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おひとりさま、突然がん告知 そのとき仕事は  ”あるものに感謝”

2016-01-05 09:14:00 | 生き方/考え方
http://digital.asahi.com/articles/ASHD85WYLHD8ULBJ011.html?rm=2312016年1月5日
 「検査の結果、右胸のしこりは悪性でした。手術が必要ですね」

東京都杉並区に住む会社員の女性(49)は2011年12月、JR東京総合病院(東京都渋谷区)で医師から乳がんを告知された。

 東京都内の自動車販売会社で派遣社員として働き始めたばかり。真っ先に頭に浮かんだのは、「仕事を続けられるだろうか?」という不安だった。

 両親はすでに他界し、石川県にいる妹(47)と弟(43)は、それぞれ家庭をもっている。女性はずっと独身の「おひとりさま」として暮らしてきた。

 会社に病状を伝え、仕事は継続できることになった。しかし、その数日後、職場のトイレで吐き気やめまいなどで歩くこともままならない状態になり、救急車で病院に運ばれた。

 幸い翌日には体調が戻り、出社すると、自分の机の上に見慣れない紙袋があった。中身は、私物のマグカップや筆記具などだった。

 「わたし、クビなんですか?」

 不安は的中した。

 「がん患者は体力がもたないから仕事は無理だろう。すでに後任を選考している」。職場の上司から、そう告げられた。派遣社員の仕事は、やめざるを得なかった。

 「好き好んで病気になったわけではないのに……」。悔しい気持ちと同時に「がん患者は世間からそうみられるのか」と思った。

 乳がんの進行度は「ステージ1」だったが、MRIなどの検査をしたところ、右の乳房に病変が広がっていた。同病院乳腺外科の尾身葉子(おみようこ)医師(41)から「(右の)乳房の4分の1を切除する必要があります」と治療方針を伝えられた。

 翌年1月、手術を受けるために入院。石川県から妹が駆けつけてくれた。手術は無事に終わり、他の部位への転移もなかった。

 同じ時期に入院した他の患者には、家族がずっと付き添っていた。一方、手術後すぐに妹は石川県に帰り、約10日間の入院中に見舞いに来てくれたのは友人ら2人だけ。寂しさは感じなかったが、仕事を失い、焦燥感が募った。

 「退院後に、仕事はすぐに見つかるだろうか」。そのことばかり考えていた。

     ◇

 「患者を生きる」で、おひとりさまのがん闘病を5回にわたって連載します。(田内康介)

感想;
派遣や個人で仕事をしている人は、自分の身体が資本です。
病気になると保証がありません。
がんになっただけでもショックですが、仕事が続けられない、収入がないのは二重のショックであり、病気の不安だけでなくその後の生活の不安もあります。

38歳で胃がんになったて胃を2/3切除した時、会社勤めでしたので収入の不安がなかったのは今思うとありがたかったです。定年退職後、個人事業主で仕事をしていますが、病気になると仕事ができなくなるということが実感するようになりました。人はついないものを見て、三毒(愚痴、怒り、嫉妬)を感じてしまいます。あるもの(今自分ができること)は失って初めて気づくことが多いです。失う前にあるものをいただいていることを感謝して、そのあるものを活用することが幸せなのだとつくづく思います。