日本再生のための「プランB」
昨年25年間の滞米をきりあげ帰国した俊英で、日本の医師免許所持者で米国経済学博士
92年に知りあって、それ以来、大注目!!
藻谷浩介・評 『日本再生のための「プランB」』=兪炳匡・著/
〈ITと金融の技術を磨いて米国の後を追う戦略を、兪氏は「プランA」と名付けるが、実現性はないと見る。
基礎研究や人文科学を軽視し、女性や外国人を排除し続ける日本に、市場開拓型イノベーションは起こせないというのだ。
東京が、今や経済的な辺境に転落した日本の中心にすぎないのに、「地方を切り捨てれば生き残れる」と思っている浅はかさも、ご指摘の通りである。〉
毎日新聞2021/5/8
=====
諦めさえしなければ、市民運動に敗北はない 詠人不知
=====
5月5日から大学を再開する、と宣言していた国軍。
さて、その思惑やいかに。
___
結論からいうと、再開は失敗した。
生徒も先生も、ほとんど戻ってこなかったのだ。
「軍政下の教育は受けない」という、ミャンマー人たちの確固たる意思表示。
この決意の代償は、出勤しなかった教職員の大量解雇、だった。
ヤンゴン大学とマンダレー大学という、トップ1、2の大学では教授から助手にいたるまで、実に731人が解雇された。
宿舎からも3日以内に立ち退かねばならないという。
ヤンゴン郊外出身の友人は、こう嘆いた。
「この2つの大学は、ミャンマー人みんなの憧れの、特別な大学なの。
ヤンゴンで生まれ育った子は、誰もが一度は 『大きくなったらヤンゴン大学に』と夢見て育つんだよ。
そこの先生をクビにするなんて・・・
みんなの夢や憧れの気持ちも傷つけられたみたい」
先生がいなくなった大学。
もし仮に生徒が大学に戻ってきたところで、いったい誰が教えるというのだろう。
(まさか軍人じゃないだろうな)
それに、大学の先生は研究者でもある。
様々な学問分野で研究成果を出して、国の方向性の土台をつくる人たちだ。
軍は、代わりのいない人材を切り捨てた。
ミャンマーの未来が死んでいく。
軍事クーデターによってこの国が失うものは、計り知れないと、改めて思う。
(ちなみにミャンマーの大学はすべて公立なので、ミャンマーにいる限り、国立大がダメなら私立大へ、という選択肢はない)
___
教育制度も大きく変えられようとしている。
これがまた、まったく意味不明な改正だ。
ミャンマーの学校は、11年制。
一応、小学校(5年)、中学校(4年)、高校(2年)に分かれているが日本のように「中学1年」「高校1年」などとは呼ばず、
「グレード1」から始まり「グレード10」まで1年=1グレードで、着々と進級していく。
軍はこれを「1年=2グレード」にする、というのだ。
つまり、進級のスピードを、これまでの2倍にするということ。
え?・・・待って。何のために?
思わず、ミャンマー人の同僚を質問攻めにする。
みんな5年そこらで、アイウエオから高校卒業までの内容を終えるってこと?
それとも、グレードを増やすの?今度は全部で何年?
彼は、困惑顔でこう答えた。
「そういう細かいことは何も説明されてないんだ。
目的もよくわからない。
ただ、MRTV(軍営TV局)で『1年=2グレードにする』って放送されただけ」。
決まったことを一方的に伝えて、説明も質疑応答もない。
これぞ、まさに軍政時代の教育そのものではないか。
そして、そんな理解不能な状況の中、軍は、6月1日に小中高の基礎教育も再開すると宣言している。
軍営新聞に載っていた教育省のミーティングの記事は、全生徒にノート12冊と鉛筆4本を支給し、中高生にはさらにペンも2本つけます、という超どうでもいい内容で、思わずため息が出る。
___
先生たちの訴追は、今日も続いている。
新聞には、医師と先生の指名手配リストが、毎日律儀に10人ずつアップデートされている。
罪状は、刑法505(a)。
クーデター後に軍が改訂した条文で、これによりCDMへの参加が犯罪とされた。
CDMを熱心にサポートする知人は、こう話した。
「医師や教師は、この国で本当に尊敬されてきた職業なの。
それが今や『犯罪者』で、逃亡生活をしてる。胸が痛い」。
また彼女は、CDMへの決意と迷いについても語ってくれた。
「みんな、絶対に軍政に抵抗すべきと信じてる。
非暴力で戦うには、もうCDMしかないのもわかってる。
でも、いつも自分の胸に問うているの。
クビになって、家や収入を失ってもいいのか?
