よく学ぶ者は人の非を咎むるに暇あらず
「集義和書」
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【山本太郎テレビ出演のお知らせ】
明日5月3日(月)、NHK総合テレビ「憲法記念日特集」に山本太郎がインタビュー出演
憲法記念日特集「新型コロナと憲法~問われる“個人の自由”~」
〔NHK総合〕午前10時5分~午前11時20分(予定)
※各政党の放送は11時頃からになります。
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「近代に抗いつつも安易に前近代を美化しない」
『苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神 』田中優子
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高田昌幸 masayuki takada@masayukitakada 5月1日
【こんなことが政府機関で繰り返される国になってしまった。どこぞの独裁国家かと思える。
本当に酷いな、入管。
人権をつかさどる法務省の機関だよ。言葉がない→】
死亡スリランカ人女性、CT画像に白い影 名古屋入管、不適切対応の疑い | 毎日新聞
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中野晃一 Koichi Nakano@knakano1970 50分
メディアは、市民がどれくらい自粛してるかしてないかを監視する情熱と同じだけ、
政府が何をしてるかしてないかを監視したらもう少し信頼されると思うよ。
取材の発想から伝える内容まで、あなたたち統治機構の一端を担ってると思ってるでしょ。
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「はっきり言って、五輪には原点は存在しないんです」
「クーベルタンは平和運動ということを言っただけ。彼自身は、女子はスポーツしない方がいいと言ったし、近代五種という競技はスウェーデンの軍隊につくってもらった」
「そもそも今回なぜ日本で五輪をやろうと言い出したか。最初はJOC(日本オリンピック委員会)と日本体育協会(現日本スポーツ協会)ですよ。(1988年ソウル大会招致で)名古屋が負けて(2008年北京大会招致で)大阪も負けた。なんとかもう1回日本でやれないかという淡い期待があり、それに乗ったのが超党派のスポーツ議員連盟なんですよ」
「日本のスポーツ産業の市場規模がものすごく小さくて5兆円程度の規模を15兆円程度まで増やせるはずだと。『体育』行政では成長産業にならないから『スポーツ』行政に変えるためにスポーツ庁をつくらないといけない。行財政改革が叫ばれる世の中で新しい省庁をつくるには、五輪を呼べばいい。こういう発想ですよ。それまでプロスポーツは経済産業省、体育は文部科学省、体育館やスタジアム建設は国土交通省、障害者スポーツは厚生労働省と分かれていた。1964年の前に制定したスポーツ振興法はプロスポーツやパラリンピックについて全く書いていないから、それに代わるスポーツ基本法をつくらないといけない。そうして法律が変わり、スポーツ庁ができ、体育の日がスポーツの日になり、日本体協が日本スポーツ協会になり、国民体育大会が国民スポーツ大会になる。だからある意味では東京五輪の目的はもう達したとも言えて、あとはお祭りのイベントを開催するだけ」
「84年大会の収支を調べてみると、収入も支出も、借金が膨れあがった76年のモントリオールやソビエトが国家を挙げて開催した80年のモスクワより少ない。ロスはその当時開催立候補に手を挙げる都市がなくて、税金を1セントも使わないとロサンゼルス市議会が議決した。そこで聖火リレーも、走りたい人からお金を支払わせることにした。聖火まで商売にしたとものすごく非難があったけど、政治家や関係者が内輪でランナーを決めていたのを、お金さえ払えば誰でも走れるようにした。そうしたら聖火リレーだけでものすごい黒字。新しい建物を一切造らず、メインスタジアムは1932年のロス五輪の時の会場を改修して使った。プールや選手村はUCLAの大学施設をそのまま使った。その結果、ロスの組織委員会は黒字運営ができ、その利益で米国のスポーツ界は潤ったのです。それを見たIOCが、そのやり方を奪い取って全部IOCの利益にした」
