筑肥線の思い出繋がりでもう1枚。
博多駅の筑肥線ホームである1番線にて、行商帰りの天秤棒を担ぐ女の人。
きっと朝一番の列車で、唐津方面から玄界灘の魚をぎっしりと天秤棒の先のかごに入れて福岡の街中で行商を終えた帰り道だろう。
こんなスタイルの商売もめっきり平成の世では見なくなてしまった。
1976年4月23日 筑肥線博多駅1番ホームにて キハ17164と行商の女(ひと)
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筑肥線の思い出繋がりでもう1枚。
博多駅の筑肥線ホームである1番線にて、行商帰りの天秤棒を担ぐ女の人。
きっと朝一番の列車で、唐津方面から玄界灘の魚をぎっしりと天秤棒の先のかごに入れて福岡の街中で行商を終えた帰り道だろう。
こんなスタイルの商売もめっきり平成の世では見なくなてしまった。
1976年4月23日 筑肥線博多駅1番ホームにて キハ17164と行商の女(ひと)
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古い物と新しい物、都会と田舎の境目が曖昧な不思議な時代だったなあと改めて。
ホームにある屋根の構造も時代を物語りレトロですね。
現存すれば世界文化遺産にもなりそうなシロモノです。(爆笑)
行商の風物と合わせて貴重なものを見せて貰いました。
地方に行くと、ごく普通に見られた光景でしたが、
90年以降、すっかり姿を消してしまった感があります。
確かに見た光景なのですが、私は記録せず…。
電関人さんらしいカメラアイに脱帽です!
そうなんですよ。
筑肥線は、博多駅に懐かしい昭和の光景を80年初頭まで
見せ続けた不思議な路線だったのです。
確か昭和37年に落成した2代位目の博多駅。
電関人の最も身近な鉄道写真の道場でした。
こういった行商の人々を山陰本線下関口でもたくさん見かけていましたが、
写真に残せていないのがとても残念です。
鉄道が織りなす昭和の生活の場面をもっとたくさん切り取ってみたかったですね!
キハ17に、かつぎ屋のおばさん。
昭和には各地で見られた光景。
山陰でもいつも見た風景なのに記録に残していない。
やはり、こういったシーンもきちんと記録しないとダメですね。
自分でフィルム現像を覚えて、写真がどんどん面白くなりかけている時期でして、
しょっちゅうOM-1にトライX込めて博多駅に行ってましたから、
こんな風景を何気なくパチパチ撮っていました。
昔は電車に乗ると、良く行商のおばさん達が大きな荷物を背負って乗ってくるのを目にしました。
でも、天秤棒は見た事がありません。
山陰でも見かけたのはほとんど女性でした。
旦那は漁師で沖に出て、奥さんがこうして収入のお手伝いをする。
本当に昔の女性はタフで頭が下がります。