変わります。
少ない情報でも、未来が見えるようになると、主権者としての自分の立ち位置がクリアになっていくのを実感できるでしょう。

危機に便乗して過激な新自由主義を強引にねじ込むこの戦略を、クラインは「ショック・ドクトリン」と名づけます。そしてそこから過去に遡り、フリードマンとその一派がこの手法を使って、いかに世界の多くの場所で、国家や国民の資産を略奪してきたか、事実を丹念に拾い上げながら、語られなかった〝もう一つの歴史〟を明るみに出したのでした。


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ドミニコ会やイエズス会は主として当時のアメリカ大陸でネイティブ・アメリカンの権利を主張し、奴隷制に抗議していたからである。イエズス会員はキリスト教になったインディオを他部族やヨーロッパの奴隷商人の襲撃から守るためブラジルとパラグアイに「保護統治地」をつくった。インディオを保護しようとするイエズス会員はスペインとポルトガルの奴隷商人およびそこから利権を得る政府高官にとって目障りであったため、のちにポルトガルからイエズス会への迫害が始まることになる、、、
16世紀のブラジルでインディオ相手に宣教・教育事業を行いながら、いくつもの街をつくった。その中にはサンパウロ、リオデジャネイロなどのちに大都市になったものも含まれている、、、
宣教地で働くイエズス会員たちはその土地の文化や言語の学術的研究をすすめ、ヨーロッパに紹介した。たとえば1603年に発行された日葡辞書は非常に画期的かつ浩瀚な内容で、現代においても17世紀の日本語の貴重な研究資料になっている、、、
ヨーロッパ諸国がナショナリズムを強め、王権のもとに国をまとめていこうとしたとき、国境を越えて自由に活躍し、教皇への忠誠を誓うイエズス会の存在が目障りなものとなっていた、、、
このような経緯を経て1773年7月、クレメンス14世は回勅『ドミヌス・アク・レデンプトール (Dominus ac Redemptor)』を発してイエズス会を禁止した。


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「生産性の論理を土地と農業に適用したことは、人類の歴史に根本的な変化をもたらした。人々の生活が『生産性を高め、生産量を最大化する』という欲求に支配されるようになったのだ。生産は、もはや必要を満たすものでも、地域の充足を目的とするものでもなくなった。利益を中心に計画され、資本家の利益を増やすためのものになっていたのだ。これはきわめて重要なポイントだ。
わたしたちが人間の本性に刻み込まれていると思っていた『ホモ・エコノミクス』の性質は、囲い込みによって導入されたのだ」

「競争を強いるこの体制は生産性を劇的に高めた。
1500年から1900年までの間に、1エーカーの土地から獲れる穀物の量は4倍になった。当時、向上(インプルーヴメント)と呼ばれたこの成果のゆえに、囲い込みは正当化された。イギリスの下級地主で哲学者のジョン・ロックは、囲い込みが平民からコモンズを盗む行為であったことを認めながらも、『この盗みは集約産業への移行を可能にし、農業生産を高めたので、道徳的に正当化される』と論じた。
『総生産高を増やすことはすべて人類の向上というより大きな善への貢献だ』と彼は述べた。
同じ論理は植民地化を正当化するためにも使われ、ロック自身、この論理を後ろ盾にして植民地政策を擁護した。『向上』は強奪に言い訳になったのだ。現在、同じ言い訳が、新たな囲い込みと植民地化を正当化するために日常的に使われている。今回、囲い込みと植民地化の対象になっているのは土地、森林、漁場、大気などである。
もっとも、わたしたちはその成果を『向上』ではなく、『開発』あるいは『成長』と呼ぶ。GDPの成長に貢献するものは事実上すべて正当化される」

「ここで理解しておくべき重要なポイントは、資本主義の特徴であるきわめて高い生産能力は、人為的希少性の創出と維持に依存していたことだ。希少性―および、飢餓の脅威―は、資本主義を成長させる原動力になった。実際には資源は不足していなかったので、その希少性は人為的なものだった。土地、森、水源は以前と同じだったが、突如として、利用を制限されたのだ。希少性は、上流階級が富を蓄積するためにつくり出したものだった。人為的希少性は国によって暴力的に強制され、勇気を奮って自分たちと土地を隔てる柵を壊そうとした農民は虐殺された」

ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」(東洋経済新報社、2023年5月)


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看護という職業は、医師よりもはるかに古く、はるかにしっかりとした基盤の上に立っている。医師が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。病気の診断がつく患者も、思うほど多くない。診断がつかないとき、医師は焦る。焦らないほうがよいとは思うが、やはり、焦る。しかし看護は、診断を越えたものである。「病める人であること」「生きるうえで心身の不自由な人」、看護にとってそれでほとんど十分なのである。実際、医師の治療行為はよく遅れるが、看護は病院に患者が足を踏み入れた、その時からもう始まっている。

中井久夫


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無条件降伏とは

 
「無条件降伏」とは戦争用語として国家が軍事的抵抗を一切、条件なしに停止することを意味する。ポツダム宣言では13項で the unconditional surrender of all Japanese armed forces と書かれており、
つまり「すべての日本軍の無条件降伏」である。これをもって「無条件降伏勧告は日本政府にではなく日本軍に対して出されたもの」というのは誤解である。13項には「日本国政府が日本軍の無条件降伏を宣言すること」を求められていのであり、日本軍の無条件降伏を日本政府に迫ったのがポツダム宣言である。
 
また、ポツダム宣言には条件がつけられているのだから「無条件降伏」ではない、というのも誤解である。5項以下に述べられていることは、「降伏にあたって日本が守らなければならない条件」であって、「猶予される条件」ではない。「国体の護持」は条文には上げられて居らず、あくまで水面下での交渉でアメリカの了解を取っていたことである。
 
ただし、連合国による日本に対する戦後処理が、「無条件降伏」であったにもかかわらず、連合軍の分割占領ではなかったこと、占領軍の直接軍政ではなく日本政府の存続がみとめられたことなどは、ドイツと比較して苛酷でなかったといえる。ドイツの無条件降伏も5月8日に国防軍最高司令官ヨードル元帥が署名して決定し、4カ国分割占領下に置かれたが、中央政府の存在は東西ドイツ政府が生まれた1949年まで認められなった。この点で言えば、日本国家は無条件で否定されたわけではない。しかしそれは、連合軍と言っても日本と戦ったのはほぼアメリカ軍だったため、日本の戦後処理にはアメリカの意向が強く働かざるを得なかったこと、中国が一本化しておらず日本占領に加われる状態ではなかったことなどの条件によるものであった。
 
軍隊が無条件降伏することは、国家が抵抗権を放棄することであるから、国家が無条件降伏することと同義なのである。そして軍隊の無条件降伏と同時に、一定期間の占領、国家主権のおよぶ領土の削減などの敗戦国としての遵守義務を付帯させて日本に受諾を迫ったのであった。それは陸軍などの一部にあった、あわよくば「条件付き降伏」(軍隊の存続、満蒙などの領土の保持などを認めさせたた上で敗北を認めること)に持っていこうという希望を打ち砕くものであった。そして宣言の受諾の可否を迫られた政権内部では、無条件降伏の受諾を止むなしとする外務省・海軍と、それを受諾すれば軍隊の解散と戦争犯罪の断罪がなされることを恐れて反対する陸軍とに分裂した。そして閣議を経た上で昭和天皇の聖断としてポツダム宣言の受諾、つまり無条件降伏を決定した。
 
8月14日に決定され、15日に国民に「玉音放送」を通じて知らされた天皇の「終戦の詔書」にも天皇の名で「ポツダム宣言」の受諾が表明され、9月2日、外務大臣重光葵らが天皇の代理、および日本政府代表として署名した「降伏文書」にも、ポツダム宣言を受諾し、日本軍が無条件降伏することが明記された。 
 
なお、連合国の首脳が、「無条件降伏」という用語を慎重に使っていたエピソードにカサブランカ会談の例がある。

日本は無条件降伏していない?
 

