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【現代思想とジャーナリスト精神】

【孫崎享のつぶやき】


読み人知らず「新しい資本主義」という名の日米経済の統合:「新しい資本主義」「アベノミクス」の破綻原因を究明し、そこに新しい日本経済発展の道を探るというものはない。「新しい資本主義」は、一つのな欺瞞。「日米経済の統合」が持つ意味合い。
2023-03-13 07:198



「新しい資本主義」、2021年9月、自民党総裁選で岸田氏が掲げ出てきたのがこのスローガンだった。少し唐突感のあるその意味について理解した人は多くなかったのではないか。
 あれから1年半、それについての解明が今こそ切実に求められていると思う。

■欺瞞の塊としての「新しい資本主義」

あの時、岸田氏は、「新しい資本主義」を掲げながら、新自由主義への懐疑を口にした。そこで強調されたのが「分配」だった。さらに「ステイクホルダー資本主義」までが言及され、「成長第一」「株主第一」の新自由主義からの脱却、転換がにおわされた。
翌2022年6月、当然のこととして、そのグランドデザイン(全体構想)の提示が求められる中、出されてきたのは、旧態然とした「成長」や「株主」、新自由主義への逆戻りだった。期待された「分配」や「ステイクホルダー」は、それに言及されることさえなかった。
人々の目を欺く欺瞞性はそれだけではない。「新しい資本主義」のすべてが欺瞞に満ちていると言っても過言でない。
そもそも、この「新しい資本主義」には、一時は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われ、世界第二位を誇った日本経済がなぜ停滞、後退したのか、その総括がまったくない。「失われた30年」、そしてそこからの脱却を図ったはずの「アベノミクス」の破綻について、なぜそうなったのか原因を究明して、そこに新しい日本経済発展の道を探るということのない「新しい資本主義」は、一つの壮大な欺瞞であるとしか言いようがない。実際、岸田首相は、これまで二度に渡る施政方針演説など、「新しい資本主義」について全面展開する機会を幾度か与えられながら、一度として、それをそうした総括に基づいたものとして行うことがなかった。
 「新しい資本主義」が巨大な欺瞞の塊だというのは、そこに総括がないからだけではない。何よりも、それが現実の切実な要求に応えるものとして提起されておらず、要求を出してきた「米国」がひた隠しに隠されてきたところにある。
 「新しい資本主義」について見ていて気付くのは、「総括」がないのと同時に、それが何の要求に基づいて出されてきたのか、その要求の出所である「米国」についての記述がまったくないということだ。
 今、日本経済を語る上で「米国なし」はあり得ない。もちろん、戦後日本経済自体、米国の存在と不可分一体だった。しかし、今はその程度が違う。その証拠に、現駐日米大使ラーム・エマニュエルは、大使指名承認の公聴会で「経済規模で世界首位の米国と3位の日本との経済統合を強める好機であり、この統合が緊密化できれば、極めて強い力になる」と強調した。元米大統領首席補佐官、剛腕で聞こえるエマニュエルが陣頭に立つこの日米経済の統合を離れた「新しい資本主義」はあり得ない。にもかかわらずそのことが全く触れられず隠されているところに「新しい資本主義」が欺瞞の塊になる決定的所以があるのではないだろうか。

■「米対中ロ新冷戦」と「新しい資本主義」

 駐日米大使ラーム・エマニュエルは、先述したように、今が日米経済統合の好機だと言った。なぜ、そう言えるのか。彼は、どこに「統合」の好機を見ているのか。そこで言えるのが「米対中ロ新冷戦」だ。この異常事態にあってこそ、普段できないこともできるようになる。実際、この「新冷戦」の中にあって、正常時には困難な経済の統合などと言うことも合理的なものになる。米国が引き起こした「新冷戦」には、そのような計算まで含まれていたのではないだろうか。
 「米対中ロ新冷戦」は、米国自身が言っているように、弱体化した米覇権の回復戦略だ。この覇権回復戦略を推進するため、米国は、世界を「民主主義陣営」と「専制主義陣営」の二つに分断し、現状を力で変更する「修正主義国」(と米国が勝手に決めつけている)中国とロシアをはじめとする「専制主義陣営」を包囲、封鎖、排除してそのDX、GXがこれ以上進展しないようにする一方、米国を中心とする「民主主義陣営」の同盟国、友好国を米国の下に統合し、そのDX、GXが大きく進展するようにする策略を立てた。これが世界を「資本主義陣営」と「社会主義陣営」、二つの陣営に分断して後者を弱らせ、その自己崩壊を生むようにした「米ソ冷戦」の夢よもう一度の戦略であるのは言うまでもない。