患者や生徒を見捨てることにならないか?
本当にこれは正しいことなのか?って」
決意と迷いが、交錯する。
苦悩しながら、それでも前に進む。
静かな闘いが、決死の覚悟で続いている。
https://bit.ly/3o0PGZ4
「ミャンマーより、つれづれなるままに(Japanese diary from Myanmar)」
=====
カレン州に住む友達から「家の庭に防空壕を堀った」と聞いた。
まさか「お正月休み、何してた?」という世間話の返事に、こんな前時代的な答えが返ってくるとは思わなかったので、とっさに返事ができず、まごつく。
・・・
今日も「防空壕を掘るなんて、どんなに怖い思いをしていたのだろう」と思いきや、「We are ready to be attacked!(攻撃される準備はバッチリだよ)」と笑う。
なんでそんなに平然としていられるの?と聞くと「僕たちはカレン族だ。こういうのに慣れているんだよ」と言う。
どこか自慢げにすら聞こえる彼の言葉に、思わず天を仰ぐ。
「慣れている」
そう言えてしまうような事実が、確かにミャンマーにはある。
ミャンマーの少数民族地域では、独立以来、実に70年以上ずっと国軍と武装勢力との武力衝突が続いてきた。
クーデターが起きる前から、世界で一番長い内戦を戦っている国なのだという。
https://bit.ly/3xVLHBL
======
教育と、情報統制と、ワイロ。
軍政時代を知らない私が「軍政になると何が嫌なの?」と周囲の人に聞いたときのトップ3だ。
・・・
「僕たちは、愚民化されていたんだ」
私が教育について聞くと、30代の友人は怒りに言葉を震わせた。
ふだん穏やかで、ちょっと斜に構えたタイプの彼がこんな風に怒りをあらわにするのを見るのは初めてで、少し驚く。
「軍政時代、教育は常に一方通行だった。
ただ決まったことを生徒にインプットするだけ。考えさせないんだ」
いまいちイメージがつかめない私に、彼は語気を和らげて説明してくれる。
例えば、先生が「これは車です」と教えるよね。
そしたら、生徒はそれが車だと「覚える」。
質問の時間は一切ない。
車がどんな乗り物なのか、どこでどう役に立つのか・・・
そういうことはまったく習わないんだ。
https://bit.ly/3xXFHZh
======
約600世帯ほどの鉄道員家族がいたが、今のところ職場に戻ったのはまだ数世帯だけだそうだ。
戻らないとクビじゃないの?と聞くと、こんな答えが返ってきた。
「以前そういう通達が出たとき、300世帯くらいは一旦戻ったんだ。
それで、みんな『戻りました』って書類にサインして、また逃げた」
・・・
「今まで15年以上、この仕事しかしたことないから、困るよね。
でも軍政になってしまったら、もう鉄道員には戻らない」
15年以上のキャリアや住居を失っても構わない、という覚悟。
実は鉄道省の職員は、保健省(医療者)や教育省(先生)と同様にクーデター直後から、かたく団結してCDMを貫いている。
軍がむりやり列車を動かそうとした時には、鉄道員たちがみんなで線路に寝転がり、体を張って列車の運行を止めたほどだ。
どうして彼らは、それほどまでに徹底して軍政を拒否するのだろう。
https://bit.ly/3o3alvW
======
Deo Favente
Annuit Coeptis
Novus ordo seclorum
E pluribus unum
======
プロフェッションの特質、、、
このことについて最初に言及したの は,20世紀初頭の北米で行われた医学教育の質改革に多大なインパクトを与えた「フレクスナー レポート」の著者エイブラハム・フレクスナー (Abraham Flexner[1866-1959])である。
彼が1915年に発表した「ソーシャルワーク(医療社会福祉)は専門職なのか」(Is Social Work a Profession?)は,プロフェッションを初めて定義した論文として知られる、、、
プロフェッションが満たして然るべき要件として以下 6項目・鋭い知性に加えて,高度で専門的な知識や物事を抽象化して思考する能力を必要とする業務に従事し,自分の判断や行動について自身で責任を負う
・体系化された知識としての科学とその学習に基づいて業務を遂行する