「日本は無条件降伏していない」という説は1978年に文芸評論家江藤淳が言い出したことで、国際法学者のなかにも一定の同調者がいる。その根拠の一つは、宣言の文面で無条件降伏を勧告されたのは日本軍である、というのであろうが、一国の国軍が降伏したのに国自身は降伏していないという理屈はいかにも苦しい。またもう一つの根拠は無条件ではなく条件付きだった、というもので、たしかに一理ありそうにみえ、苦し紛れに「条件付き無条件降伏」と言った人もいたそうだが、ポツダム宣言で示された条件はいずれも軍国日本にとって屈辱的なものであり、日本側が条件として持ちだしたことではない。そういうのは条件付きとは言わない。無条件に押しつけられた敗戦国の義務としかとりようがない。
 
今のこの時期に、敢えて「日本は無条件降伏したのではない」と言うのはどのような意図があるのだろうか。無条件降伏した国でないなら、なぜかくも長くアメリカ軍の基地が残っているのだろうか。昨今の為政者は「ポツダム宣言を詳らかには読んでいない」と公言してはばからないようだが、ポツダム宣言は読まなくとも、天皇の「終戦の詔書」ぐらいは目を通しておくべきであろう。

https://www.y-history.net/appendix/wh1505-117.html


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ローズヴェルトのフライング発言「無条件降伏!」
 
(1943年の)カサブランカ会談で、枢軸国に対して「無条件降伏」を求めることが決定された、とされている。またその言葉がドイツや日本の死にものぐるいの抵抗を呼び起こし戦争を長びかせたとも批判された。ところが、この言葉は予定された共同コミュニケには無く、会談後の記者会見でのローズヴェルトがいきなり発言し、チャーチルがとっさに口裏をあわせたものであった。以下、チャーチルの回顧談による。

(引用)一月二十四日の記者会見で、大統領がわれわれが敵全体に対して”無条件降伏”を強いるだろうというのを聞いて、私はいささか驚いた。・・・またコミュニケが作成されたときの三軍参謀首脳の会議に全部出席していたイズメー将軍も驚いた。大統領の後を受けた演説で、もちろん私は大統領を支持し彼が述べたことに同意した。このような場合とこのようなときにおいて、われわれの間に少しでも相違があったり、あるいは少しでも省略することでもあれば、それはわれわれの戦争努力に害を、あるいは危険をさえもたらすことになったろう。・・・
<チャーチル『第二次世界大戦回顧録』3p.296 佐藤亮一訳 河出文庫>
 
なぜローズヴェルトの口からこの言葉が飛び出しかというと、原注によれば、このときフランスのジローとド=ゴールの対立を南北戦争のグラントとリーの間を取り持つのと同じぐらい困難だと考えていた彼が、グラントが Old Unconditional Surrender と言われていたことを思い浮かべ、それを口に出してしまったらしい。


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学徒出陣の学生は、下士官といっても、直ぐに少尉以上の士官に昇進します。彼らに、実戦経験は期待されていません。どういうことかというと、日本軍が強かったのは、幹部がダメだが、下士官が優秀だったからだといいますが、戦場では先ず指揮官が狙撃されて、下士官が生き残って経験を積んだからです。このように、学徒出陣の士官は、実戦経験を積む前に戦死することが多く、消耗品の扱いというのが現実です。だから学徒出身の士官がいてもいなくても、現場では混乱が起きません。学徒出陣には、文系の学生が動員される一方で、理工系の多くの学生は、学徒出陣から逃れて、学業を続けた後、軍用機の試作に携わり、生き残ることができました。国家による命の選別ですよね。


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(書評より)サイコパスをフィルターに、「良心とは何か?」を問う

米国の心理学者が著した、いわゆる「サイコパス」についての解説書である。サイコパスとは、一言で言えば「良心が欠如した人間」のこと

サイコパスは具体的にどのような人間なのか、サイコパスが生まれる原因は何か、どのようにサイコパスを見分けたらよいか……などの問いに、著者は実在のサイコパスを例に挙げながら、手際よく答えていく。
なかなか目からウロコの本であった。人口の4%もサイコパスがいるという話(欧米の場合。日本はもっと低いそうだ)にも驚いたが、「サイコパス=犯罪者およびその予備軍」という先入観がくつがえされたことにも驚かされた。

