10歳からずっとアイドルを28年間。初めて1対1で逢うが前から阿川さんをずっと知っている気持ち。
SMAP最少年齢。ジャニーズ。「慎吾ママのおはロック」で新たなアイドル像。
近藤勇役をNHKで好演した。ジャニーズでは遅咲きにのグループ。3年間人気が出なかった。
SMAPの知られざる過去を語る。
今はバリバリ働いている。1988年SMAP結成。メンバーとは家族より一緒にいる。常に最初から必死です。実はなかなか売れなかった。先輩は光源氏で、次はSMAPだったので、売れると思っていた。オリコンでCDが1位にならなかった。12枚一度も1位を取っていない。そんなジャニーズはいなかった。コンサートで客席がガラガラでいなかった。バラバラだったお客さんに詰めてもらった。鼻をへし折られた感じ。本当に将来が不安だった。会社から何でお前ら売れないのかと言われた。どうしていいか分からなかった。
記憶に残っていた1曲目ははマイケル・ジャクソンの「BAT」。踊りの練習曲としてマイケルの曲を使っていた。アイドルとして影響を受けた。日本にコンサートに来た時メンバーで見に行った。マイケルと目があった。こんなステージに立ってみたいと思った。その後、マイケルに逢った。スマスマで。嬉しかった。一人ひとり写真とサインを貰った。サインのペンは持っていた。自宅で飾っている。
光源氏が「スターライト」でデビューした。自分もローラースケートを買ってやっていた。オーディションはすごい人数だった。ガラスの10代の振り付けで隣の部屋に光源氏が来ていた。光源氏だと衝撃を受けた。
歌のレッスンはなかった。したことはなかった。だから今も。踊りだけレッスンした。最初12名でスケートボーイズと言う名前で、光源氏の後ろで踊っていた。写真の取材で行った時、10人だった。それからいくつか雑誌の取材に行った。そしたらある時6人だった。雑誌のタイトルにSMAPとなっていて初めて知った。会社から君たちはSMAPだからねと言われた。
バラエティ番組への出演が転機になった。ドラマのオーディションにも皆よく行った。髪の毛を剃るのは大丈夫か?と尋ねられたら皆大丈夫ですと言ったが選ばれなかった。バラエティーへの出演は、何でこんなことをしないといけないのだろう?と思った。CD売れなかったのでかつらかぶったり、スカート履いたりした。遊び半分な気持ちでやっていたら、監督に何をやっているんだと叱られた。このままだと落ちぶれて行くとの不安感があった。だから今の仕事を精一杯やらなければならないと思っている。
中居君は優しい人。気遣っている。芸能界のお友達はあまりいない。敢えて作らないのかもしれない。電話番号の交換を断っていた。付き合いが悪いと言われた。ディレクターに食事を誘われたが、断った。収録を終わった後、話をしようと言われても電話番号を教えなかった。直接人と向き合いと思っている。面と向かって話すのは好き。その分、お手紙を書くのは好き。手書きで書いている。手紙が付いているとすごく嬉しい。自分もそれをしたいと思った。特注のレターセットを使っている。シーリングスタンプを押している。自分のイニシャルのSK。深津絵里さんが賞を取られたのをすごく嬉しくて事務所宛てに手紙を出した。橋田寿賀子さん、田中邦衛さんとか。手紙だからこそ伝わる。
結婚の予定は?ドラマが結婚の話。「家族のカタチ」。結婚しないこじらせ男子役。ドラマ終わった時に結婚を発表したら美味しくないですか?笑
心を奮い立たせてくれる曲「It!s a beautifuk day」 疲れたな時にテンションあげたい時に口ずさんで踊っている。家でちょっと酔っぱらっている時に歩きながら聴いている。38歳楽しい。びっくりするぐらい忙しい。若い時は忙しいことに文句を言っていた。忙しいということはここまで来ると幸せだと実感しているし、楽しい。
感想;
売れなかった3年間があるから、今のSMAPがあると思いました。
バラエティに出たりと、必死にSMAPを今のSMAPにしたのが女性マネージャーなのでしょう。
その苦しい時代を実感しているだけにマネージャーへの感謝と思いがあるのだと思いました。忙しいことが感謝とのこと、苦しい3年間があったからこそ実感されているのだと思いました。