・実務で用いる高度で専門的な知識や特殊技能は実用的でなければならない
・同業者団体を形成し,構成員相互の扶助に努める
・会員資格制度を採用し自律的な秩序を形成する
・専門職団体(職能団体)の活動は,社会公共の利益に資するように行われる
https://bit.ly/2Q1AHlc
======
「厳密に言えば,企業人は,現時点でプロフェッションではなく,過去にさかのぼってもプロフェッションではありません。
プロフェッションは,長い時間を掛けて内容充実を遂げてきています。
徐々にではありますが,プロフェッションを統制するためのメカニズムが確実に構築されてきています。
規範に従わない者に課せられる制裁についても同様です。
真のプロフェッショナルについては,職業訓練を経て,資格を取得します。
また,当人の属している団体の行動基準に準拠して行動しなければ,同業の仲間内(ギルド)から追放されます。
国家資格の取得が義務付けられたプロフェッション(regulated profession)に至っては,メンタリングも実施されます。
たとえば,医師免許を取得して間もない医師は,知識や経験も豊かな医師から手引きを受けることができます。
しかし,ビジネスの世界には,いわゆるインターン制度がなく,国家資格を取得する必要もありません。
利殖の才と法律遵守のマインドさえ身に付ければいいのです。」
https://bit.ly/2Q1AHlc
======
ギダンさんは、戦前、政治に左右されることが多かった司法。
ギダンさんはそれを強く憂いていました。
「裁判がその時の政治的勢力に左右された形跡ありとみられる事例は、歴史の法廷においては常に醜いものとして再批判されます。
学問が政権から超然としておらねばならぬように、裁判も常に政権政治的な動きからは超然でなければならぬと信じます。
裁判は政治ではない。
一切の政治的勢力ないし影響から超然として、法によってのみなされる所に司法の尊厳があり、国家を盤石の安きに置く補償があるのです。」
https://bit.ly/2SuhQ32
======
9条の平和主義、25条の生存権です。
そのほか、17条の国家賠償請求権も、40条の刑事補償請求権にも関わっていた。
ギダンさんの弁
「日本国民はお上のやったことに対して訴えを起こすななどと言うことは出来ることではない、そう言うことは不届き千万であるという観念がありまして、そういう訴えを起こすことは出来るのだぞと言うことを国民に理解させておくことは国民の権利保障の上に非常に大事なことであります。」
ギダンさんは、なぜ憲法修正にこれほどまでにこだわったのか。
https://bit.ly/2SuhQ32
=====
「法は思想は之を罰せず、罰するを得ず」
法廷でのギダンさんの言葉
「「法は思想は之を罰せず、罰するを得ず」という大原則があります。
特定思想の抱懐の故をもって、直ちに刑罰の目的としえない所以のものは、一種の天賦権としての人間の思索の自由なるものがあるからでありまして、観念の世界でだけ考えている限りは道徳は関与し得ましても、法律は干渉し得ないのであります。」
https://bit.ly/2SuhQ32
=====
インタビューでは平和を掲げる五輪精神との矛盾を指摘し、世界や国際オリンピック委員会(IOC)にものを言えない日本政府の姿勢も疑問視
◆「五輪の映像を見て勇気づけられる状況にない」
◆「何ということに加担してしまったんだ」
◆日本へ「他者を思える国であってほしい」
五輪でも「ノー」と言って、将来「あの時の判断で世界が救われた」と言われる国になってほしい
https://bit.ly/3uwKP4o
復興五輪「架空だった」…罪悪感抱く宮本亞門さん、IOCや政府を「利己的」と批判
インタビュー詳報
=====
「新型コロナウイルス感染症等の感染拡大に伴い、看護職の確保が不十分な状況に至っております」
平身低頭、お願いや協力を依頼する文言が繰り返されていた
「資格を持ちながら離職している『潜在看護師』の活用を考えているのでは」
「現場から看護師を送り込む余裕はない。もし動員したら、一般の診療に影響が出る恐れがある」
「地域の医師はワクチン接種で手いっぱいだ。
医師資格を持つ自衛官にも接種を頼むくらい人手が足りないのに、派遣は不可能だ」