 ラーム・エマニュエルの言う日米経済の統合がこの「新冷戦」戦略の一環であり、日本を政治、軍事、経済、地方地域、教育、社会保障などあらゆる分野、領域に渡り、米国と統合一体化する戦略の一環であることが重要だ。

 この米世界戦略にあって、日米の統合は、その模範として極めて重視されている。剛腕エマニュエルが駐日大使に任命されたこと自体がそれを雄弁に物語っていると思う。
 こうして見た時、「新しい資本主義」がこの日米経済の統合と無関係であることなどあり得ない。と言うより、この日米が統合一体化した経済こそが日本経済の「新紀元」、「新しい資本主義」だと言えるのではないだろうか。事実、本年1月にあった岸田首相による施政方針演説はまさにそうしたものになっていた。
演説で日本型職務給への転換と表現された「労働市場改革」は、なぜか「日本型」と言う言葉が付けられていたが、その内実は、日本式年功序列型雇用から米国式ジョブ型雇用への転換を意味しており、米系企業の日本経済への大々的な参入に大きく道を開くものになる。
 次に、演説では、「投資と改革」と題して、何よりもまず、GX、DXの推進が挙げられた。この日本経済をその根本から転換させる大事業にあって、その主役を担うのは日本企業ではない。GAFAMなど米系超巨大IT独占だ。彼らがこの大事業全体のプラットフォームを提供することになり、彼らに「新しい資本主義」の命であるデータ主権は売り渡されている。演説で強調された全国民のマイナンバーカード取得は、日本国民皆のGAFAMの対象化を意味している。
 一方、「投資と改革」の一環として遂行される「イノベーション」「スタートアップ(新興企業の育成)」なども同じことだ。「統合」が指揮の統合、開発の統合として、日米共同で行われていく中、その主導権は完全に米国に握られ、日本経済は全面的に米国経済に組み込まれていくようになるのは目に見えている。
 こうして見た時、「米対中ロ新冷戦」の下、日米経済の統合としての「新しい資本主義」、その全容が見えてきたのではないだろうか。

■日米経済の統合が日本にもたらすもの

 日米経済の統合に対する上で見えてくるのは、この統合一体化が決して日米対等のものでなく、米国経済に日本経済がその補完力量、下請け力量として組み込まれ、統合から生まれる利益、すなわち共同の指揮、共同の開発によって生まれる利益も、その覇権強化に向け、米国に吸い取られるものだということだ。
 もともと米覇権回復戦略としてある「米対中ロ新冷戦」の一環である米国の下への同盟国、友好国の統合は、対等なものであるはずがない。主はどこまでも、覇権国家、米国であり、同盟国、友好国はそのために使われる存在でしかない。
 だから、指揮の統合、開発の統合を共同で行うと言っても、その主はどこまでも米国であり、同盟国、友好国は、あくまで従として、使われ、利益もそのおこぼれを頂戴するということにしかならない。
 これは一体何を意味しているのだろうか。それは、米覇権回復戦略の下にあって、同盟国、友好国とその国民は、その知能も力も富もすべてを米覇権の回復のために吸い取られる。それが「新しい資本主義」だということではないだろうか。
 半導体生産の統合において、設計は米国が、製造は台湾、韓国、米国が、そして資材、製造設備は日本がという任務分担がなされるという話があるが、これなどはその典型ではないだろうか。
 こうした経済統合のあり方を見ていて思うのは、ウクライナ戦争の現実だ。ウクライナの人々も国土もすべてが米覇権のための犠牲にされている。これこそが米国との統合の極致であり、本質だということだ。こんな統合、こんな戦争が成功するはずがなく勝てるはずがない。事実、ウクライナ戦争は、確実に米覇権の側の敗色が濃くなってきている。
 欺瞞の塊の「新しい資本主義」、日米経済の統合からの決別が今こそ切実に問われてきているのではないだろうか。 

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