SMAP最少年齢。ジャニーズ。「慎吾ママのおはロック」で新たなアイドル像。
近藤勇役をNHKで好演した。ジャニーズでは遅咲きにのグループ。3年間人気が出なかった。
SMAPの知られざる過去を語る。
今はバリバリ働いている。1988年SMAP結成。メンバーとは家族より一緒にいる。常に最初から必死です。実はなかなか売れなかった。先輩は光源氏で、次はSMAPだったので、売れると思っていた。オリコンでCDが1位にならなかった。12枚一度も1位を取っていない。そんなジャニーズはいなかった。コンサートで客席がガラガラでいなかった。バラバラだったお客さんに詰めてもらった。鼻をへし折られた感じ。本当に将来が不安だった。会社から何でお前ら売れないのかと言われた。どうしていいか分からなかった。
記憶に残っていた1曲目ははマイケル・ジャクソンの「BAT」。踊りの練習曲としてマイケルの曲を使っていた。アイドルとして影響を受けた。日本にコンサートに来た時メンバーで見に行った。マイケルと目があった。こんなステージに立ってみたいと思った。その後、マイケルに逢った。スマスマで。嬉しかった。一人ひとり写真とサインを貰った。サインのペンは持っていた。自宅で飾っている。
光源氏が「スターライト」でデビューした。自分もローラースケートを買ってやっていた。オーディションはすごい人数だった。ガラスの10代の振り付けで隣の部屋に光源氏が来ていた。光源氏だと衝撃を受けた。
歌のレッスンはなかった。したことはなかった。だから今も。踊りだけレッスンした。最初12名でスケートボーイズと言う名前で、光源氏の後ろで踊っていた。写真の取材で行った時、10人だった。それからいくつか雑誌の取材に行った。そしたらある時6人だった。雑誌のタイトルにSMAPとなっていて初めて知った。会社から君たちはSMAPだからねと言われた。
バラエティ番組への出演が転機になった。ドラマのオーディションにも皆よく行った。髪の毛を剃るのは大丈夫か?と尋ねられたら皆大丈夫ですと言ったが選ばれなかった。バラエティーへの出演は、何でこんなことをしないといけないのだろう?と思った。CD売れなかったのでかつらかぶったり、スカート履いたりした。遊び半分な気持ちでやっていたら、監督に何をやっているんだと叱られた。このままだと落ちぶれて行くとの不安感があった。だから今の仕事を精一杯やらなければならないと思っている。
中居君は優しい人。気遣っている。芸能界のお友達はあまりいない。敢えて作らないのかもしれない。電話番号の交換を断っていた。付き合いが悪いと言われた。ディレクターに食事を誘われたが、断った。収録を終わった後、話をしようと言われても電話番号を教えなかった。直接人と向き合いと思っている。面と向かって話すのは好き。その分、お手紙を書くのは好き。手書きで書いている。手紙が付いているとすごく嬉しい。自分もそれをしたいと思った。特注のレターセットを使っている。シーリングスタンプを押している。自分のイニシャルのSK。深津絵里さんが賞を取られたのをすごく嬉しくて事務所宛てに手紙を出した。橋田寿賀子さん、田中邦衛さんとか。手紙だからこそ伝わる。
結婚の予定は?ドラマが結婚の話。「家族のカタチ」。結婚しないこじらせ男子役。ドラマ終わった時に結婚を発表したら美味しくないですか?笑
心を奮い立たせてくれる曲「It!s a beautifuk day」 疲れたな時にテンションあげたい時に口ずさんで踊っている。家でちょっと酔っぱらっている時に歩きながら聴いている。38歳楽しい。びっくりするぐらい忙しい。若い時は忙しいことに文句を言っていた。忙しいということはここまで来ると幸せだと実感しているし、楽しい。
感想;
売れなかった3年間があるから、今のSMAPがあると思いました。
バラエティに出たりと、必死にSMAPを今のSMAPにしたのが女性マネージャーなのでしょう。
その苦しい時代を実感しているだけにマネージャーへの感謝と思いがあるのだと思いました。忙しいことが感謝とのこと、苦しい3年間があったからこそ実感されているのだと思いました。