観客数に応じて必要な医療従事者の人数を割り出すのではなく、まず確保できる医療従事者の人数を確定させて、それに応じて観客数を決める
https://bit.ly/2Q38cUl
東京五輪が社会のリスクに
今も続く医師、看護師の大量派遣依頼、現場は「不可能だ」
=====
日本は人権尊重の国か
ミャンマーや新疆ウイグル自治区など権力による人権侵害が多発する中、日本は人権尊重を価値観とする外交を展開すべきだ。
前稿<大国の思惑に影響されない人権外交>でも触れたように、人権の尊重は日本国憲法の基本理念でもあり、平和国家を標ぼうする日本こそ前面に出していかなければならない。
しかし、まずは日本が本当に人権を尊重する国なのか、国内を見直す必要があるだろう。
難民の受け入れ態勢はどうなっているのか、国際人権規約をはじめ人権諸条約の保留条項の批准や国内体制の整備などに遅れはないか――。
日本国内が人権を守る体制になっていなければ、人権の重要性をいくら訴えても説得力がないし、信用もされない。
そして現状の日本は国際的に人権尊重を外交の軸にする十分な体制が整っているとは言いがたい。
https://bit.ly/3bfAAdb
人権外交は国内から 遅れている人権尊重の体制
中川正春・元文部科学相
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昨年25年間の滞米をきりあげ帰国した俊英で、日本の医師免許所持者で米国経済学博士
92年に知りあって、それ以来、大注目!!
藻谷浩介・評 『日本再生のための「プランB」』=兪炳匡・著/
〈ITと金融の技術を磨いて米国の後を追う戦略を、兪氏は「プランA」と名付けるが、実現性はないと見る。
基礎研究や人文科学を軽視し、女性や外国人を排除し続ける日本に、市場開拓型イノベーションは起こせないというのだ。
東京が、今や経済的な辺境に転落した日本の中心にすぎないのに、「地方を切り捨てれば生き残れる」と思っている浅はかさも、ご指摘の通りである。〉
毎日新聞2021/5/8
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諦めさえしなければ、市民運動に敗北はない 詠人不知
=====
5月5日から大学を再開する、と宣言していた国軍。
さて、その思惑やいかに。
___
結論からいうと、再開は失敗した。
生徒も先生も、ほとんど戻ってこなかったのだ。
「軍政下の教育は受けない」という、ミャンマー人たちの確固たる意思表示。
この決意の代償は、出勤しなかった教職員の大量解雇、だった。
ヤンゴン大学とマンダレー大学という、トップ1、2の大学では教授から助手にいたるまで、実に731人が解雇された。
宿舎からも3日以内に立ち退かねばならないという。
ヤンゴン郊外出身の友人は、こう嘆いた。
「この2つの大学は、ミャンマー人みんなの憧れの、特別な大学なの。
ヤンゴンで生まれ育った子は、誰もが一度は 『大きくなったらヤンゴン大学に』と夢見て育つんだよ。
そこの先生をクビにするなんて・・・
みんなの夢や憧れの気持ちも傷つけられたみたい」
先生がいなくなった大学。
もし仮に生徒が大学に戻ってきたところで、いったい誰が教えるというのだろう。
(まさか軍人じゃないだろうな)
それに、大学の先生は研究者でもある。
様々な学問分野で研究成果を出して、国の方向性の土台をつくる人たちだ。
軍は、代わりのいない人材を切り捨てた。
ミャンマーの未来が死んでいく。
軍事クーデターによってこの国が失うものは、計り知れないと、改めて思う。
(ちなみにミャンマーの大学はすべて公立なので、ミャンマーにいる限り、国立大がダメなら私立大へ、という選択肢はない)
___
教育制度も大きく変えられようとしている。
これがまた、まったく意味不明な改正だ。
ミャンマーの学校は、11年制。
一応、小学校(5年)、中学校(4年)、高校(2年)に分かれているが日本のように「中学1年」「高校1年」などとは呼ばず、
「グレード1」から始まり「グレード10」まで1年=1グレードで、着々と進級していく。
軍はこれを「1年=2グレード」にする、というのだ。
つまり、進級のスピードを、これまでの2倍にするということ。
え?・・・待って。何のために?
