暖冬期の真っただ中、恨めしい雨の中の旅出である。
当時の山陰ワイド周遊券による周遊区間へ福岡から入り込むルートとして夜行活用であれば、
① 急行さんべ3号で山陰本線下関口から、
②京都に出て、鈍行夜行「山陰」で京都口から、
③中国山地越えで芸備線・木次線経由のちどり3号で乗り込む。
と、3つのパターンがあったが電関人のお気に入りは③の芸備・木次線経由ちどり3号利用だった。
夜も更けた岩国駅22:40過ぎ、当駅始発の424Dがホームに入ってくる。
この列車が広島まで快速運転で行き、そのまま618D急行ちどり3号へ変わるのである。
こんな、急行運用前後の間合い運転列車は全国に数えきれないほどあった。
ホームに据え付けられた424Dに乗り込んで発車までのひと時、
キハ58(28?)の窓を全開にして、車体にカメラを固定する簡易バルブに勤しむ。
反対ホームには、サロ改のクハ85が佇んで、その先には岩日線の貨物だろうか
かすかにDE牽引なのが確認できるが出発を待っている。
夜通し中国山地を越えて翌朝には宍道湖畔にでる夜行急行の旅のプロローグの一枚。
1977年12月29日 岩国駅にて
今日は暖かなクリスマスだったが、
またもや年末にかけて大型寒波が襲来とのこと。
いわゆる「爆弾低気圧」というやつだ。
7年前の今日、磐越西線で撮ったXmas Train。
この時も大型寒波襲来で、
結局気が小さい某旅客会社はビビッて現在は12月頭のクリトレ運行に変更している。
もう一度、白い悪魔にアタックする貴婦人の華麗な姿を拝みたいもの。
というわけで、
7年前よりメリークリスマス!
17年 聖夜
ここへは寄りたかった。
現役っぽく発車が撮れるから。
北西から押し寄せる冬雲が仄かに色付く頃。
八五二二列車は篠目駅に居た。
峠越えしてぎりぎりの滑り込み。
レンガの給水塔と腕木信号・・・
すべてをドレインに包み篠目を出ていく。
感動の煙の往復だった。
2017年12月9日 篠目駅
今朝の新聞紙面で葉室さんの訃報に触れる。
電関人自身が、その精神の師とし仰いできた福岡出身の直木賞作家で享年66。
サラリーマン人生において、男子たるものかくあるべしと
座右の銘にしてきた、武士道の根底にある凛とした精神と切ない男女の物語には
氏の新作を読むたびに目頭を熱くした。
中でも、福岡の地名を織り交ぜながら一途で透き通った人間模様を綴った「千鳥舞う」が一番のお気に入り。
聖夜を迎える朝に悲しい悲しい知らせが舞い込んだものである。
そんな同郷の師に、わが実父を野辺送りしたときの山家の雪椿を添える。
合掌
冬の福岡は夜明けが遅い。
それでも、旧友と山口線に出かける前に赤間駅で一人朝練。
5時前に博多駅傍のホテルを引き払い、電車で赤間駅へ向かう。
到着後暫くして東の空がようやく明るくなり始める。
5時台から7時にかけて福岡ターミナルに入る貨物が次々やって来る言わば貨物銀座タイム。
6:45 ハイビームでキンタの59レが下る。
東の空に赤みが差した頃博多行の普電が待避線に入線し、
6:55に白いソニック3002Mがそれを追い抜いて行く。
インターシティEXは通勤の足でもある。
普電や特急のスジを掻い潜って3051レがキンタに牽かれてやってきた。
と後から不意を突いてEF81717が5056レを牽いて上っていく。
鹿児島本線の列車密度はJRになって寧ろ上がっているようだ。
そして朝練の〆はやはりわが青春の友であるナナロク。
1017号機が1087レをエスコートしてきて日の丸写真だが納得の一本。
7:30になってようやくまともな露出で撮影できるように。
また、そのうちに駅の様子など第二弾をアップする予定。
2017年12月 赤間駅にて