またもや新しいスレを立ち上げ。
ローピンカラーを纏った初代のハチイチ時代にスポットをあてる。
ハチイチといえば、北陸地区(日本海縦貫線)の電化用に増備され、塩害対策の屋根上タンコブが特徴。
その任務といえば、何といっても北陸(表現としては正しくないかもしれないが)ブルトレ。
HMこそ当時の国鉄合理化の最中で無かったが、つるぎ、日本海といった仕業が彼らの栄光だった。
1978年8月7日 東海道本線 山崎~神足 EF81110号機 上りつるぎ
意外と94番を探すと無くて・・・。
ゴハチが無く、ナナロクが無く、ハチイチにお鉢が回りました!
なんとなく続けてきたブログですが、常連さんはじめ皆さまの温かいご支援コメントのおかげです!
引き続きご愛顧、ご贔屓によろしくお願い申し上げます。
写真はたぶん1993年、4年頃の夏臨 夢空間エルムかと・・・。
夢空間もこのひとカットのみに終わりました。。。
2014年7月吉日 狂電関人 拝
3日の日の撮影最後は、直前にいただいた回送電車情報のコイツ。
NE trainとして烏山線に新規投入されるスマート電池搭載電車のプロトタイプE995系。
その使命を終えて、大宮工場へ部品取り⇒廃車解体の運命。
梅雨空の下、最期の一人旅を楽しんでるかのようだった・・・。
お疲れ様!!と声をかけながらの一枚。
2014年7月3日 東北本線 蓮田~東大宮 E995-1 回8632M
昨日は家事で疲れて夜寝てしまいアップが一日遅れ。
七夕なのに朝から雨。
そんな日の早朝に辿り旅再開の記事編集。
今回の旅で一番隔世の感を味わったのが電鉄出雲市駅だった。
かつては、お世辞にも国鉄連絡駅として立派とは言えないむしろ付け足し的な駅だった。
それが今の駅は、JRの駅が高架になるので同時に改良されたのであろうけど一階が改札と待合室などで
二階に1面2線の構造を持つ駅になっていた。
ちょっと分かりづらいかもだが、かつての電鉄出雲市駅は…
今も昔も、いったん国鉄(JR)の改札を出てからの連絡構造である。
家具屋の看板の下、屋根がついたホームがかつての電鉄出雲市である。
デハニが停まっていれば分かりやすいのだが残念ながらそのカットが無い。
時は1975年12月で、春の改正でかもめから転身した82系のおきが写っていてその横には山陰号用のオハネが留置されている。
たぶん夕方になると昼運用についているハザ編成とドッキングして山陰号の編成を仕立てるのであろう。
そしてJR出雲市駅の今昔も。
再掲だが、上の75年のアングルと似ているので・・・。
その昔の出雲市は駅脇に機関区や車両留置線が幾線も広がる駅であった。
大きな煉瓦庫と給水塔が、つい数年前までの蒸機時代を忍ばせてくれていたのだった。
構内の人気者「ヒ」を付けて12系ハザ、臨時だいせんの入れ替え中。
さらに出雲市構内の雰囲気は跨線橋が一ヶ所かかっており二面三線だったと記憶。
下りホームに当駅までの急行だいせんが停車中。
このあとそのままの編成で各停大社行となって大社線に。
山陰本線の主要駅はその大半が橋上駅となってしまい、かつての風情を残す駅は少ない。
2014年5月15日撮影、1975年12月撮影(DCおきのカット)、1976年8月3日(そのほかモノクロ) 出雲市駅
7/3は、うれしいことにクロパン桃にも恵まれた。
まず3078レでこいつは岡桃なので確率が高い。
7号機で後寄りが空コキだったがまあ良しとする。
そして、遅れて登場の3064レは101号機。
吹田桃の101番でこいつもクロパン。
210桃は、ロクロクの流れを汲む正統派な罐のデザインが好きでクロパン付けたやつは尚好しである。
2014年7月3日 ヒガハスにて