思わず、ミャンマー人の同僚を質問攻めにする。
みんな5年そこらで、アイウエオから高校卒業までの内容を終えるってこと?
それとも、グレードを増やすの?今度は全部で何年?
彼は、困惑顔でこう答えた。
「そういう細かいことは何も説明されてないんだ。
目的もよくわからない。
ただ、MRTV(軍営TV局)で『1年=2グレードにする』って放送されただけ」。
決まったことを一方的に伝えて、説明も質疑応答もない。
これぞ、まさに軍政時代の教育そのものではないか。
そして、そんな理解不能な状況の中、軍は、6月1日に小中高の基礎教育も再開すると宣言している。
軍営新聞に載っていた教育省のミーティングの記事は、全生徒にノート12冊と鉛筆4本を支給し、中高生にはさらにペンも2本つけます、という超どうでもいい内容で、思わずため息が出る。
___
先生たちの訴追は、今日も続いている。
新聞には、医師と先生の指名手配リストが、毎日律儀に10人ずつアップデートされている。
罪状は、刑法505(a)。
クーデター後に軍が改訂した条文で、これによりCDMへの参加が犯罪とされた。
CDMを熱心にサポートする知人は、こう話した。
「医師や教師は、この国で本当に尊敬されてきた職業なの。
それが今や『犯罪者』で、逃亡生活をしてる。胸が痛い」。
また彼女は、CDMへの決意と迷いについても語ってくれた。
「みんな、絶対に軍政に抵抗すべきと信じてる。
非暴力で戦うには、もうCDMしかないのもわかってる。
でも、いつも自分の胸に問うているの。
クビになって、家や収入を失ってもいいのか?
患者や生徒を見捨てることにならないか?
本当にこれは正しいことなのか?って」
決意と迷いが、交錯する。
苦悩しながら、それでも前に進む。
静かな闘いが、決死の覚悟で続いている。
https://bit.ly/3o0PGZ4
「ミャンマーより、つれづれなるままに(Japanese diary from Myanmar)」
=====
カレン州に住む友達から「家の庭に防空壕を堀った」と聞いた。
まさか「お正月休み、何してた?」という世間話の返事に、こんな前時代的な答えが返ってくるとは思わなかったので、とっさに返事ができず、まごつく。
・・・
今日も「防空壕を掘るなんて、どんなに怖い思いをしていたのだろう」と思いきや、「We are ready to be attacked!(攻撃される準備はバッチリだよ)」と笑う。
なんでそんなに平然としていられるの?と聞くと「僕たちはカレン族だ。こういうのに慣れているんだよ」と言う。
どこか自慢げにすら聞こえる彼の言葉に、思わず天を仰ぐ。
「慣れている」
そう言えてしまうような事実が、確かにミャンマーにはある。
ミャンマーの少数民族地域では、独立以来、実に70年以上ずっと国軍と武装勢力との武力衝突が続いてきた。
クーデターが起きる前から、世界で一番長い内戦を戦っている国なのだという。
https://bit.ly/3xVLHBL
======
教育と、情報統制と、ワイロ。
軍政時代を知らない私が「軍政になると何が嫌なの?」と周囲の人に聞いたときのトップ3だ。
・・・
「僕たちは、愚民化されていたんだ」
私が教育について聞くと、30代の友人は怒りに言葉を震わせた。
ふだん穏やかで、ちょっと斜に構えたタイプの彼がこんな風に怒りをあらわにするのを見るのは初めてで、少し驚く。
「軍政時代、教育は常に一方通行だった。
ただ決まったことを生徒にインプットするだけ。考えさせないんだ」
いまいちイメージがつかめない私に、彼は語気を和らげて説明してくれる。
例えば、先生が「これは車です」と教えるよね。
そしたら、生徒はそれが車だと「覚える」。
質問の時間は一切ない。
車がどんな乗り物なのか、どこでどう役に立つのか・・・
そういうことはまったく習わないんだ。
https://bit.ly/3xXFHZh
======
約600世帯ほどの鉄道員家族がいたが、今のところ職場に戻ったのはまだ数世帯だけだそうだ。
戻らないとクビじゃないの?と聞くと、こんな答えが返ってきた。