私は、貴志祐介のホラー小説『黒い家』で「サイコパス」という言葉を知った。映画版では大竹しのぶが怪演した、あの恐ろしい女。あれが「サイコパス」の一典型なのである。
『黒い家』の強烈な印象のせいで、私は「サイコパスとは平気で殺人を犯したりする粗暴な人間のこと」というイメージを抱いていた。

だが著者によれば、大半のサイコパスは非暴力的で、目立った法律違反も犯さず、社会に溶け込んで生きているという。

一見ふつうの人間に見えながら、平気でウソをつき、人を陥れ、周囲に不幸をまき散らす「良心をもたない人たち」。その恐るべき実態が明かされていく。

「一見ふつう」どころか、サイコパスには一見非常に魅力的で、カリスマ性さえ感じさせる人間も多いという。彼らは人の心をあやつる術に長け、総じて知能も高いからである。著者は、大企業のCEOにまでのぼりつめたサイコパスの例を、一章を割いて紹介している。

本書は、たんなる解説本に終わらない深みをもった良書であった。「サイコパスとは何か?」という問いに答える過程で、著者は「良心とは何か?」「人間にとって幸福とは何か?」という大テーマにまで迫っていくのである。

「良心はほかの人たちへの感情的愛着に基づく義務感である」と著者は定義し、「良心は愛する能力を欠いては存在しない」と言う。サイコパスの道徳観念の欠如の根源には、「愛情の欠如」があるのだ。

良心をもたないサイコパスたちは、人を出し抜く能力に長けているため、一時期は社会的成功を収めることもある。しかし、彼らはけっして幸福にはなれないと著者は言う。

それは、たんなる「因果応報」話ではない。感情的生活が欠落したサイコパスたちはつねに退屈しており、その退屈をまぎらすために強い刺激を必要とする。そのため、刺激を求めて危険な行為をくり返したり、アルコールや麻薬に依存したりして、自滅していく率が高いのだという。

そもそも、他人を支配したり蹴落としたりして得られる勝利感など、刹那的なものにすぎない。それは幸福感とは似て非なるものだ。愛情が欠落したサイコパスたちは、一生涯本物の幸福感を味わうことができないのである。

「サイコパスの見分け方」を説いた章も興味深く読んだ。
著者によれば、サイコパスを見分ける「最高の目安」は「泣き落とし」だという。サイコパスたちが人をあやつるために最も頻繁に利用するのは、意外にも、恐怖心ではなく同情心だというのだ。

《だれを信じるべきかを判断するとき、忘れてはならない。つねに悪事を働いたりひどく不適切な行動をする相手が、くり返しあなたの同情を買おうとしたら、警戒を要する》

また、平気でウソをつけるのもサイコパスの特徴だから、つきあいの中で3回ウソが重なったら、その相手からすぐに逃げ出すべきだと著者は言う。

もう一つ、印象に残った一節を引こう。

《(戦場において)サイコパスは悩むことなく相手を殺すことができる。良心なき人びとは、感情をもたない優秀な戦士になれるのだ。(中略)サイコパスがつくりだされ、社会から除外されないのは、ひとつには、国家が冷血な殺人者を必要としているからかもしれない。そのような兵卒から征服者までが、人間の歴史をつくりつづけてきたのだ》

「良心をもたない人たち」


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1956年3代目大統領選挙
敵対する民主党の大統領候補は選挙前に突然死してしまいます。そして3代目大統領の地位につくのです。この時、李承晩は高齢でした。もし自分が死んだら、自動的に民主党の副大統領が大統領となってしまいます。そして副大統領は何者かに襲撃され、一命を取りとめます。無所属の人は南北統一を唱える人で、社会主義者と見なされ処刑されました。

