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(患者を生きる:2961)がん おひとりさま:2 就職した矢先、再び告知 ”今どうするか”

2016-01-06 07:57:17 | 生き方/考え方
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12145903.html?rm=150 2016年1月6日
乳がんが見つかった東京都杉並区に住む会社員の女性(49)は2012年1月中旬、JR東京総合病院(東京都渋谷区)で乳房を一部切除する手術を受けた。退院日が迫るにつれ、気分が沈んでいった。

 「入院中は食事も出てくる。でも退院したら、治療を考えながら1人で就活する日々が始まるな」

 手術から約1週間後の退院の日。1人で電車に乗って、自宅に帰ると、部屋はひんやりとしていた。寂れた駅に入った時と同じような感覚だった。「昔、一緒に暮らしたおばあちゃんがいてくれたらな」と、ふと思った。

 手術など治療費の一部は民間保険でまかなえた。でも貯金はほとんどなく、生活費を稼ぐ必要がある。すぐに失業手当を申請した。

 2月からは、がんの再発を防ぐため、飲み薬や注射による薬物療法を開始。平日は病院に行き、放射線治療も受けた。だるさや吐き気、めまいなどの副作用に悩まされながらも、都内のハローワークに通った。

 就職先が決まったのは失業保険が切れる間際の3月下旬。都内にある福祉関係の会社だったが、以前に比べて給料は安い。治療費のことも考え、家賃が約2万5千円安い7万円の部屋に引っ越した。

 せっかく就職した会社だったが、上司からある日、「『右腕が上がらないので判子は押せない』では困る」などと責められた。病気に乗じた「パワハラ」と感じたが、約2カ月で退職せざるを得ない状況に追い込まれた。「がん」が原因で退職したのは半年前のこと。「またか……」と落胆した。

 ただ、幸いすぐに次の仕事が見つかった。6月に都内の企業の契約社員になり、若者の就職を支援する仕事に携わることになった。

 その矢先、今度は都内の産婦人科クリニックで、子宮に異常があると指摘され、JR東京総合病院で組織検査を受けた。

 「子宮体がんです。子宮と卵巣、卵管を摘出する必要があります」。産婦人科の北條智(ほうじょうさとし)医師(52)から、そう伝えられ、書類をもとに説明を受けた。

 乳がんに続く、2度目のがん。「入院に加え、退院後も自宅療養が必要」という。短期間で再び仕事に戻れると思っていただけに、ショックは大きかった。(田内康介)

感想
病気になる人、ならない人。多少食事や生活にも関係しますが、いくらそれに注意を払っていても病気になる時はなってしまいます。
煙草を吸い続け、肺がんになる。これは自己責任の部分もありますが、自己責任でない病気もあります。

病気になったら、その状態で一番良い選択肢をすることなのだと思います。
一人ではなかなか良い選択肢を選ぶことが難しい場合があります。そんな時は何人かの意見を貰うとか、信頼できる人に相談するとかして、参考にするのが良いのでしょう。

派遣法がいろいろと改正されていますが、企業にとって都合の良いように変えられているように思えてなりません。3年以上同じところで派遣として働いた場合、企業には採用を検討する義務が生じるようになりました。そのため企業が取っている方法は、3年以上続けて同じ人に働いてもらわないようにになりました。これまで26業種は期限なしで働けました。派遣で働いている人は、3年経過すると新しい職場を探さないといけません。

前に派遣さんに来てもらう時は、できるだけ年配の方をお願いしました。何故なら若い人はすぐに仕事が見つかりやすいですが、歳を取るとなかなか仕事が見つからないようです。
ある年配の人は仕事が見つからなくて、でも働かないといけないとのことで、スーパーのレジの仕事をされていました。こちらが希望する日にはまだその契約が残っていて、2週間後になるとのこと。派遣さんから派遣さんへの引継ぎはできません。その方はぜひ働きたいとのことでしたので、2週間待ちました。意欲のある方でこちらも助かりました。