「以前そういう通達が出たとき、300世帯くらいは一旦戻ったんだ。
それで、みんな『戻りました』って書類にサインして、また逃げた」
・・・
「今まで15年以上、この仕事しかしたことないから、困るよね。
でも軍政になってしまったら、もう鉄道員には戻らない」
15年以上のキャリアや住居を失っても構わない、という覚悟。
実は鉄道省の職員は、保健省(医療者)や教育省(先生)と同様にクーデター直後から、かたく団結してCDMを貫いている。
軍がむりやり列車を動かそうとした時には、鉄道員たちがみんなで線路に寝転がり、体を張って列車の運行を止めたほどだ。
どうして彼らは、それほどまでに徹底して軍政を拒否するのだろう。
https://bit.ly/3o3alvW
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Deo Favente
Annuit Coeptis
Novus ordo seclorum
E pluribus unum
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プロフェッションの特質、、、
このことについて最初に言及したの は,20世紀初頭の北米で行われた医学教育の質改革に多大なインパクトを与えた「フレクスナー レポート」の著者エイブラハム・フレクスナー (Abraham Flexner[1866-1959])である。
彼が1915年に発表した「ソーシャルワーク(医療社会福祉)は専門職なのか」(Is Social Work a Profession?)は,プロフェッションを初めて定義した論文として知られる、、、
プロフェッションが満たして然るべき要件として以下 6項目・鋭い知性に加えて,高度で専門的な知識や物事を抽象化して思考する能力を必要とする業務に従事し,自分の判断や行動について自身で責任を負う
・体系化された知識としての科学とその学習に基づいて業務を遂行する
・実務で用いる高度で専門的な知識や特殊技能は実用的でなければならない
・同業者団体を形成し,構成員相互の扶助に努める
・会員資格制度を採用し自律的な秩序を形成する
・専門職団体(職能団体)の活動は,社会公共の利益に資するように行われる
https://bit.ly/2Q1AHlc
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「厳密に言えば,企業人は,現時点でプロフェッションではなく,過去にさかのぼってもプロフェッションではありません。
プロフェッションは,長い時間を掛けて内容充実を遂げてきています。
徐々にではありますが,プロフェッションを統制するためのメカニズムが確実に構築されてきています。
規範に従わない者に課せられる制裁についても同様です。
真のプロフェッショナルについては,職業訓練を経て,資格を取得します。
また,当人の属している団体の行動基準に準拠して行動しなければ,同業の仲間内(ギルド)から追放されます。
国家資格の取得が義務付けられたプロフェッション(regulated profession)に至っては,メンタリングも実施されます。
たとえば,医師免許を取得して間もない医師は,知識や経験も豊かな医師から手引きを受けることができます。
しかし,ビジネスの世界には,いわゆるインターン制度がなく,国家資格を取得する必要もありません。
利殖の才と法律遵守のマインドさえ身に付ければいいのです。」
https://bit.ly/2Q1AHlc
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ギダンさんは、戦前、政治に左右されることが多かった司法。
ギダンさんはそれを強く憂いていました。
「裁判がその時の政治的勢力に左右された形跡ありとみられる事例は、歴史の法廷においては常に醜いものとして再批判されます。
学問が政権から超然としておらねばならぬように、裁判も常に政権政治的な動きからは超然でなければならぬと信じます。
裁判は政治ではない。
