電関人がしきりに筑豊地区に通うようになった頃には、産業の主軸は石炭から石灰に移っていました。
関東の武甲山のように山一つ石灰岩の香春岳はみるみる削られてゆくほど世の中は成長期で積み出しの貨物列車も
頻繁に発着していました。
まだ腕木式の信号が当たり前だった時代に、初代のセメントホッパ車ホキ3500を連ねたセメント列車がDD51に牽かれて、
香春駅構内で信号待ちをしています。
1977年撮影 日田彦山線 香春駅にて
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あの頃は室木線もあったし、筑豊も盲腸線が多く健在。
遠征のメインは、鹿児島交通だったりしましたが(笑)
D51からDD51に代わっても、非電化区間はやはり良いですね。
腕木信号機も懐かしい...
電関人がもう少しだけ早く鉄道写真に目覚めていれば、
この辺を闊歩していた9600の写真が撮れていたのでしょうが・・・。
ちょっと間に合いませんでしたが、其処彼処に
まだ蒸機の香りが漂う筑豊を毎週のように彷徨っていました。
1970年に初めて九州に行ったときはこの辺りはSLの宝庫でした。
このホキ3500も蒸機世代の貨車です!
後藤寺線の船尾とかめっちゃ渋いホッパービンの
ある駅などガキ鉄だったのでカメラを向けていないのが
返す返す残念でなりません。
一番残念なのは、覗きに行ったのに写真が無い
貝島炭鉱です。。。