「あらゆるスポーツ大会を五輪にして世界平和を訴えた方がいいと最近、私は思いだした。そのきっかけは、テニスの大坂なおみ選手が全米オープンで黒いマスクをして優勝したのを見て。あの黒いマスクは、五輪では禁止なんですよ」
「大坂選手は『スポーツマンはスポーツだけしていろというのは、IKEA(大型家具店)に勤めている人はIKEAのことしかしゃべれなくなりますよ』と言った。素晴らしい発言です。五輪がなぜ政治的メッセージを禁止しているかというと五輪そのものが政治だから。政治的な騒動に巻き込まれたくない。昨年の秋に、世界の160を超える人権団体が2022年の北京冬季五輪開催を再考するようIOCに要請した。ウイグルやモンゴル、香港での中国政府による民族弾圧や人権問題です。中国政府は、スポーツに政治を持ち込むな、と反発し、IOCは政治的問題に関わらない。でも『政治的問題に関わらない』というのも政治です。平和運動も政治でしょう。戦争が政治の延長ならば反戦も政治の延長。そういったことを五輪は全部ごまかしている」
https://bit.ly/2QOQeFh
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医師が「患者の人権を尊重する」のは時代遅れで世界の非常識
(書評より)全医師必携の書:衝撃的なタイトルだが,
第二次大戦後の世界医師会(WMA)のジュネーブ宣言以来の取り組みを紹介した本である.
主にリスボン宣言の患者の人権に焦点を当てている.
この宣言は,ナチスの合法下に行われた人体実験の反省より,患者の人権(自然法)を国内法などよりも最優先として医師に求めている.
日本医師会はWMAに属しているが,訳に現れるようにその精神が伝わっていない.否,伝えたくないのだというのが著者の主張である.
731部隊の人体実験から和田心臓移植事件、そして最近の大野事件,その結果としての医療崩壊と日本の医療問題が解き明かされていく.
後付け論理のような点もあるが、さて日本医師会はどのように反応するのか?
考えるところの多い本である.
医師のみならず医療問題に関心のある方全てにお勧めである.
(書評より)著者がムラ八分にならないか心配
日本のお医者さんたちが、お上に奇妙なまで弱い、あるいはお上に何でも頼るのは、こういう歴史が隠れていたからなんだなと驚くと同時に、今までどうにも腑に落ちなかったことの多くに説明がついて納得。著者にとっては、これを書くことも医の倫理の実践なのかな?
ただ、読んでいるうちに、現在の日本で健全な医療を期待すること自体、かなり無理があるかもという気になってくる。
しかも、ほとんどの人は、このことに気づいてないと思われる。多くの人に、読んで、気づいてもらいたい。
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「日本は夢の国だった。
アニメや知人の話から知らされた日本はすばらしいものだ。
だから日本に来たのを後悔していないし、N社には感謝している。
しかし、了解もなく来日当初から1年間就労の機会がなく放置されることはつらい。
何もしないで給料をもらうのは苦痛だ。
だからここにはいられないと思った。
私は働きに来たのである。
日中一生懸命働いて、夕方に課されるテストで落とされるのも屈辱である。
会社は労働者の言葉に声を傾けてくれたことはない。
障害を持つ子がいたり、ひとり親だったり、いろいろな労働者がいる。
ただひたすら落とされる運命のために生きて行くのは苦痛である。
これは労働者の尊厳の問題である」。
これはN社を退職したフィリピン人家事労働者の言葉だ、、、
「日本における外国人家事労働者」 京大准教授 安里和晃
「文化連情報」21年5月号掲載
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ボアールの演劇
(アウグスト・)ボアールにとって、演劇は、現実の問題を浮かび上がらせ、それを変革していくための一つの手段である。
