前説1
トランプ支持だという人々の爆弾使用。これはニヒリスト、アナーキストあるいは不定形の破壊衝動か。
前説2
「朝鮮通信使」の報道は懐かしかった。子どものころ、NHKラジオと東映映画は『新諸国物語』シリーズを制作。「紅孔雀」「七つの誓い」「笛吹童子」「オテナの塔」など。まだ5歳前後で内容がわからなくても、登場人物の服装は、朝鮮や封建制下の中国と似ていた。今思うと日本と朝鮮との対等な平和社会が描かれていた。
3 本論
釈放された安田純平さんに対する「自己責任」をもとにしたバッシングは酷い。そんな中でメジャーにいる投手ダルビッシュの言動に驚いた。
あいつぐバッシングに迎合せずダルビッシュ投手はこう書いた。
〈一人の命が助かったのだから、自分は本当に良かったなぁと思います。自己責任なんて身の回りに溢れているわけで、あなたが文句をいう時もそれは無力さからくる自己責任でしょう。皆、無力さと常に対峙しながら生きるわけで。人類助け合って生きればいいと思います〉
吹き荒れる安田氏への「自己責任」の声に対し、「助かって良かった」「助け合って生きていこう」とメッセージを発信したダルビッシュ。約4万件の「いいね」が押されているが、同時に自己責任論者からの反論や批判も殺到。だが、ダルビッシュはそれらに怯まず返答を展開していったのだ。
安田純一さんのように現地にわが目で事実を見るジャーナリストがいるから、世界は現実の危機を認識できる。「ずっと現状を見放してきたことが問題の根源」と安田さんはシンポジウムで語った。このようなジャーナリストをどう政府が扱うか。それによってその国家と国民の、「民度」がリトマス試験紙のようにわかる。
「自己責任」は新自由主義のキイワード。あの小泉純一郎政権が、「自己責任」を喧伝し、なんと教育の現場でさえ「自己責任」が国語授業など教室にはびこった。やがて「自己責任」論は公教育で破綻。しかし日本はネットに根をはやしてしまった。現実の場で認識形成を。日本の戦場ジャーナリストバッシングは世界で稀有で他国は異なる。
#安田純平さんバッシング、#報道への政府と国民の対応。戦犯の戦後の過酷な歴史。私はぼおっと見ていたが、はっと思った。これは過去の歴史にとどまらず、近未来の危険な可能性ではあるまいか。
#B級C級戦犯 で私は元東京放送(TBS)テレビフランキー堺さん主役の『#私は貝になりたい』を忘れられない。東宝映画でも制作され、幼い私も見た。原作は少し異なる結末だが、ラストの「私は深い海の底の貝になりたい」が心に刻まれた。最近中居さん主演でテレビで放映、フランキー堺さんには及ばないがよかった。。