1960年4代目大統領選挙
またもや敵対する民主党の大統領候補が選挙前に突然死します。そして3月15日、李承晩は4代目大統領に就任するのです。
・・・
何の罪もない学生の死に、馬山では親たち、学生たちが立ち上がります。ソウルでは(1960年)4月18日高麗大学生がデモを起こしますが、政府によって暴行を受け、多くの犠牲者が出ます。
お兄さんたちが犠牲になったと立ち上がったのは高校生。4月19日、高校生が最初に立ち上がり、4.19革命が起こりました。高校生、大学生、多くの市民が参加しました。
・・・
それを抑えようと、警察が無差別に銃で撃ちます。100名ほどが死亡。最年少の犠牲者は小学校4年生の少年でした。
その後、李承晩は大統領の地位を降ろされ、ハワイに亡命、韓国に帰ることはありませんでした。

https://koreanlife.org/2020/04/21/419/


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(1961年)6月10日には秘密諜報機関・韓国中央情報部(KCIA)が発足された。
このような朴正煕の政治はその後の韓国政治史の長い軍事政権の土台を築き上げることとなった。

・国民の反応
2022年に『ハンギョレ』に寄稿したイ・ジンスンは、「民主党の張勉内閣は革命を執行するよりも収拾に没頭し、生ぬるい改革と相次ぐ失政で民衆の支持を失った。失望して怒った国民は、型破りの『朴正煕クーデター勢力』を新たな救援投手として歓迎する境地に至った。」とする。

・アメリカの反応
クーデター直後の(1961年)5月16日午前11時、カーター・B・マグルーダー駐韓米軍司令官は張勉政権を支持しクーデターに反対する声明を、米軍放送を通じて発表した。そして駐韓米代理大使マーシャル・グリーンと共に青瓦台を訪問し、尹大統領にクーデター軍を鎮圧するための動員令を韓国軍に下すことを要請した。しかし、尹大統領は「国軍同士が衝突すればソウルは火の海となり、そのすきに北が南侵する恐れがある」として要請を拒絶した。
一方、アメリカ本国のアメリカのケネディ政権はクーデターに対し、慎重に静観する態度を取っていたが、クーデターから三日目の5月19日、アメリカ国務省は軍事政権への支持を発表した。そして軍事政権による反共体制の強化と腐敗の一掃及び合憲的政府の再樹立を標榜する革命公約に大いなる期待を表明した。


