昨年末法事で帰福の際、大宰府にお参りに行った時のこと。
その際に西鉄電車で久々に出掛けて途中駅の二日市で太宰府線に乗り換えるのですが、
二日市にはかつて車庫がありました。
既に私が高校生の時代に、新しく筑紫に車庫ができていましたがまだまだこの二日市車庫も元気に機能していました。
しかし、何十年か振りに見たそこはきれいに整地され駐車場になっていて当時の名残はなにも有りませんでした。
1979年当時の二日市車庫。
木造の三角屋根の建屋がなんとも車庫の風格を出しています。
左から前哨灯改造後の600形(ほんの一時旧塗装でしたがその後アイスブルーとボンレッドに変更されました)と310形の主力車。
その横には、旧600形改造の1300形の姿(新塗装にされましたが、ほかの1000形より古いため3扉・冷房化はされないままでした)
が仲良く佇んでいました。
さらに、この時遥々甘木線限定運用になっていた200形が検査で入場していました。
「廻送」の文字がレトロですね。
奥の修理・改造棟には600形がおそらく改造目的だと思われますが入線していました。
ロール式行き先幕の改造のみで、前哨灯1灯の初期型の懐かしい顔です。
西鉄がかつて貨物輸送を行っていた際の車両であるモワ804。
貨物営業終了後は、事業・救援用で通常は二日市車庫で入替用に使われていた
いわば二日市車庫の主的存在で、二日市車庫廃止の際に運命を共にしたようです。
ふと、年明けに思い出して大好きだった二日市車庫の写真をアップしました。
全て1979年3月撮影 西鉄二日市車庫内で許可をいただいて撮影。
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ここ2~3年は法事関連での帰省ばかりで、
最後の活躍の2000形(最後まで急行運用についてました)を見ただけで写真に収める事はできません
でした。
現特急の8000形もまともに撮っておりません。
当日は雨の中での撮影でご苦労があったと思いますが、今となっては大変貴重な記録ですね。
普段からこうして記録されていた態度に脱帽です。
二日市車庫はもう無いのですね・・構内の架線が路面電車みたいに1本だったのが印象に残っています。
いい加減おぼろげになりつつある記憶をたどると
遠路遥々懐浪漫人さんが来福されて二日市に案内したと
思います。(当時若かりし懐浪漫人さんの雨男振りが・・・笑)
跡形もなく無くなってしまい残念です。
モデラーの人たちの製作意欲を掻き立てるそんな
レトロな車庫でした。
私事で恐縮なのですが、西武鉄道の所沢車管区や南入曽などは訪問した記憶があります。
それにしても、バラエティーに富んだ車両群ですね。
画一化されてきた昨今、興味津々です。
とくにモワと甘木線用の200形は萌え萌えです。
所沢でしたか忘れましたが、保管されている
ブラウンボベリを見に行きたいものですね。
西鉄も今でこそ新生能化されてしまいましたが、
電関人の青春時代には、旧性能がバンバン幅を利かせて
闊歩していました。