一切の政治的勢力ないし影響から超然として、法によってのみなされる所に司法の尊厳があり、国家を盤石の安きに置く補償があるのです。」
https://bit.ly/2SuhQ32
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9条の平和主義、25条の生存権です。
そのほか、17条の国家賠償請求権も、40条の刑事補償請求権にも関わっていた。
ギダンさんの弁
「日本国民はお上のやったことに対して訴えを起こすななどと言うことは出来ることではない、そう言うことは不届き千万であるという観念がありまして、そういう訴えを起こすことは出来るのだぞと言うことを国民に理解させておくことは国民の権利保障の上に非常に大事なことであります。」
ギダンさんは、なぜ憲法修正にこれほどまでにこだわったのか。
https://bit.ly/2SuhQ32
=====
「法は思想は之を罰せず、罰するを得ず」
法廷でのギダンさんの言葉
「「法は思想は之を罰せず、罰するを得ず」という大原則があります。
特定思想の抱懐の故をもって、直ちに刑罰の目的としえない所以のものは、一種の天賦権としての人間の思索の自由なるものがあるからでありまして、観念の世界でだけ考えている限りは道徳は関与し得ましても、法律は干渉し得ないのであります。」
https://bit.ly/2SuhQ32
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インタビューでは平和を掲げる五輪精神との矛盾を指摘し、世界や国際オリンピック委員会(IOC)にものを言えない日本政府の姿勢も疑問視
◆「五輪の映像を見て勇気づけられる状況にない」
◆「何ということに加担してしまったんだ」
◆日本へ「他者を思える国であってほしい」
五輪でも「ノー」と言って、将来「あの時の判断で世界が救われた」と言われる国になってほしい
https://bit.ly/3uwKP4o
復興五輪「架空だった」…罪悪感抱く宮本亞門さん、IOCや政府を「利己的」と批判
インタビュー詳報
=====
「新型コロナウイルス感染症等の感染拡大に伴い、看護職の確保が不十分な状況に至っております」
平身低頭、お願いや協力を依頼する文言が繰り返されていた
「資格を持ちながら離職している『潜在看護師』の活用を考えているのでは」
「現場から看護師を送り込む余裕はない。もし動員したら、一般の診療に影響が出る恐れがある」
「地域の医師はワクチン接種で手いっぱいだ。
医師資格を持つ自衛官にも接種を頼むくらい人手が足りないのに、派遣は不可能だ」
観客数に応じて必要な医療従事者の人数を割り出すのではなく、まず確保できる医療従事者の人数を確定させて、それに応じて観客数を決める
https://bit.ly/2Q38cUl
東京五輪が社会のリスクに
今も続く医師、看護師の大量派遣依頼、現場は「不可能だ」
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日本は人権尊重の国か
ミャンマーや新疆ウイグル自治区など権力による人権侵害が多発する中、日本は人権尊重を価値観とする外交を展開すべきだ。
前稿<大国の思惑に影響されない人権外交>でも触れたように、人権の尊重は日本国憲法の基本理念でもあり、平和国家を標ぼうする日本こそ前面に出していかなければならない。
しかし、まずは日本が本当に人権を尊重する国なのか、国内を見直す必要があるだろう。
難民の受け入れ態勢はどうなっているのか、国際人権規約をはじめ人権諸条約の保留条項の批准や国内体制の整備などに遅れはないか――。
日本国内が人権を守る体制になっていなければ、人権の重要性をいくら訴えても説得力がないし、信用もされない。
そして現状の日本は国際的に人権尊重を外交の軸にする十分な体制が整っているとは言いがたい。
https://bit.ly/3bfAAdb
人権外交は国内から 遅れている人権尊重の体制
中川正春・元文部科学相
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