彼の演劇の目的は、観客の抑圧感を取り去ること、観客を観客という状態から解放し、自分で考えて行動を起こす存在に変えていくことにある。
彼は、自己の演劇を、「実験的な形式を用いた一種の討論集会」と言っているが、その言葉が示すように、ボアールの演劇では、観客は演劇者=行為者(actor)となり、自分の気に入らないように劇のストーリーが進んだ場合は、いつでも劇に介入し、劇の進行を変えることができる。
そして、演劇的なしかたで自分の考えを表現することが求められるのである。
ボアールは、このような観客でもあり演技者でもある存在をスペクテクター(spectactor)と呼んでいる。
ボアールは、舞台を見るだけのいわゆる「観客」という状態は、人間を人間以下の存在にするものに他ならないと述べている。
なぜなら、観客は、舞台上の出来事をただ傍観することしかできず、そこに介入することが禁じられている存在だからである。
ボアールは、演劇に限らず、人間を観客という存在形式の中に閉じこめることこそが、抑圧の始まりだと考えている。
演劇における「演じるもの」と「それを見るもの」との分離とその固定化は、主体的な演技者と受動的な観客という構造を生み出すだけでなく、「支配するもの」と「支配されるもの」は固定しているのだとする支配者側のイデオロギーを強化するものとなってしまう。
つまり、「演じるもの」と「それを見るもの」という構造は、そのまま、社会の抑圧者ー被抑圧者の関係に他ならないのである。
https://bit.ly/3xG4NM3
アウグスト・ボアールの演劇方法論の変遷に関する一考察 変革のリハーサルから療法まで 須崎朝子
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別役慎司の演劇教育コラム 2018年8月31日
vol.6 被抑圧者演劇へと繋がったパウロ・フレイレの「被抑圧者の教育学」
歴史的な名著、パウロ・フレイレの「被抑圧者の教育学」が50周年記念版として新しく出版されました。この「被抑圧者の教育学」のなかには、教育に携わるものや社会課題に挑戦しているものにとって、重要な示唆がたくさんあると思います。パウロ・フレイレのこの考えは、アウグスト・ボアールの「被抑圧者の演劇(Theatre of the Oppressed)」にも受け継がれており、演劇教育家としても無視できません。
パウロ・フレイレ(Paulo Freire,1921-1997)は、ブラジルの教育実践家であり、被抑圧者の教育学では、格差社会において無知が故に自由を奪われて不利益を被ってしまっている農民や労働者らを啓発しました。
抑圧するものと抑圧されるものの対立関係
人々がみな自由に人生を謳歌する上で障害となるものはたくさんあります。世界の仕組みを作っているのは豊かな国の豊かな人たちであり、彼らにとって都合の良い世界が広がっています。貧しい暮らしをして、夢や労働や満ち足りた生活の機会を奪われたりしている人たちは、無力感と無知でただ虐げられるばかりです。そこで、力を合わせて無知を克服し、問題解決を彼ら自身で図る必要がありますし、豊かな人たちと理解の溝を埋め、協力し合って世界を変えていく必要があります。
パウロ・フレイレ今なお、格差社会は広がっていますし、異常気象や天災だって、人間が引き起こしているものです。50年という歳月が流れていても、全世界的にこの本は問題提起し続けています。
確かに、寄付や支援などたくさん存在しますが、フレイレが指摘するのは施しではなく相互理解です。豪華なホテルに泊まり、時計もパソコンもブランドの服も持っている人が貧しい地域をちらっと視察したところで、いったいなにが理解できるのでしょう? 同等の立場で、話し合いをすることが必要ですし、教育を受けた豊かなものも、相手は無知でなにもしらない連中だと決めつけて、偏った視点の一方的な支援策を押しつけるのも問題です。
また、「自由への恐怖」というものもあり、抑圧者は支配する自由を失う恐れ、被抑圧者は覚悟を持って生活を変える恐れがあり、こうしたものも障害になります。自由を目指す教育のためには、抑圧されていると距離を置くことはできず、かわいそうだという人道的な支援対象にしてはいけません。抑圧する側のエゴは偽りの寛容さを見せ、結局抑圧を持続させることになってしまうとフレイレはいいます。