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(書評より)保守の人々にこそ読んでほしい本

いや、リベラルや左翼を自認してる人々にも読んでほしい。愛国者の仮面をかぶった売国奴や、リベラルの仮面をかぶった巨大資本の犬に騙されないために。軍事クーデターや戦争や虐殺によるチリやイラクやインドネシアのショックドクトリンも衝撃的だったが、それよりメディアを使った小さなショックドクトリンの例が大変興味深く参考になった。第一次大戦後に荒廃したドイツを放置しナチズムに走らせた反省から、ケインズ的な財政政策で各国経済を立ち直らせる指導をするために設立されたIMFや世界銀行のような国際機関がシカゴ学派に乗っ取られ、融資と引き換えに民営化と福祉や社会保証を削る緊縮財政、規制撤廃の新自由主義政策の三点セットを各国に強要する機関となってしまった歴史が描かれています。それでも各当国がIMFの構造調整プログラムを拒否すると財政破綻論がメディアで喧伝され人為的に危機がでっち上げられ新自由主義的政策が強行されていく本書で描かれてるカナダの例は、まるで今の日本そのもの!ロバート・B. ライシュ やデヴィッド・ハーヴェイも指摘するように新自由主義者が多用する戦術が不安と差別。
アメリカは80年代年代までは今より富が平等に分配されてる福祉国家だったのに「キャデラックに乗って生活保護を貰いに来る黒人シングルマザー」という人々の差別心に訴える反福祉キャ
ンペーンをレーガン共和党がはじめて政府の支出削減に成功したという。この中傷を白人中流層が支持した結果が今の中流層が消滅した超格差社会のアメリカ。「ベンツに乗って生活保護を貰いに来るヤクザ」という一部を極大して、生活保護制度全体へのネガティブキャンペーンを盛んにしてる今の日本のマスコミの姿と瓜二つ。
勿論、不正受給は非難されるべきだが、供給過剰と消費不足でデフレ不況に陥ってる今、生産せず消費するだけの生活保護者でも経済にとってそれなりに有意義な存在である事実は無視され感情的なバッシングばかりが行われる。
ワシントン・コンセンサスにより中央銀行の独立性などという訳の分からないもので日銀が国民の統治から離れ、人脈による事実上のIMF統治下にある今の日銀。
復興国債の日銀引き受けも円高デフレ是正のための通貨増刷も出来ない現状ではこれらに比べ僅かな額だが、使い切りが多い生活保護は社会に金を循環させる貴重な小規模公共事業のような
ものなのに。結局、新自由主義が先行適用された国で、この手の社会支出ネガティブ宣伝のノウハウが蓄積され日本で用いられてるのが辛坊治朗氏に代表される財政破綻本の量産や、緊縮財政と民営化を掲げる橋下維新の躍進現象。維新だ改革だと連呼してる連中に何も新しいものはなく、世界中で使い回された戦術と政策だとわかる。生活保護者やワーキングプアらの弱者を互いに対立させ、正社員や公務員や農業を既得権益者と規定して攻撃し、憎しみと敵意を国内で満たし国民を分断させる。
その上で「財政破綻」や「迫りくる経済崩壊」といった言葉がマスコミを通じて盛んに流され、無意味な危機感と焦燥感が煽られ社会不安だけが増幅されて、各個人は危機の備え貯蓄して消費を控え貨幣循環が停滞してしまう。
このように故意に景気を冷え込ませ危機を作り出し、政府支出の削減や公共領域の縮小、積極的な民営化促進といった新自由主義政策が強行されていく。その裏では人々に自立を説きながら、自らは政府に寄生するどころか政府と一体化し社会の富を吸い上げる多国籍巨大資本。
この現実に対応できないか、あるいは意識的に無視しているマスメディア。政治が巨大資本に浸食されてる。
たとえば労働問題一つを取ってもそう。予め巨大資本に外国人労働者を入れ労働市場を供給過多にして賃金を引き下げるという目的を決められたうえで、自称保守は国際競争や優秀な人材確保という経済的標語で移民を正当化し、自称リベラルは国際化や多文化共生という文化的標語のもとで移民を正当化。動機は違うように装っても目的は同じ近代国民国家の解体、国民主権や自治権の否定、IMFなどの国際機関や多国籍巨大資本への権力の移譲。
どちらも国民や市民や地域を、労働力と消費者と市場という経済記号のみに解体しようとしてるのが現代日本の大手メディアで流通してる言論。
人材を吸い取られる元の国の事や、より労働条件が厳しくなる労働者の事や、深刻になるであろう社会対立や差別は一切考慮されない。
日経や読売から朝日やNHKまでの大メディアは、IMFと経団連が強く後押ししているTPP推進と消費税上げで揃って支持してる異様さ。
逆進性が高く、特に日本では生活必需品へも一律課税な限りなく人頭税に近い消費税を。IMFの提言なんて、その国の国民のためになった例がないのに。
「消費税を政争の具に使うな」の大合唱で圧力をかけ続け消費税上げの是非に対する議論を封じて、消費税上げを急がせた経団連や読売から朝日までの大新聞やNHKは、特例公債法案が政争の具にされ、被災地にも深刻な負担になる戦後初の予算執行抑制に陥ってる事態には抗議の声をほとんど上げない。
日々の生活に直結する経済政策は一切争点にされず、目眩ましに55年体制的イデオロギー対立の猿芝居を延々と見せられるばかり。
大手メディアはベクトルが同じ連中が右役左役と芝居を演じてるだけ。歴史問題や靖国問題などで白々しいプロレスばかり見せられ、真に重要な政治経済問題では対立軸も選択肢も提示せず、右も左も全てが新自由主義に収斂していく今の日本の言論空間に知的要求を満たされない人々は、この本をぜひ読んでほしい。思考の広がりが得られるはずだ。

「ショック・ドクトリン」


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