この夏頃より撮りに出かけたいと考えていた烏山線。
なかなか天候に恵まれず延び延びになっていたがようやくその計画が成就した。
短い線区にも拘らず、平野や山間と沿線風景は変化に富みそこを今となっては古豪部類のキハヨンマルが走る。
ここ暫くでグンと季節が進み晩秋を迎える烏山線探訪を数回に分けてアップ予定。
一番列車。
この季節、一番列車が下る頃にようやく東の空が明らむ。
夜明けと共に烏山線の一日が始まる。
下野花岡 321D
鹿児島本線 原田駅。
電関人が最初に記憶するこの駅の思い出は、
隣の基山駅を利用して行った草スキー(草の上をそりや段ボールで滑る)に向かう際、
筑豊本線の起点駅として折り返しの列車を牽くD51やC55が駐留しているのが見える駅としての原田駅だった。
しかし、筑豊のヤマが閉山され蒸機も消え旅客列車のみとなると急激に寂れ、近隣に人家も少なく70年代後半の
この駅の乗降者数はおそらく底となる。
辺りを緑に囲まれその線形からも好撮影地として良く訪れた原田駅であったが、
80年代辺りから鹿児島本線の博多~久留米区間では駅数を増やして盛んに沿線開発が行われる。
結果、ここ原田駅周辺にも宅地化の波が押し寄せ学校が店が出来てすっかり何処にもある近郊駅と化す。
写真の原田駅は77年という一番寂れていた頃の原田駅で起点駅として有人ではあるものの駅業務は簡略され
改札省略で、ラッチの真上にある手動回転式の発車案内も使用中止に。
疎らな利用者には不釣り合いなほどの木造の立派な駅本屋が穏やかな秋の朝日の中に在った。
のんびりと流れる駅の空気をよそに、改札の向こうを下り急行阿蘇が一陣の風の如く通過。
昭和な、昭和な原田駅が好きだった。
1977年秋
昨夕よりさっくりとモミジガリへ行ってきた。
夜8時過ぎの鬼押し出し付近は中軽井沢あたりから降りだした雨が雪へと変わる。
それでも例年より約一月ほど遅い雪の便りだそうだ。
そして今朝の浅間山。
峰の茶屋付近から見た浅間山。
オレンジを主体とした紅葉を前景に一昨日今年初冠雪したというその姿をパチリ。
富士山もそうだが今年は遅い初冠雪。
70年代後半の山陰には随分若番が多く残っており40番代機はほかに47号機を撮っていると思うが見当たらず。
まずは49号機をあげておくことに。
山陰本線内の主要駅の中でいち早く高架化された鳥取駅に停車する堂々たる編成の各駅停車でアングルから下り列車かと。
秋も深まりそろそろSGの季節を迎え荷物車の床下からほんのりとスチームが上がる。
近代的な駅構内に佇む若番牽引の旧客編成は或る意味良い記念写真となった。
1981年晩秋 鳥取駅 列番不明