銀行型教育と問題解決型教育
フレイレが痛烈に批判しているのが教育です。彼は「銀行型教育」と呼びました。それは、脳の口座に知識を貯め込んでいくだけの詰め込み型教育です。銀行型教育では、現実をありのままに見て、解釈することが出来ません。そこには、既にレッテルが貼られているのです。
パウロ・フレイレ銀行型教育は増え続ける人口と、効率よく民衆をコントロールする上で広く普及されています。日本の教育はまさに銀行型であり、自分でものを考えられない応用のきかない人材を多数輩出しています。
人間をモノとして捉えるという過った価値観ではなく、生きた人間として愛を持って接しなければならないのです。現代は、AIが進化し、命を持たないモノとして労働に参加するようになりましたが、人間がこのモノの状態ではいけません。抑圧された状態ではモノ同然なのです。
フレイレは銀行型教育ではなく問題解決型教育を推奨しています。銀行型教育は持続に重点を置いていますが、問題解決型教育は変化に重点を置き、革命的です。
対話性について
問題解決のための教育のためには、対話が重要になります。対話のないところにコミュニケーションはなく、コミュニケーションが成立しないところに本来の教育はないと彼はいいます。抑圧されるものは沈黙を余儀なくされているケースが多く、昨今日本でもパワハラ問題がクローズアップされていますが、ようやく声を上げるという事例が出てきています。しかし、両者に対話がなく対立している様がただただワイドショーで取り上げられ、コメンテーターや世論は批判ばかりしているという構図も人間的な本質からは外れています。
わたしたちは世界の中で生きていると、必ずなにか解決すべき限界的な状況に数多くぶち当たるものです。こうした課題をフレイレは「生成テーマ」と呼びましたが、このテーマに対して調査探索し、理解し、建設的に対話を通して解決させていくことが、現代においても大切なのです。
・・・
https://bit.ly/2Ridg7m
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中国「脱貧困」は本当か 農村調査20年の東大教授語る
聞き手・小早川遥平 朝日新聞 2021年4月16日
農村部などで貧困人口をゼロにする「脱貧困」の目標を達成した――。中国は昨年末にこう宣言し、今年3月の全国人民代表大会(全人代)でも大々的にアピールしました。中国では都市部がどんどん発展する一方で、それを支える出稼ぎ労働者を送り出す農村部との格差がよく問題になります。古くは毛沢東時代の戸籍制度の違いに由来する格差や貧困は、もう過去のものになったのでしょうか。農民層に国の政策への不満はないのでしょうか。20年以上にわたり中国の村々でフィールドワークを続け、当事者の目線から農村問題を研究している東京大学の田原史起教授(農村社会学)に聞きました。
――中国が「脱貧困」を宣言しましたが、どう受け止めていますか。
中国政府が目標の達成に相当力を入れてきたことは、間違いありません。中国ではレッテルを貼ることを「帽子をかぶせる」という言い方をしますが、貧困もレッテルの一つで、「貧困県」や「貧困村」、「貧困戸」という帽子をかぶせられた県や村、世帯を少しずつ減らしてきました。今回も「帽子を脱ぐ」という表現で、脱貧困を達成したことが報道されています。
実態としても、政府がメンツをかけて貧困世帯への補助金などの資源を投入しているので、ひどい貧困がたくさん残っているのにうその報道をしているとか、貧困が解決したことにしている、ということはないと思います。
――1人あたりの年収を4千元(約6万6千円)以上に引き上げることが一つの基準になっているようです。
一概には言えませんが、最低生活保障として村の中の困っている人たちにお金を配ったり、子どもがいない
お年寄りには「五保戸」といって、衣食住や葬式を保証したりする制度があります。政府の資金が様々な形で末端まで入っているので、貧困のために餓死するリスクは中国の農村ではとても低くなっています。
――目標達成は対外的なアピールなのでしょうか。
