幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「長生きは三百文の得」 大滝秀治著 向いていないと周りから言われても努力を続け花を咲かせる

2014-12-29 02:43:44 | 本の紹介
(娘さんが過去の発言をまとめられました)
大滝さんは電話局に勤めていた時、近くの帝国劇場で見た舞台に感動し、23歳の時に民衆芸術劇場付属養成所の第一期生として参加しました。
小学校5年生の時に中耳炎を患い鼓膜の手術をし片方が聞こえなくなっていました。
中学2年生の時、肺湿潤になり肺の手術(当時は成功するのは1~2割と)を行い、幸い助かりましたが、
ストレプトマイシンの大量投与のため耳が聞こえなくなりました。
当時、ビタミンAを大量投与すると良いとの説があり、それを行ったところ、何とか聞こえるようになりました。
俳優になってからぎっくり腰になってコルセットをするようになりました。

宇野重吉さんから、いろいろと指導を受けられ、ダメ出しされた言葉を清書して大切にされていました。幾つか紹介します。
・自信と謙虚さの間にいないといけない
・焦ることはない、でもぐずぐずするな
・台本の文字が見えている間はまだダメだ
・その時、その気になる
・思えば出るんだ、普通にやれ
・人の芝居の粗ばっかり見える時はお前の心がさもしい時、人の芝居がいいなと思う時は心が豊かな時、だけど、そればかりではない
・「なにもしない」と言ったらお前はなにもしていない

生まれた時、産婆さんがびっくりしたそうです。髪の毛が灰色でした。宇野重吉さんから「お前のこえはぶっ壊れたハモニカみたいな不協和音を出す。ドレミファソラシド全部入っている不協和音を出すと、お客に不快感を与えるから、役者に向かないんじゃないか」、「声が悪いし、見た目かたちもちょっと・・・。おまえ、二十三だけど、老けてるな」と言われたそうです。

感想;
役者に向いていないと周りから言われても、俳優を一途に努め、味わいのある役者さんになられたと思います。
台本を与えられると24時間台本を抱えておられたそうです。2012年87歳で亡くなられました。
八千草薫さんとの夫婦共演の北海道の派出所を舞台にした、大滝さんの駐在員のドラマ「ほんかん」は6話でしたが、温かみのあるドラマでした。
いまだに記憶に残っています。