中国の内政を考えたときに、この10~15年間、農村問題は重点中の重点でした。2002~12年の胡錦濤(フーチンタオ)政権以来、中国政府は農村の生活の底上げを図ってきました。12年に始動した習近平(シーチンピン)政権はさらに一歩進めて、公共サービスや教育、医療で都市との格差を縮めていこうとしています。海外に向けて成果を誇るということではなくて、やはり農村問題は内政の重点であるということを押さえることが大切だと思います。
――農村が安定しないと国が安定しないということでしょうか。
そうです。中国の場合は選挙がないので、政権交代で問題が解決するというパターンが存在しません。社会の混乱の元がないか、もめ事を起こしそうな人がいないか、県レベルの政府が農村を常に見張っています。変なことがおこりそうになるとあらかじめ芽を摘んでいるのです。
――そうした中国の農村で長くフィールドワークを続けてこられましたが、もともとはどういう理由からだ
ったのですか。
中国は大きな国なので、都市部の「点」だけを見ていては周囲に広がる農村のような「面」が見えてきません。日本では得てして、点の部分で起きたことが強調されて伝えられる傾向があります。メディアで取り上げられる衝突やもめ事はそれ自体は本当なんだけれども、その他の大部分では何も起きていない、ということがよくあります。
また、政府や知識人が外からの目線で農村を語ることがあっても末端の人たちの声が聞こえてきづらく、認識の偏りがあるとずっと思ってきました。なので、私はあえて何も起きていない農村に分け入って研究を続けています。
――中国という国で自由に研究をできるものなのですか。
結構、ジレンマはあります。公式なルートで農村に入ると調査は許可されないので、私的な友だち関係で入ります。その地域を管轄する幹部が気づいて、公安が来る、といったことはしょっちゅうあります。それでダメになってしまった調査地点もたくさんあって、近年は農村での調査自体がかなり難しくなってきています。
――北京や上海といった大都市に出稼ぎにくる「貧しい農民工」という像は、一部を捉えているにすぎない
のでしょうか。
そうですね。出稼ぎについて理解するには、中国の農村の歴史を知る必要があります。中国では1955年ごろから農業の集団化が進められ、50年代の終わりに人民公社が作られました。土地の個人所有を廃してみんなの土地にしたのです。80年代初頭には人民公社が解体され、今度はみんなに土地の使用権を分けたのですが、そのときにものすごく平等な分け方をしました。みんなが同じくらいの土地を持っているという状況ができあがったんです。
家族の中で50~60代くらいの世代が村で分配された農地の経営をやって、若い30~40代くらいの子世代が出稼ぎに出ます。たとえ解雇されたとしても農村に帰ることができるので、安心して出稼ぎに出られます。もちろん都市近郊には農地を政府に買い上げられてしまった人もいますが、都市から離れた普通の農村の人たちは今でも定期的に都市と農村を行き来して「環流」しています。
――農村から都市の一方通行が多い、途上国の都市化の問題とは少し事情が違うのですね。
スラムがないのが中国の特徴です。よく出稼ぎ者が住んでいるところをスラムだと勘違いしている人がいますが、スラムではありません。都市での仕事が立ちゆかなくなったら、みな帰る土地を持っているからです。
2008年のリーマン・ショックの際にも、その強みが現れました。解雇された労働者の多くは農民工でしたが、いったん農村に帰って次の機会をうかがったり、50代以上の人であれば早めに出稼ぎ人生を終えて農業をやったり、というように臨機応変に対応しました。全体として、金融危機は中国社会に混乱を生じさせなかったのです。
――今回のコロナ禍ではどうだったのでしょうか。
コロナが広がったのはまさに昨年の旧正月で、農民工の人たちが農村に帰っているときでした。しばらく街には戻れないけど、待機して様子を見ようということができたわけです。このところ中国に行けていないので具体例は分かりませんが、今はコロナも収まっていますし、多くが元通りになっていると思います。
――統計では、中国の都市と農村の収入格差は3倍超に拡大していますが、農村の人々に不満はないのでしょ
うか。
農村の方と話しているときに感じるのは、都市市民と自分たちを比べるという習慣がほとんどないということです。それは歴史的に説明することも可能で、1960~70年代の毛沢東時代は都市戸籍と農村戸籍が区別され、都市人口が全体の約20%、農村人口が約80%になるようにコントロールされていました。もともと不平等なことが当たり前になっていて、都市は憧れの対象ではあっても、怒りや不満を持つ対象ではないのです。
外から見る人は、国民は絶対に平等であるべきだという前提で話をするので、その気持ちは分かりにくいと思います。でも、農民にとってこの15年ほどは毎年収入も上がって、物質的に豊かになり、家を建て、新しい家電を買い、子供にもより良い教育を与えられるようになりました。それはそれで満足なわけです。
――毛沢東時代を知らない若い世代はどうでしょうか。
次の世代により良い教育を与えるために都市に入っていくということはありますが、出稼ぎ先の大都市や省都は地価が高いため、「県城」と呼ばれる地方の小都市に家を買うのが現実的です。
――右肩上がりの生活で不満がないようにも思いますが、政権が農村問題に重点を置くのはなぜですか。
私は「脱政治化」と呼んでいるのですが、中国では選挙がないので、民衆の草の根の生活と政治との間の直接的なつながりが欠けています。農民にとっては政治的な権利とか言論の自由とかはどうでもよくて、生豊かになることが大事なことでした。彼らは習近平政権にとっての一番の支持母体でもあります。中央政府のおかげで我々は豊かになったと容易に満足してくれます。
逆に政府のレベルが下にいくほど、農民たちの不満の対象となります。一番の標的となるのが末端の村幹部です。村幹部は最低生活保障を村民に配る役割を持っているので、「誰に配ったのか」「あの家はもらえたのにうちはもらえない」というのが不満の種になるんです。私の調査地でも「中央の政策は良いが、それが実施されない」という不満をよく聞きます。
――中央政府への不満よりも、身近な不公平感に目が行くということですか。
歴史的な背景もあると思います。中国の皇帝はとても遠いところにいて、中央の権威を普通の農民は疑わないところがありました。それに対して、下にいくほど直接接するわけなので、悪いところも見えてくるということでしょう。
――農民層を無理やり都市に移住させていることへの批判もあります。
中国では大前提として食糧安全保障の観点から農地を減らせないという事情があります。計18億畝(ムー、約120万平方キロ)をレッドラインとして死守しないといけないとされ、地域ごとに指標があります。都市化をするには県城周辺の農地を収用して都市を建設しないといけないというジレンマもあります。収容した都市郊外の農地の面積を埋め合わせするために、農村の集落をつぶして耕地に造成し、その代わり住民を集合住宅に押し込むということをやっています。地域差がありますが、山東省や河南省など東部や中部の平坦(へいたん)な地域を中心に農民を移住させるという現象が起きています。
――貧困削減策としてやっている面もあるのでしょうか。
それもあります。貧困削減のプロジェクトの一環として、貧困人口を県の中心の集合住宅に補助金で誘導して移住させるということをやっています。貧困人口も減り、都市化も進むので、現地の幹部にとっては功績にすることができて一石二鳥なわけです。
――急に生活が変わって、やっていけない人たちもいるのではないですか。
もちろんそうしたやり方には色々な問題があります。私の知っている事例では、貧困世帯として援助を受けて県城に家をもらったら村にある家は壊さないといけない、という決まりがありました。でも、農地が残っているから村に出かけて行くのだけれども、家がないから知り合いの家に泊めてもらっている。かなり強制的にやるので、彼らが生まれ育った農村の景観が壊れていっています。そういう意味では荒っぽい政策が行われているのは事実です。
――農民層に不満はないのでしょうか。
お金次第というところもあると思います。補助金の割り当てがうまくいっていれば、政府のやっていることは仕方ないと思う習性があります。先ほどの「脱政治化」ですね。色んな不満の原因は、身近な他人と不平等な扱いを受けたときにもめ事が起こるというパターンが多いわけです。
――脱貧困を達成した今、中国の農村問題の課題は何ですか。
県城の都市化です。特に発展が遅れている中部、西部では、労働力を吸収できるような産業がなく、大学を出た人が就けるようなホワイトカラー的な仕事が少ないです。政府にとっても課題であるし、これから高い教育を受けながら地元の県の県城での就職を希望する農村の子弟にとっても課題ということになっていくと思います。
(今さら聞けない世界)(聞き手・小早川遥平)
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JR山手線の電車内で、赤ちゃんを抱いた女性が中年の男に怒鳴られていた。赤ちゃんは大声で泣き叫んでいた。男は母親に「うるさい。黙らせろ!じゃなきゃ次で降りろ」と暴言を吐いた。母親は動揺しながら「すみません」を繰り返し、必死に赤ちゃんをあやし続けた。周囲はそれを見て初め驚いた。が、一呼吸を終えた後、近くにいた年輩の女性が口を開いた。彼女は男に向かって「あなた、その言い方はないでしょう」と言った。しかし男はこの女性にも怒りをぶつけた。「周りの皆が思っていることを俺は口にしただけだ。文句あるのか」と、己の行為を正当化して止まない。
私はいたたまれない気持ちになり、男に「誰もそんなこと思っていませんよ。あなたが次で降りればいいでしょう」と強気な口調で返した。幸い周囲もこちらに与するような雰囲気に包まれていた。これを察知したのか、男は黙り込み、次の駅で降りた。しかし彼は電車から降りた直後、外から車両の窓を殴った。そして、もはや聴こえなかったが、何か憎悪に満ちた言葉も吐き棄てていたようだった。
私はこのとき、「待てよ」と思った。この状況は何かと同じではないか。そう、第二次世界大戦下末期の沖縄で、ガマ(防空壕)で実際に起こった光景そのものだ。私は直接体験していない。しかし戦場を生き延びた人々からは、この類の話をよく聴いていた。時空こそ超越しているが、やはりあの時も、電車の中で母親を怒鳴りつけた男のような軍人は存在していたのだろう。ただあの時と違うのは、電車内の男が銃剣を握っていなかった、ということだけでしかない。
http://onnagumi.jp/koramu/anosuba/anosuba15.html
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「たとえば、ひとを千人ころしてんや、しからば往生は一定(いちじょう)すべし」
と、おおせそうらいしとき、
「おおせにてはそうらえども、一いち人にんもこの身の器量(きりょう)にては、ころしつべしとも、
おぼえずそうろう」
と、もうしてそうらいしかば、
「さてはいかに親鸞(しんらん)がいうことをたがうまじきとはいうぞ」と。
「これにてしるべし。なにごともこころにまかせたることならば、
往生のために千人ころせといわんに、すなわちころすべし。
しかれども、一人(いちにん)にてもかないぬべき業縁(ごうえん)なきによりて、害せざるなり。
「歎異抄」
「それではまず、ひとを千人殺してみなさい。そうすれば、浄土への往生は決定するであろう」とおおせになった。それに対して「聖人のおおせではありますけれども、たとえ、一人たりとも私のようなものには殺せそうに思えません」と答えたところ、聖人は「それでは、どうして私が言うことに背かないと言ったのですか」とおおせられて、「これによって、わかるでしょう。すべてのことが、自分の思うままになるのであれば、浄土往生のために、ひとを千人殺せと言われたならば、ただちにそうできるはずである。
しかし、一人たりとも殺してしまうような宿業の深い背景がないから、殺せないのである。
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「一言だけ言わせてください」
「あなた達の授業は最低だ。この大学の授業料でこの程度の内容では釣り合いが取れない。もう少し真剣に教育を考えて授業内容を改善していただきたい。このままで良いなどと思わないでください。これを在校生への私からの贈り物として目録の最後に付け加えます」
https://bit.ly/3gUXb2d